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2017年2月16日木曜日

ミシュナーとトセフタの関係性の研究 Houtman, Mishnah and Tosefta

  • Alberdina Houtman, Mishnah and Tosefta: A Synoptic Comparison of the Tractates Berakhaot and Shbiit (Texte und Studien zum Antiken Judentum 59; Tübingen: Mohr Siebeck, 1997).
本書は、『ミシュナー』と『トセフタ』の関係性を明らかにするために、パソコンを駆使して両者の共観部分を比較検討したものである。これらの文書の研究においては、しばしば『ミシュナー』ばかりが扱われ、その補遺にすぎないと考えられてきた『トセフタ』が軽視される傾向があるが、著者は『トセフタ』を独立した一文書と見なすという前提から出発している。

著者はMoses Samuel Zuckermandelの所説を大いに参考にしている。すなわち、元来のパレスチナの『ミシュナー』のかたちは『トセフタ』にこそ保たれているのであり、現在の『ミシュナー』にはバビロニアの伝統に基づいた改変が加えられているというものである。そして、元来のパレスチナの『ミシュナー』がのちに『トセフタ』と呼ばれるようになった、というのである。すでにこの説を真面目に扱う研究者はほとんどいないが、著者はZuckermandelの所説からヒントを得て、『トセフタ』を扱うときには、それとの並行箇所がゲマラの中に見出される『パレスチナ・タルムード』が重要であると主張する。著者による『トセフタ』の重視は、他にもJ.N. Epsteinによる『トセフタ』が『ミシュナー』に先行するという所説や、Shamma Friedmanによる『トセフタ』は『ミシュナー』の元来の姿を多く保存しているという所説などからも影響を受けている。

これに対し、Abraham Goldbergは、確かに『トセフタ』は編集の原則としては独立した文書と言えるが、本質的にはやはり『ミシュナー』の注解、あるいは補遺と考えるべきだろうと反論している。これは『ミシュナー』内の時代的な層における最初期の層に対し、後代の層が注解を加えるのと似ている。Goldbergによれば、『トセフタ』が必要とされたのは、元来の『ミシュナー』にあとから加えられていったそうした層が『ミシュナー』だけでは入りきらなくなってしまったからなのだという。そうした意味では、現在の『ミシュナー』と『トセフタ』との間には本質的な違いはない。両者は共に、元来の『ミシュナー』に対する注解にすぎないからである。

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