2017年10月2日月曜日

クムラン共同体の宗教思想 Vermes, "The Religious Ideas of the Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 67-90.
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Geza Vermes

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ユダヤ教の信仰や習慣というのは、クムランも含めてシステマティックなものではないので、キリスト教的なドグマをモデルにすると歪んでしまう。それでもユダヤ教において重要なキータームとしては「契約」を挙げることができる。聖書物語というのは、神との契約への継続的な不信仰の物語といえる。イザヤ書やエレミヤ書では、何度悔い改めても契約が守られないので、新しい契約という考え方が示されている。クムランにおいてもこの考え方が踏襲されている。すなわち、改宗の報いとして、義の教師が新しい契約を定めるために送られてきたのであり、義の教師を迎えた共同体のみが新しいイスラエルとなるのである。

第二神殿時代のユダヤ教はさまざまな党派に分かれていたが、律法の遵守を重要視するという点では一致している。というよりも、それぞれの党派は自らの考え方を律法に基づいて正当化しようとする。クムラン共同体に独特な律法解釈としては結婚に関する考え方がある。レビ記18:13において叔母と甥の結婚が禁止されているが、では叔父と姪はどうなのかというと、パリサイ派やラビ・ユダヤ教はこれを許す。なぜなら聖書はこの組み合わせについては沈黙しているからである。しかしながら、クムラン共同体は男性に適用される法は女性にも適用されると考えるために、叔父と姪の結婚は許されない(CD 5.8-11、11QT 66.16-17)。クムラン共同体は律法のみならず預言書もまた重要視している。これは、彼らが終末論的世界観の中で、共同体の賢者のみが預言書を正しく解釈できると信じていたからである。義の教師は、預言者自身も分かっていない預言の内容を正しく解き明かす。

選民思想についても、クムラン共同体は独特の考え方を持っていた。ユダヤ教においては基本的にすべてのユダヤ人が選ばれているとされるが、後代になると善人は選ばれるが悪人は選ばれないと考えるようになった(『パレスチナ・タルムード』「キドゥシン」61c)。これに対しクムランでは、第一の特徴として、個人の選びがある。すなわち、ユダヤ人であれば自動的に選民となるのではなく、大人になる過程で契約に入るプロセスを経て初めて選ばれるのである。第二の特徴は予定説である。すなわち、選ばれるかどうかは最初から決まっているのである。そして第三の特徴としては、善人と悪人との区別がある。

クムラン共同体における祭儀は、独特の暦に基づいている。ユダヤ教の多くの党派では一年を354日とする太陰暦が用いられ、アダル月のあとに閏月を入れていたが、クムランでは一年を364日とする太陽暦が用いられていた。太陽暦を用いることで、必ず同じ曜日に同じ祭りが開催されることになるのである。クムラン共同体が特別な暦を採用したことで、彼らは他の集団とは別の時期に祭りを祝うことになる。これはあえてそうすることで自分たちのアイデンティティを確立することができる。

クムラン共同体は、儀礼的な沐浴、神殿祭儀、そして共食についてしばしば言及する。沐浴は清浄規定と関わる。彼らは、体の外側だけではなく内側もまた清浄な者のみが沐浴をすることを許した(1QS 5.13-14)。神殿祭儀については、むろんエルサレムの神殿ではなく、クムラン共同体という新しい神殿での祭儀が真正だと考えられた。共同体を神殿と同一視する考え方がしばしば見られる(1QpHab 12.3-4)。一般的に、性行為をした者は神殿祭儀に参加することを禁じられたが、共同体でもこの決まりは守られた。共食について、最後の食事は終末のプロトタイプだと考えられた。

クムラン共同体は、特異なメシアニズムを持っていた。ユダヤ教一般と同様に、一人のメシアを語ることもあるが、一方で二人のメシア、そして時には三人のメシアについても語っている。第一のメシアは「王としてのメシア」であり、「ダビデの若枝」、「イスラエルのメシア」、「全会衆の王子」、そして「王笏」などとも呼ばれる。第二のメシアは「祭司としてのメシア」であり、「アロンのメシア」、「祭司」、「律法の解釈者」などと呼ばれる。この祭司としてのメシアは、栄光の前に恥辱を味わうというイメージがある。そして第三のメシアが「預言者としてのメシア」である。クムラン共同体では、この預言者こそがすでに到来している義の教師であると考えた。

死後の世界についてもクムラン共同体は特異な解釈を持っている。聖書時代の死後の世界は、善人も悪人も行く「シェオル」という冥界が少し出てくるくらいだった。すなわち、神が人と関わるのは、人が生きているときだけだった。しかし捕囚後になると、アンティオコス・エピファネスの迫害などで殉教した者たちについて、自発的に神のために死んだ報いとして「復活」の考え方が出てきた。さらには「不死」の考え方も『知恵の書』などで言及されるようになった。ヨセフスによると、エッセネ派は、牢獄としての肉体から魂として永遠の生へと至るという、ヘレニズム的な「不死」の概念を持っていたが、「復活」には言及していない。これと同様に、クムランでも義人の報いとしての「不死」の概念は出てくるが、「復活」はほとんど出てこない(唯一の例外が4Q521)。

2017年9月21日木曜日

クムランの聖書学 クロス「ヘブライ語聖書テキストの背後にあるテキスト」

  • フランク・ムーア・クロス「ヘブライ語聖書テキストの背後にあるテキスト」、ハーシェル・シャンクス編『死海文書の研究』(池田裕監修、高橋晶子・河合一充訳)、ミルトス、1997年、217-38頁。
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池田 裕

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死海文書の発見以前には、すべての中世のヘブライ語聖書写本は、紀元後の早期に定着した単一の校訂本が底本となっていると考えられていた。すなわち、中世のテクストは単一の原型、一つの写本に由来すると信じられていたのである。

しかしながら、クロスによれば、クムランで発見された聖書写本と、死海南部で発見された聖書写本(ナハル・ヘヴェル、ワディ・ムラバアト、マサダ)とを比較すると、大きな違いがあるという。クムラン写本は70年の第一次ユダヤ反乱以前に書かれ、南部写本は70年から第二次ユダヤ反乱の135年の間に書かれた。南部写本は現在に伝わるマソラー本文から際立った逸脱が見られないテクストであるのに対し、クムラン写本はマソラー本文につきものの標準化が見られないのである。たとえばクムランからは、2種類のエレミヤ書や詩篇が見つかっている。

クロスは、こうしたさまざまなテクストタイプは、筆写による伝達の中で、地域ごとに発達したものだと考える(=「ローカル・テクスト理論」)。そしてとりわけ五書やサムエル記に関しては、パレスチナ、エジプト、バビロニアの三つの土地ごとの発達が見られるという。パレスチナ・テクストはサマリア五書へと至るものである。エジプト・テクストは七十人訳やクムランの短いエレミヤ書へと至るものであり、古パレスチナ・テクストから枝分かれしたものである。そしてバビロニア・テクストはマソラー本文の基礎となっている。

このように、聖書写本には本来少なくとも三つのタイプがあるはずであるが、南部写本からはマソラー本文と極めて近いテクストタイプがただ一つあるのみである。それゆえに、第一次ユダヤ反乱以後、少なくとも第二次反乱までに、マソラー本文の原型が権威あるものとして確定していたと言うことができる。

マカベア王朝以後の派閥の乱立の中で、さまざまなローカル・テクストがユダヤへ流れ込み、テクストの乱れにつながった。その後の前2世紀以降の宗派間の宗教論争によって、固定された権威あるテクストの必要性が生じた。そしてついに第二次反乱までにラビ校訂版が発布されたわけだが、クロスによればそれは大賢者ヒレルの仕事であったという。バビロニアからパレスチナへやってきたヒレルは、バビロニア起源のテクストを基礎として校訂版を作成したものである。その際に彼は、他のローカル・テクストから異同を取り出して折衷的な合成テクストを作ることはしなかった。とはいえこれは五書に限った話で、預言書ではパレスチナ・テクストが採用された。それは、マソラー本文では長い版のエレミヤ書が採用されていることからも見て取れる。

聖書の正典化、すなわち確定された聖書のリストに関して、確認できる最古のものはヨセフス『アピオーンへの反論』に収められたものである。クロスは、このヨセフスの記述はヒレルと彼の学派の教義に由来すると考えた。これまでしばしば後1世紀の終わり頃にヤブネでラビたちの会議が開かれ、そこで正典が確定したと考えられてきたが、ヤブネでは実際にはコヘレト書や雅歌について論じられていただけだったと、近年では考えられている。クロスによれば、ヤブネでの話し合いなどより以前のヒレルの意見に沿って、ヨセフスは聖典を挙げたのである。

また、この正典の確定はテクストの確定と連動している。ヒレル派のライバルの祭儀や暦の教義、競合する法的見解や神学的教義、そして黙示思想やグノーシスの神話解釈に対して、ヒレル派の弁論を構築する上で、テクストと正典の確定は必要なプロセスだった。

クムラン共同体の歴史 Vermes, "The History of the Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 49-66.
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死海文書には、厳密な意味での歴史テクストは見つかっていない。聖書においても歴史は預言の中で語られ、それはのちに終末論へとかたちを変えたが、クムランにおいては歴史は主として聖書解釈の中で語られている。これは、聖書の中に自分たちの共同体の過去から現在までの出来事を読み込むペシェルのような解釈法を用いていたからである。クムランの歴史は、こうした非歴史文書の他には、考古学的データと外部資料(ヨセフス、マカベア書、フィロン)などから再構成される。

歴史資料を欠く死海文書の中で、それでも比較的歴史的な情報を含んでいるものとしては、『ダマスコ文書』、『ハバクク書注解』、『詩篇注解』、『証言(4Q175)』、『ナホム書注解』(4Q448、4Q339、4Q468eと共に、実際の歴史上の人物の名前を含む)などがある。

『ダマスコ文書』によれば、ネブカドネザルによってユダ王国が攻略された前586年から「390年後」である「怒りの時代」、すなわち前196年に共同体が始まり、その後20年の手探りの時代を経て、前176年頃に「義の教師」が登場するという。Vermesはこうした数字は、ユダヤ人作家の常としてあまり信頼できるものではなく、ダニエル書で象徴的に描かれる490年などにかこつけたものであろうと述べる。

死海文書にたびたび現れる「キッティーム」は、もともとは「海辺から来た人々」を意味したが、『第一マカベア書』(1:1、8:5)ではギリシア人を、七十人訳ダニエル書(11:30)ではローマ人を指している。多くの場合、当時の支配者だが必ずしもユダヤ人の敵ではないグループを意味する。

『ダマスコ文書』で言及される「怒りの時代」は、アンティオコス4世とヤソンによる「ヘレニズム改革」(前175年頃)と同一視される。Vermesは、ここから「あざけりの人」、あるいはそれと同一人物と考えられる『ハバクク書注解』の「悪の祭司」を同定しようとする。悪の祭司はユダヤ人の指導者であり、祭司的な権力と世俗の権力を併せ持っていた。それゆえに、悪の祭司とはエルサレム神殿の大祭司の誰かだったと考えらえる。そしてアンティオコス4世の治世(前175年以降)からクムラン共同体設立(前150-前140年)までの間でこれに該当するのは、ヤソン、メネラオス、アルキモスら親ギリシア派と、マカベア兄弟のヨナタンとシモンである。Vermesは、この5人のうちで悪の祭司と思われるのはヨナタンとシモン、特にヨナタンであるという。

他にも、さまざまな同定が可能である。たとえば、「なめらかなものを求める者たち」あるいは「エフライム」を絞首刑にした「怒れる獅子」は、パリサイ派を多数殺したアレクサンドロス・ヤンナイオスであり、「マナセ」はサドカイ派、そして「ダマスコ」はクムランのことを指しているという。

2017年9月12日火曜日

クムラン共同体 Vermes, "The Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 26-48.
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クムラン共同体の人々は自分たちは真のイスラエルを体現していると考えていた。『共同体の規則』において、この宗派は、「共同体」あるいは「共同体の評議会」として自らを規定している。彼らは食事や祈祷などを教導で行なっていた。彼らの祈祷はエルサレム神殿のそれとは別物として行なわれていた。

『共同体の規則』によれば、人々は瞑想を行なったようだが、これは当時のユダヤ教の伝統では珍しいことだった。また人々は二つの霊――正しい霊と偽りの霊――の知識に通暁することを期待された。『共同体の規則』に組み込まれた「二つの霊に関する指導」という神学書を読み、光の子と闇の子の区別を学ぶのだった。

共同体のリーダーシップを取ったのは大祭司の家系であるツァドク派の者たちである。この祭司たちは共同体でのどの集まりにも出席することが求められていた。この祭司のうち、マスキールと呼ばれる者が共同体を指導した。共同体の評議会は、12人の平信徒と3人の祭司から構成されていた。評議会では、律法、現在の商取引、新規加入者の受け入れや拒否、係争中の裁判などが議論された。

『共同体の規則』において、追放刑にされる行為は以下の5つである:第一に、一字一句でもモーセ律法に違反したとき、第二に、神聖な神の名を口にしたとき、第三に、評議会を抽象したとき、第四に、共同体の権威に対して謀反を企てたとき、そして第五に、評議会の委員となって10年経っても心が頑なであるとき、である。その他にも、2年以下の苦行によって許される違反、1年以下(6ヶ月、3ヶ月、30日、10日など)の懲役で許される違反などがある。

共食の食卓はクムランの日常生活にとって重要なものである。人々は食事の前に沐浴をしたようである。そして食卓が準備されると、祭司が祝福し、それから食事が始まる。彼らが飲んでいた「ワイン」は、発酵前のぶどうジュースであったかもしれない。

共同体に入会するためには、2年間、あるいはそれ以上の年月の試験を経なければならない。最初に共同体の守護者との面接がある。その後に誓いを立てると、共同体の規則について指導を受ける。最後に再び評議会で吟味され、受け入れられるか否かが決まる。そこで受け入れが決まっても、次の1年はまだ完全には受け入れられていない。厳格な清浄規定ゆえに、まだ食器などに触ることが許されないのである。それゆえに共食の食卓につくこともできない。その1年が終わると食器には触れるようになるが、より汚れやすいと考えられていた液体に触ることはまだ許されない。2年目が終わって、ようやく新規入会者は正式に受け入れられる。このとき、預けていた自分の財産もまた共同体のものとして納入される。

クムラン共同体が独身制だったのか結婚が許されていたのかは難しい問題である。『共同体の規則』から再構成される共同体は女性を忌避する男性的な社会であるが(「女性」という単語すら出てこない)、『ダマスコ文書』から見える共同体には結婚した者たちが含まれている。クムラン遺跡からは、実際に6人の女性と3人の子供の骨が見つかっている。『ダマスコ文書』には、他のユダヤ人や異邦人の近くで暮らす町の共同体が描かれているが、彼らは厳格な規則に従いつつも妻や子供を持っていた。ここではトーラー学習や2つの霊のことなどは出てこない。『共同体の規則』につながっている『会衆の規則』では、20歳になると結婚が許される旨が記されている。

『ダマスコ文書』にも、共同体の頭目としてのメバケルという役職の者が出てくる。彼は共同体への新規加入希望者を吟味する。それと同時に、共同体の内部の者たちが外部の者たちと親しく付き合わないように監視してもいた。

『ダマスコ文書』は死刑判決に関する記述も含んでいるが、他のユダヤ人やローマ人が勝手な死刑判決を容認していたとは考えにくいので、これは宗派の将来的な方針を示しているにすぎない。妻帯を前提とする『ダマスコ文書』は性交についても述べている。それによると、生理中あるいは妊娠中の女性との性交は、生殖を目的としていないので禁じられている。安息日にはいかなる理由でも1000キュビト以上歩いてはならないが、家畜を連れているなら町から2000キュビトまで離れてもよい。安息日違反は『共同体の規則』では追放刑だったが、『ダマスコ文書』では懲役7年であった。追放刑が課されるときは、共同体から呪いの言葉を向けられるセレモニーがあったようである。

『ダマスコ文書』からは、町の共同体と荒野の共同体とに違いがあることが分かる。町の共同体は家族で寄り集まっているが、紺屋の共同体は孤立している。前者は町の礼拝に参加するが、後者は決してしない。前者への新規加入者は皆外部から来るが、後者へはメンバーの子供なども加入する。前者は加入まで2年の月日と2つの霊に関する指導があるが、後者はそのようなものはない。ただし両者とも自らを真のイスラエルと考え、ツァドク派の祭司によって率いられ、また10人組・50人組・100人組・1,000人組のように組織化されている。他にもさまざまな共通点があるので、両者は同じ宗教運動の別ブランチであると考えられる。

2017年8月21日月曜日

死海文書入門 Vermes, "Introduction"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 1-25.
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死海文書が発見されてすぐに、次の三つの点が一般的な合意となった。第一に、E.L. Sukenikが述べたように、クムラン共同体はエッセネ派だったこと。第二に、死海文書のほとんどは前2世紀から後1世紀に成立したこと。そして第三に、「義の教師」の敵としての「悪の祭司」はマカベア朝のヨナタンあるいはシモンであること、である。

死海文書の最初の主エディターであるR. De Vouxは、7人の若手から成る校訂版作成チームを作ったが、彼らが若すぎたことと、De Vouxの家父長的な権威主義ゆえに、期待ほどの成果を上げることができなかった。

第二の主エディターであるP. Benoitの時代の成果は貧しく、これを著者は「20世紀最大の学問的スキャンダル」と呼んでいる。組織の欠落や多忙のみならず、テクストをチームで独占する学問的帝国主義がこうした事態を招いたと言える。ハーバード大学のF.M. CrossとJ. Strugnellが写本を大学院生に割り当てて、その校訂を博士論文にさせたことも、作業の遅延を引き起こした。

第三の主エディターであるJ. Strugnellは33年間かけて一冊も出版することができなかった。また著者を含む周囲の者たちの序言を聞き入れようともしなかった。彼は結局、反ユダヤ主義的発言ゆえにエディター職を解雇された。

第四のエディターであるイマニュエル・トーヴは、チーム内のみでのテクストの独占という悪癖を抜け出せなかったが、Ben Zion WacholderとMartin Abeggによるコンピューターを用いたテクスト復元、そしてWilliam A. Moffettによる写真アーカイブの公開など、テクストの自由化を求める機運が高まった。以降は、こうした非公式での写本利用と同時に、公式の校訂版の出版が進められた。

死海文書のテクストは、エステル記以外の聖書文書、アポクリファ(アラム語およびヘブライ語のトビト記、ヘブライ語のシラ書など)、偽典(ヘブライ語ヨベル書、アラム語エノク書など)、セクト的文書(『ダマスコ文書』意外まったく新たに発見されたものばかり)などがある。

死海文書の年代の特定には、古文書学と放射性炭素測定とがある。両者共に、死海文書は一般に、前2世紀から後70年の間に成立したものだと見なしている。

洞窟で見つかった写本は、その近くにあった共同体の遺跡と関係していると一般に考えられている。またこの共同体はエッセネ派と同一視されている。このクムラン=エッセネ派説に反対する者たちは、古典テクスト(フィロン、ヨセフス、プリニウスら)の証言とクムランの実態とが微妙に食い違っている点を指摘するが、著者はやはりエッセネ派説が最も正しいと考えている。

死海文書の重要性としては、ヘブライ語およびアラム語で書かれた現存するユダヤ文献として最古のものだという点が挙げられる。アポクリファや偽典に関しては、これまでギリシア語訳のみで知られてきた文書のヘブライ語やアラム語テクストを保存している点が重要である。セクト的文書に関しては、『ダマスコ文書』以外すべての文書が新しく知られることになったものである点が重要である。

クムランでは冊子型の書物ではなく、いつも巻物型の書物が読まれていた。一点一画もゆるがせにしないマソラー本文の伝統と異なり、クムランにおける文書には流動性が見られる。文書の中では、五書、預言書、そして諸書の中で詩篇が多く引用されている。

新約学者たちはしばしば死海文書に出てくる義の教師や悪の祭司を新約聖書の登場人物と同一視した。しかしながら、著者に言わせれば、こうした議論はどれも信頼性が低いという。ただし、新約聖書と死海文書とを比較して、少なくとも次のことが言える:第一に、言語上の根本的な類似、第二に、イデオロギーの類似、第三に、ヘブライ語聖書への姿勢の類似、第四に、修道制や宗教的な晩餐、そして第五に、カリスマ的・終末論的側面などである。

2017年4月4日火曜日

トセフタについて Strack and Stemberger, "The Tosefta"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 149-63.
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「トセフタ」とは「付加・補足」を意味し、具体的には『ミシュナー』を補足する付加的な法的教えのことを指している。『トセフタ』は『ミシュナー』と構造を共にしている。ただし「アボット」、「タミッド」、「ミドット」、そして「キニーム」のみ『トセフタ』には含まれていない。『トセフタ』は『ミシュナー』より訳4倍ほど長くなっており、ミシュナー・ヘブライ語で書かれているが、アラム語やギリシア・ラテン語からの借用語も多く含む。

『トセフタ』の起源は、『バビロニア・タルムード』「サンヘドリン」86aによると、ラビ・ネヘミヤの作だとされている。ガオン・シェリラは、ラビ・ヒヤ・バル・アバ(とのその友人)が実際の著者だと説明している。ラシやマイモニデスも同様の見解を取る。多くの中世の学者たちは、「サンヘドリン」の指摘を無視し、ラビ・ヒヤおよびラビ・ホシャヤが『トセフタ』の著者だと主張する。Z. Frankelもこの伝統的な見解を受け入れているが、Ch. Albeckはこの二人のラビに帰されるのはわずかな部分に過ぎないと反論した。A. Goldbergは両者を架橋するために、『トセフタ』とは、ラビ・ネヘミヤがラビ・アキバおよびラビ・メイールの見解を補足したものを、ラビ・ヒヤが『ミシュナー』に依拠しつつ改訂・編集したものだと主張した。すなわち、『トセフタ』を『ミシュナー』への付加、あるいはそれへの注解と見なすわけである。

『トセフタ』と『ミシュナー』との関係は、幅広い議論を呼んでいる。研究史の中で、『トセフタ』は常に『ミシュナー』の補足と見なされていたので、それ自体を独立した者として取り上げた研究は少ない。両者には共観関係があるので、新約聖書の共観福音書の研究からも影響を受けている。両者の関係で言えることは、以下の7点である:
  1. 『トセフタ』は『ミシュナー』と一致しており、異なるとしてもわずかである。
  2. 『トセフタ』は『ミシュナー』では誰のものか分からない意見に名前を与えている。
  3. 『トセフタ』は『ミシュナー』の注解として機能する。
  4. 『トセフタ』は『ミシュナー』と共通の素材には直接言及しないが、そこから素材を付け加えている。
  5. 『トセフタ』は『ミシュナー』と法的議論や伝承者の名前で食い違っている。
  6. 『トセフタ』は『ミシュナー』の編成と大体同じだが、異なることもある。S. Friedmanによると、『トセフタ』は『ミシュナー』より原型に近い、原始的な編成を持っている。
  7. 『トセフタ』のスタイルは『ミシュナー』ほど洗練されていない。J. Neusnerによると、『トセフタ』は『ミシュナー』のように記憶しやすくは書かれていない。
M.S. Zuckermandelは、『トセフタ』とは『パレスチナ・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』のことを指している一方で、現存する『ミシュナー』とは『バビロニア・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』であると主張した。実際に、『パレスチナ・タルムード』はしばしば『トセフタ』と一致するが『ミシュナー』とは一致しない。彼は、逆に『パレスチナ・タルムード』が『トセフタ』と一致せず『ミシュナー』と一致するところは、テクスト上の汚染や改変があったと考えた。彼はこうした見解を基に『トセフタ』の校訂版を作成したわけだが、現在では受け入れられていない。

J.H. Duennerは、『トセフタ』とは、タルムード完成後に作成された、タルムード的バライタやタナイーム期の資料のことだと主張した。彼の見解は、Ch. AlbeckやI.H. Weissらによって受け入れられた。

A. Spanierは、A. Schwarzらの研究を受けて、『トセフタ』とは『ミシュナー』に関する特別なスコリアだと主張した。『トセフタ』の編集者は、『ミシュナー』から『トセフタ』を切り離すために、多くの箇所を付け加えたり取り去ったりした。そうすることで、新しい作品である『トセフタ』に統一感を与えようとしたのである。このようなスコリアはラビ・アキバの時代にはすでに存在し、ラビたちはそれらを『ミシュナー』に組み込んだのだった。

A. Guttmanは、『トセフタ』とは、それが『ミシュナー』を補足したり説明したり矛盾したりすることにかかわらず、『ミシュナー』に含まれていないタナイーム期の関連素材を集めた集成だと主張した。すなわち、比較的『ミシュナー』から独立した作品であると評価したのである。しかし、これはその場しのぎの議論にすぎない。

著者は、上の研究者たちのように、『トセフタ』と『ミシュナー』との関係性を全体として総合的に評価することは不可能であり、あくまでもマセヘットごとに特徴をつかんでいくしかないと述べている。著者によれば、「テルモット」では『トセフタ』は頻繁に『ミシュナー』を利用している一方で、『ミシュナー』は『トセフタ』に負うところはない。「スッコート」では、『トセフタ』は『ミシュナー』抜きでは解釈しがたいが、「イェバモット」では『ミシュナー』は明らかに『トセフタ』を想定していない。こうした観察は、『トセフタ』が『ミシュナー』に直接依拠しているというより、共通の素材があったことを示唆する。J. Neusnerは、「トホロット」において『トセフタ』は確かに『ミシュナー』の補足として理解されるが、「コダシーム」において『トセフタ』の議論は『ミシュナー』から独立している。こうした議論を重ねていくと、マセヘットごとの議論ですら大雑把に過ぎるかもしれない。

『トセフタ』とタルムードとの関係は、以下の4点が確実に言えることである:
  1. タルムードにおける『トセフタ』からの引用と言えるのは、「ヨマ」70aであるが、似た文書からの引用かもしれない。
  2. タルムード中の多くのバライタは『トセフタ』に一致する。
  3. バライタの中には、意味上は近いが言い回しは異なるものがある。
  4. タルムード中のラビたちは、『トセフタ』に親しんでいなければ出てこない解決を議論している。
こうした観察を受けて、J.N. Epsteinによれば、タルムードは『トセフタ』を別の仕方で知っていたという。『バビロニア・タルムード』のバライタはやや今日の『トセフタ』とは異なっているが、『パレスチナ・タルムード』のそれは『トセフタ』とかなり近いため、直接の関係性があるかもしれない。

一方で、Ch. Albeckによれば、タルムードのバライタが頻繁に『トセフタ』の並行箇所から外れ、また引用しそこなっているのは、タルムードの編纂者たちが『トセフタ』を知らなかったからだという。その代わりに、編纂者たちは、『トセフタ』のもととなるソースから引用したのだった。

B. De Vriesはこれらの中間の意見として、タルムードの議論における『トセフタ』の無視は、『トセフタ』への無知を意味しないと主張した。Y. Elmanは、「ペサヒーム」の研究を基に、『バビロニア・タルムード』にある『トセフタ』に似たバライタの多くは、『トセフタ』とは別に独立して受け取られたものであり、緩やかな繋がりはあるが、別の作品だと考えた。これはAlbeckの議論に近い。

『トセフタ』に関する議論は、一般的に受け入れられているものが多くない。バライタと『トセフタ』との文言が異なるのは、前者が自由に引用したからかもしれないし、直接の引用ではなく共通のソースからの引用だからかもしれない。研究史における権威であるJ. Neusnerは、『トセフタ』とは『ミシュナー』における法規の成立の歴史とは何の関係もない、『ミシュナー』以後の文書だと主張している。彼の意見も、年代によって異なるが、『トセフタ』の編纂はおそらく3世紀のアモライーム期、すなわち『ミシュナー』が完成したあとであり、かつ『パレスチナ・タルムード』よりは前のことだったと結論付けている。『ミシュナー』完成前に形成されたのは、ごくわずかな部分に過ぎない。言語的な検証から、編纂された場所はほぼ間違いなくパレスチナである。

2017年4月3日月曜日

ミシュナーについて Strack and Stemberger, "The Mishnah"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 108-48.
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「ミシュナー」とは、「学び」あるは口伝による「指導」を意味する語である。こうした一般的な文脈では、第一に、聖書テクストの解釈としてのミドラッシュ、第二に、聖書から独立して形成された法令としてのハラホット、そして第三に、非ハラハー的資料であるアガドットを指す。より具体的には、タナイームたちによって作られた宗教法を集めた文集で、ラビ・ユダ・ハナスィの手になるものを指す。教父たちがこれをデウテローシスと訳すのは、「第二のもの」という意味もあるからである。

『ミシュナー』の構成としては、6つのセデル(orders)でできており、それぞれのセデルにはマセヘット(tractates)に、それぞれのマセヘットはペレク(chapters)に、そしてそれぞれのペレクはハラホット(laws)あるいはミシュナヨットに分かれている。6つのセデルに分かれるという構造とそれぞれの名前は、『バビロニア・タルムード』「ケトゥボット」103bにも出てくるとおり、タルムード時代にはできあがっていたが、その順番はさまざまだった。マセヘットは全部で63あるが、3つの「バボット」が一つであり、また「マッコート」が「サンヘドリン」とくっついていたとすると、元来は60だったと考えられる。

あるマセヘットがどのセデルに割り当てられているかについては、通常であればそこで扱われているテーマの繋がりから理解することができるが、「ベラホット」、「ナズィール」、「エドゥヨット」、そして「アボット」に関しては説明がつきづらい。テーマ的なつながりでない場合には、法的ミドラッシュからの影響や、聖書の節の文脈から理解することもできる。『ミシュナー』の構成に、完全な一貫性や統一性を求めることは、その本質から見て期待できない。とはいえ、『ミシュナー』における資料編成の違いからは、そのもともとの資料や伝承の歴史などを分析することができる。

『ミシュナー』の起源については、987年に書かれたガオン・シェリラの手紙が参照される。これはカイロの会衆に対するガオンからのレスポンサである。ガオンによる『ミシュナー』の起源理解は、以下のようにまとめられる:
  • ラビ・ユダが『ミシュナー』を編纂した。
  • 「ウクツィン」や「エドゥヨット」のような彼以前に存在したマセヘットには、わずかな補足を施した。
  • ラビ・ユダの主たる資料はラビ・メイールのミシュナーである。
  • ラビ・メイールは師のラビ・アキバのミシュナーに基づいている。
  • ラビ・アキバは聖書時代である大シナゴーグに遡る伝承に基づいている。
  • これらの教えはすべて一致していたが、ヒレルとシャマイの時代になると異なる意見が出てきたので、文書としての『ミシュナー』が必要になった。
ユダヤ教の外部にも、これらの理解を支持する記述がある。エピファニオスによると、ユダヤ人たちの間には4つの伝承(デウテローシス)があった。第一に、モーセによるもの、第二に、ラビ・アキバによるもの、第三に、アッダあるいはユダによるもの、そして第四に、ハスモン人の息子たちによるもの、である。

『ミシュナー』と聖書解釈。口伝律法の起源に関しては、最初から口伝と成文とが共にあった(のであるから、法規はそもそも聖書由来ではない)という理解と、口伝は成文に由来する(のであるから、法規は聖書に由来するのだ)という理解とがある。N. Krochman, Z. Frankel, J. Bruell, D. Hoffmannらは、ガオン・シェリラと同様に、後者の見解を取った。J.Z. Lauterbachは、聖書に依拠するミドラッシュ的方法論に続いて、マカベア時代になると、聖書に依拠しないミシュナー的方法論が出てきたと考えた。一方で、Halevy, G. Aicher, S. Zeitlinらは、法規はそもそも聖書由来でないので、ミシュナー的方法論の方がミドラッシュ的方法論より先に出てきたと主張した。J.N. EpsteinやCh. Albeckらは中道を取り、ミシュナー的方法論とミドラッシュ的方法論とは共に存在したと主張した。

口伝律法と成文律法との歴史的な関係性を論ずることは、実際には不可能である。『ミシュナー』から分かることは、律法には三つのグループ――第一に、聖書に由来するもの、第二に、聖書から独立しているもの、そして第三に、もともと聖書から独立してできたが、のちにそれと結び合ったもの――があるということである。『ミシュナー』にはそもそも、ほとんど聖書からの引用は見られない。見られる場合も、後代の不可である可能性が高い。すなわち、概して『ミシュナー』は聖書から独立して法規を作り出してきた。

『ミシュナー』の予備的段階はどのようなものだったか。ガオン・シェリラは、ラビ・ユダ以前に「エドゥヨット」と「ウクツィン」があったことを報告している。J.N. Epsteinは、「シェカリーム」、「タミッド」、「ミドット」、「ヨマ」などは第二神殿時代から少しあとにかけて、すでに原型が存在したと主張している。これは、D. HoffmanやL. Ginzbergらによる、内容的・言語的な研究に従ったものである。これに対し、J. Neusnerは、後70年以前に『ミシュナー』が形成されていたという見解を否定的に捉えている。Ch. Albeckは、「エドゥヨット」に見られる、他のマセヘットにはない特殊性(素材の並べ方や伝承の仕方)から、「エドゥヨット」が最初期にできたものだと主張した。

ラビ・ユダ以前の段階におけるラビ・アキバの重要性は、皆が一致して認めている。Epsteinによると、ラビ・アキバが『ミシュナー』を作ったとまでは言えないが、多くの素材を提供したと認めている。同様に、その弟子であるラビ・メイールのミシュナーもまた、ラビ・ユダの『ミシュナー』の基礎になっている。こうしたことから、我々は『ミシュナー』の予備的段階に、比較的できあがった原型があったことを想像することができるが、それがそのまま伝わって今の『ミシュナー』になったとは言えない。

『ミシュナー』の編集は、伝統的にはラビ・ユダの手になるものとされているが、現在の『ミシュナー』には、その原型に多くの付加がつけられている。それは、ラビ・ユダの見解がほかの見解と比較されていたり、ラビ・ユダ以降の教師たちの見解が収められていることから分かる。これらは一般的に、『トセフタ』、法的ミドラッシュ、バライタ、そして『ミシュナー』に関するアモライームの義論などからの付加だと考えられる。いうなれば、ラビ・ユダは『ミシュナー』の編集過程における一人の主要な人物にすぎない。

『ミシュナー』のジャンル。『ミシュナー』中の誰のものか分からない見解は、しばしばラビ・ユダの見解とは異なることが多い。ラビ・ユダはなぜ自分と異なる見解を収録したのだろうか。E.Z. Melammedは、『ミシュナー』がラビ・ユダの学派の個人的な論集だからだと説明した。しかし、『ミシュナー』はそうした寄せ集めの文書なのだろうか。この問いに対して、三つの回答がある:

第一に、Ch. Albeckは、『ミシュナー』とは純粋に学問的な論集(academically oriented collection)であると主張した。すなわち、編集者は素材を集め、最も重要なものを明らかにし、そうすることで折衷的なテクストを作り上げたのである。その際に、彼はテクストを改変したり自分の見解を差し挟んだりはしなかった。編集者の目的は、実用的な法解釈を作ることではなく、目の前にある素材に手を加えずに提供することだった。『ミシュナー』にしばしば見られる反復表現、内部での矛盾などは、論集であるがゆえに自然なことである。しかし、単なる寄せ集めの論集など、当時必要とされたのかという疑問は残る。

第二に、A. Goldbergは、『ミシュナー』とは教育的な基準に基づいてデザインされた教則本(teaching manual)だと主張した。編集者の目的は、そこで扱われている法規が受け入れられたものであろうとなかろうと、学院のために公式な教則本を作ることだった。教則本として、編集者は自分の見解を入れたりはしなかった。教則本は法典のような厳格さが求められないので、『ミシュナー』にしばしば見られる論理的な瑕瑾も問題にならない。しかも教材として反復表現を用いることもごく自然である。

そして第三に、J.N. Epsteinは、『ミシュナー』とは現行の法規の代表的な判例を含む法典(legal canon)だと主張した。編集者としてのラビ・ユダは、既存の法規を改変し、付加を加え、削除し、検証し、修正したが、自分自身の見解よりは、大多数の見解を採用した。法典として、ラビ・ユダは自らの見解と異なっているものも含まなければならなかったのである。しかしながら、現代的な視点からは、『ミシュナー』は法典と言うにはあまりにも多くの矛盾を含んでいる。

これらのどれか一つを選ぶことはできないが、ラビ・ユダは『ミシュナー』を編纂することで、ユダヤ教を一つに結ぶことを目指していたと言えるだろう。

『ミシュナー』のテクスト。『ミシュナー』の出版は、公式な文書としてというよりも、いくつかのセクションを含む非公式のコピーが出回ったと考えるべきである。3世紀に『ミシュナー』のテクストがある程度固定されたあとでも、さまざまな付加が施された。文献学的には、パレスチナ型とバビロニア型があり、独立した『ミシュナー』写本はどれもパレスチナ型である。『パレスチナ・タルムード』の写本は『ミシュナー』抜きで伝えられ、『バビロニア・タルムード』は『ミシュナー』付きで伝えられてきた。

ラビ文学テクストの取り扱い Strack and Stemberger, "V. Handling Rabbinic Texts"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 45-55.
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ラビ文学が口伝として伝達されたことは、テクスト批判や批判的校訂本に方法論的な問題を引き起こした。ラビの伝承が何世紀も完璧に口伝によって伝えられたという幻想は、ラビ資料の無批判な使用を可能にしてしまったのである。歴史研究者は、事実確認をしないままにラビ文学を受け入れる一方で、明らかに事実でないと判断したところを勝手に取り除いた。思想研究者は、さまざまな記述が異なった時代に成立した事実に注意を払わず、のっぺりとした「ラビ神学」に行きついた。

ラビ文学テクストの研究にはさまざまな方法論がある。まず、文学史(Literary History)の観点からラビ文学の年代を特定することがある。このとき、我々はある作品の最終版しか語ることができないために、個々の伝承は文書全体よりも古い可能性を考慮しなければならない。この方法論では、一般に文書の著者性が問題とされるが、ラビ文学のような合成的なテクストでは不適切な議論である。テクストの年代特定においては、それが最初に引用されたのはいつなのかという、外的な証言に頼ることによって、terminus ante quemが同定される。またテクストの中で引用されているラビの中で最も新しい人物は誰か、あるいは言及されている出来事の中で最も後代のものは何か、という内的な証言に頼ることによって、terminus post quemが同定される。

文学史の中では、言語学的な検証も有効であるが、ラビ文学の場合、ラビ・ヘブライ語の儀式性や形式性ゆえに、またラビ文学が引用文学であるゆえに、さらにはラビ文学が擬古文であるゆえに、うまく機能しない。ラビ文学の文学史的研究においては、ラビ文学史の予備的な時系列を作ることがせいぜいである。その際には、タナイーム文学に優先順位がある。特にラビたちの名前に基づいて成立年代が特定され得る。また偽典、クムラン文書、新約聖書、教父文学、アラビア文学などとの比較が期待されるが、時空を隔てた諸文学の比較には注意が必要である。

文化史・宗教史(Cultural and Religious History)に基づいた研究では、テクスト解釈において、そのテクストが書かれた土地の定住の歴史、人口、経済などに注目すべきである。同時代のシナゴーグや教会、また異教の遺跡などの考古学的発見と比較すると、ラビ文学における描写はバイアスがかかっていることが分かる。ラビ・ユダヤ教とヘレニズム文化との比較は、S. Kraussらによって始められ、S. Lieberman, D. Sperber, A.A. Hallewy, H.A. Fischelらによって続けられた。特に教父文学やイスラーム文学との比較が盛んになされた。しかし、ラビ時代のパレスチナ地方のユダヤ教の多層性は十分に研究し尽されているとは言えない。

様式史(Form History)は、主に聖書学において発展してきた方法論である。M. Diberiusは福音書の様式史を明らかにしたが、H. Gunkelは旧約聖書にそれを適用しつつ、「ジャンル史(Guttungsgeschichte)」と呼んだ。「様式」が具体的なテクストの言語学的な姿のみを扱うのに対し、「ジャンル」は個別の文学的様式を、それを支配する原理や起源の状態によって同定しようとする。ラビ文学では、P. Fiebigを嚆矢に、F. Maass, J. Neusner, A. Goldberg, J. Heinemannらの研究がこの方法論を用いている。中でもNeusnerはラビ文学の「様式」を、ハラハ―的(halakhic)素材、アガダー的(haggadic)素材、注解的(exegetical)素材に分類した。

伝承史(Tradition History)は、トピックの歴史を扱うモチーフ史(Motivgeschichte)である一方で、さまざまな並行箇所を扱う共観箇所の研究(synoptic reading)でもある。この方法論による研究はあまり進んでおらず、何となれば、『ミシュナー』と『トセフタ』の共観箇所の研究すらまだ出てきていない。ただし、J. Neusnerはこの方法論がテクストの文脈を無視する点に批判的である。そして彼は、むしろ個々のラビ文学の記事の独立性を主張している。

編集史(Redaction History)は、あるテクストの最終的な編纂者の人間性や、彼の神学的な特殊性を扱う。すなわち、この方法論においては、テクストの編纂者を単なる編集者と見なさず、ほぼ著者と見なすことになる。しかしながら、ラビ文学のような合成的なテクストにおいて著者性(authorship)を語ることは不適切であることは、上で述べたとおりである。とはいえ、ラビ文学を引用文学として見たとき、編集史的アプローチは有効である。編纂者は単に無目的に引用を寄せ集めるのではなく、自身の目的を持っている。

口伝律法と成文律法 Strack and Stemberger, "IV. Oral and Written Tradition"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 31-44.
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口伝律法のコンセプトは、ラビ・ユダヤ教の基本である。口伝律法によってこそ、成文律法たる聖書は十全に適用される。この口伝律法は書かれることを禁じられていたのだろうか。この問いに対し、フランスの聖書解釈者ラッシーは是と答え、サアディアとマイモニデスは否と答えた。

口伝律法の文書化を禁じる証言としては、テムロット14b、アウグスティヌス、ヨセフスなどが通常挙げられるが、著者たちはこれらの証言は実際には文書化を禁じてはいないと解釈する。むしろ口伝律法の文書化の禁止は実用性のないドグマにすぎず、実際には禁じられていなかったという。事実、3世紀のラビたちはハガダーを書物として持っていた。またベト・シャン谷のレホブのシナゴーグの床には、法的テクストを書いたモザイクが残っている(7世紀)。ただし、こうした文書化された口伝律法は個人の使用に限られていた。

口伝律法の文書化に関する研究において、しばしば北欧のサーガ、ホメロスの叙事詩、アフリカの口承文学などとの比較研究がなされてきたが、こうした物語を扱う方法論は、アガダー研究には適用できても、法的議論には適用できない。そこで、言語学的・様式的な特徴、すなわち、統語論のパターン、基準となるフレーズ、言語的律動、共有されたキーワード、テーマ的つながりに注目する研究もなされた。

口伝律法は完全に文字通りの伝達を目的としたものではない。オリエントの人々の驚嘆すべき記憶力は、この文字通りの伝達という幻想を後押ししたが、教えを忘れることのないようにという再三の注意(ヨマ38b、メナホット99b、アボット3.8)は、実際には多くが忘れられていたことを示唆している。それゆえに、文字通りの伝達の程度を大げさに捉えてはならない。口伝律法における、長い秩序だったテクストのユニットは、文書化の仮定で出てきたものであろう。

同じ素材の口伝と成文の伝承が同時にあったことは、状況を複雑にする。『ミシュナー』の編纂者は、伝承を文書化しつつ、一方で弟子のタナイームを訓練し、その弟子たちが今度は暗記するまでそうした伝承を朗唱する。ところが、そうした弟子たちが覚えた伝承を、師である編纂者が文書化の過程で改変したり修正したりするのである。すなわち、テクストには流動性があった。

著者によれば、口伝による伝達は、その場しのぎの手段ではなかった。むしろ、第一に、口伝律法の原理は、口伝という方法においてのみ正しく伝わると考えられていたのであり、第二に、口頭での繰り返しは、そもそも『ミシュナー』というタイトルに現れているほどに重要なものだったのである。また、口伝を強調することは、聖書の正典化と表裏一体である。後代の伝承に対し、聖書を限定するために、前者を口伝として区別したのである。

2017年4月2日日曜日

法的ミドラッシュについて Kahana, "Midrashei Halakhah"

  • Menahem I. Kahana, "Midrashei Halakhah," in Encyclopaedia Judaica, 2nd edition, Vol. 14 (2006), pp. 193-204.
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法的ミドラッシュとは、タナイーム期の法的(ハラハー)資料と非法的(アガダー)資料を、トーラーの節の順に並べたものである。これに対し、同時代の『ミシュナー』や『トセフタ』は、主題に沿って解釈が並べられている。主たる現存する文書としては、出エジプト記に関する『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、レビ記の『スィフラ』、民数記の『民数記スィフレ』、申命記の『申命記スィフレ』などがあり、後代の資料から復元された文書としては、出エジプト記の『メヒルタ・デ・ラビ・シメオン・バル・ヨハイ』、民数記の『スィフレ・ズータ』、そして申命記の『申命記メヒルタ』がある。

D.Z. Hoffmanは、これらの資料を、ラビ・アキバ学派のものとラビ・イシュマエル学派のものに分類した:
  • ラビ・アキバ学派:『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『スィフレ・ズータ』、『申命記スィフレ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
  • ラビ・イシュマエル学派:『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、『民数記スィフレ』
このうち、ラビ・アキバ学派のミドラッシュはさらに以下の二つに分けられる:
  1. 『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『申命記スィフレ』
  2. 『スィフレ・ズータ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
前者はラビ・アキバ学派の古典的なミドラッシュであるのに対し、後者は独特の特徴を持ち、『ミシュナー』との繋がりが希薄である。

法的ミドラッシュにおいては、五書で言及されている法的素材のほぼすべてが扱われている。これらの文書は律法を扱うことを目的としているために、それを含まない創世記に関する注解が存在しないのである。ただし、法的ミドラッシュとは言いながらも、少しのアガダー的要素も含んでいる。

聖書の扱い。法的ミドラッシュは聖書テクストと、ラビたちによるその解釈とを明確に区別している。そこで聖書テクストをレンマとしてまず引用し、それからその節に対する解釈を述べるという構成になっている。聖書テクストを引用するので、注解もまた聖書テクストの順に行なわれる。言語的には、ミシュナー・ヘブライ語で書かれている。一つの聖書箇所に複数の注解が付されているが、多くの注解は誰の手によるものか不明である。聖書の節は、証明句として引かれたり、他の節にある矛盾を解消して新しい教えを明らかにするために引かれたりする。そうした節の機能から、法的ミドラッシュでは、神的な源泉としての聖なるテクストである聖書の完全な権威が認められている。

法的ミドラッシュ以前にも、聖書に見られる矛盾を解決しようという試みは、歴代誌、『神殿巻物』などに見られたが、これらは聖書内聖書解釈や再説聖書と呼ばれ、聖句と注解とが切り離されていない。一般に切り離されているものと見られるペシェルは、法的トピックを扱っていない。法的ミドラッシュの先駆としては、過越しの『ハガダー』や新約聖書などが挙げられる。

法的ミドラッシュと死海文書との違いは、第一に、前者は人間の解釈であるのに対し、後者は完全な権威としての神の言葉であること、第二に、前者が互いに異なるラビたちの意見を収録するのに対し、後者は統一的で一貫した解釈を提供すること、第三に、前者が単純なラビ・ヘブライ語で書かれているのに対し、後者は聖書ヘブライ語に近いこと、第四に、前者は後者よりも発展的な法的解釈を示していること、そして第五に、前者の方が後者より、聖書中のシンプルな法規からかけ離れたものを示していること、である。

こうした法的ミドラッシュの成立要因は、第一に、聖書が正典化され、それとは区別された文書がラビたちによって生み出される必要があったこと、第二に、聖書が聖なるものとされたことで、その解釈が必要とされたこと、第三に、聖書中のシンプルな法規から後代のラビたちの複雑な法規になるにつれて、法規の最新版が必要とされたこと、第四に、ラビの法規に対する外部からの反論を、文書を作っておさえる必要があったこと、第五に、ラビたち内部の議論のために、両学派が自分の見解をまとめる必要があったこと、などである。さらにはトーラー学習をローマが禁じたことで、トーラーが失われるのをラビたちが恐れたことも原因の一つと言える。

注解法の発展は、『スィフラ』に見られるヒレルの七つの注解法(ミドット)から始まる:カル・ヴァホメル(小から大へ)、グゼラー・シャヴァー(類似表現の比較)、ビンヤン・アヴ(ある箇所の法規の原型を別の箇所に発見)、シュネイ・ケトゥヴィーム(互いに矛盾する二つの節を発見)、ケラル・ウフェラット(一般と特殊を発見)、カヨツェ・ボー・ベマコム・アヘル(稀な語を別の箇所に発見)、ダヴァル・ラマッド・メインヤノ(文脈からの理解)。この注解法が、同じく『スィフラ』で、ラビ・イシュマエルによって13に増やされている。

数だけでなく、一つの注解法の意味もいくつか増やされている場合もある。グゼラー・シャヴァーはもともと二つの同じ事柄を比較することを意味したが、タナイーム期には二つの別の事柄についての法規を恣意的に比較することを意味した。またケラル・ウフェラットも、第一に、特殊のあとに来る一般、第二に、一般のあとに来る特殊、そして第三に、一般のあとに来る特殊のあとに来る一般の三種類が一緒くたにされていたが、ラビ・イシュマエルはそれぞれを区別した。

イシュマエル学派とアキバ学派との違い。イシュマエル学派の注解はアキバ学派のそれよりも穏健である。すなわち、前者がより聖書テクストに従い、そこにシンプルな意味を見出すのに対し、後者はそこから思い切って離れ、極端な解釈を引き出す。

さらに、イシュマエル学派は上の注解法に依拠して複数の節を比較するのに対し、アキバ学派は一つの節や言葉に拘って結論を出す。たとえば、本動詞と不定法とが並べられる聖書ヘブライ語独特の表現において、イシュマエル学派はそれを単なる文学的な反復と捉えるのに対し、アキバ学派はそれぞれの用法に意味があると捉える。

イシュマエル学派は、トーラーではっきりと書かれていないが引き出され得る解釈を、他の箇所の解釈に適用することを認めないが、アキバ学派はそれを認める。すなわち、アキバ学派は聖書を解釈して法規を引き出すのではなく、法規に合うように聖書を解釈するのである。

イシュマエル学派の解釈は穏健なので、性的な事柄や創造に関する議論などといった繊細な話題も扱うのに対し、アキバ学派はそもそも繊細な話題を扱うことを禁じている。というのも、アキバ学派は自分たちが極端な解釈を引き出しがちであることを知っており、それゆえに自分たちの解釈が異端者の正当化に使われることを恐れたのである。

両学派を分ける基準は、第一に、片方にしかない注解法があること、第二に、用いる用語の違い、第三に、登場する主たるラビたちの名前の違い、第四に、並行する解釈におけるわずかな差、などである。

文書の編纂。法的ミドラッシュの文書は、それぞれの学派を明確に区別せず、アキバ学派の文書の中にもイシュマエル学派の教えが引かれている。それを明示する場合もあれば、単にダヴァル・アヘルとして紹介する場合もある。ただしその紹介の仕方は恣意的であり、あえて部分的・断片的にしか紹介しないことがある。すなわち、文書の編纂者は客観的な文献学者ではなく、おそらくはその学派に属する者だったと考えられる。

アガダー的資料には、法的資料に見られるような両学派の区別はあまり見られない。両者共に、極めて似た内容およびスタイルのアガダーを含んでいる。むろん、表現や単語、アプローチの仕方、そして見解の違いなどがないわけでもない。

失われた法規。法的ミドラッシュには、『ミシュナー』、『トセフタ』、『タルムード』のバライタには見られない法規が保存されている。保存されていた理由は、第一に、反対意見すら収録するという、法的ミドラッシュの高度に発展した弁論ゆえ、第二に、編纂者がさまざまな資料を用いたため、第三に、初期の解釈を入れ込んだことゆえ、第四に、『ミシュナー』ほど優良な保存状態でなかったため、である。特に『スィフラ』には、レビ記に関する第二神殿時代の解釈が残されている。

各種タルグムは法的ミドラッシュと共通する資料を持っており、特にタルグム・ヨナタンは、法的ミドラッシュを文書として知っていたと考えらえる。アキバ学派は『ミシュナー』を頻繁に利用した。一方でイシュマエル学派はそのままでは引用せず、パラフレーズしたり短くしたりして引用した。「ミシュナー」という語自体も、アキバ学派の文書にだけ登場する。イシュマエル学派は『ミシュナー』の権威を認めていなかったのである。『トセフタ』はイシュマエル学派の代表的なラビたちにも言及している。タルムードとの関係としては、法的ミドラッシュの方がタルムードのバライタよりも、タナイームたちの教えをよく保存していると言える。そもそもアモライームは自身の説明や見解を付け加えている。注解法についても、法的ミドラッシュでは、複数の法規をひとつの聖句で説明したり、逆にひとつの法規を複数の聖句で説明したりするのに対し、タルムードでは、ひとつの聖句が秘めている法規はひとつだけなので、複数の聖句からひとつの法規を引き出すことは不可能だと考えられている。

法的ミドラッシュが編纂された場所と時間は、用いられている言語の特徴などから、イスラエルの地で、後三世紀中盤だと考えられている。すなわち、『ミシュナー』から『タルムード』への転換期である。Ben Zion Wacholderは8世紀だと主張するが、これは否定されるだろう。またイシュマエル学派の文書はバビロニアで編纂されたという説もあるが、これも疑わしい。

法的ミドラッシュの研究史は三期に分けられる:第一に、18から19世紀のユダヤ教科学の時代に、A. Geiger, L. Zunz, Z. Frankel, J.H. Weiss, M. Friedmanらが、タルムードやミドラッシュの歴史的発展、法規やミドラッシュの学ばれ方、そして法的ミドラッシュの再解釈などを研究した。第二に、19から20世紀には、I. Lewy, D. Hoffman, S. Schechter, H.S. Horovitzらが、イシュマエル学派とアキバ学派の比較、批判的校訂版の出版、失われた法的ミドラッシュの再構成などに従事した。そして第三に、現代ではJ.N. Epstein, Ch. Albeck, S. Lieberman, L. Finkelsteinらが、さらなる校訂版の出版を続けたが、『ミシュナー』や『トセフタ』への関心が強いために、法的ミドラッシュはやや無視されつつある。

関連記事

2017年3月27日月曜日

クムランの知恵文学と第二正典の知恵文学 Kampen, "Wisdom in Deuterocanonical and Cognate Literatures"

  • John Kampen, "Wisdom in Deuterocanonical and Cognate Literatures," in Canonicity, Setting, Wisdom in the Deuterocanonicals: Papers of the Jubilee Meeting of the International Conference on the Deuterocanonical Books, ed. Geza G. Xaravits, Jozsef Zsengeller, and Xaver Szabo (Deuterocanonical and Cognate Literature Studies 22; Berlin: De Gruyter, 2014), pp. 89-119.
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本論文は、第二神殿時代の知恵文学の伝統の発展を示すことを目的とする。そのために、第二正典における知恵文学とクムランからの知恵文学とを比較する。第二正典の知恵文学の例としては、パレスチナのユダヤ伝統に属する『ベン・シラ』を用いる。『ソロモンの知恵』やフィロンの著作を用いないのは、アレクサンドリアで表わされたこれらの文書は、パレスチナの伝統と大きく様相を異にするからである。

知恵、トーラー、啓示。『ベン・シラ』は「知恵」を「トーラー」と同一視している。ここでの「トーラー」には、ラビ文学や新約聖書に見られるような「法規」の意味はなく、「生きるための正しい方法」というほどの意味になっている。同書の16:24-17:23によると、三つのトーラーがあり、第一に、被造物のためのトーラー、第二に、人間に与えられたトーラー、そして第三に、イスラエルに与えられたトーラーである。これは聖書的な啓示を意味しているので、『ベン・シラ』の「トーラー」は法的というよりは啓示的・金言的であると言える。

一方で、『4Q教育』(と『4Q謎の書』)には、「トーラー」という言葉すら出てこない。これはエノク的文学の特徴と一致するものである。エノク的文学は、悪の起源、正義と義のメッセージ、創造全体の本質、そして人間性などを、「トーラー」に言及することなく扱う。またエノク的文学では、「知恵」は啓示の主題を指している。すなわち「知恵」の内容とは、創造の秩序の起源、本質、そして運命である。言い換えれば、エノク的文学において「啓示」は「トーラー」に基づかないのである。

しかしながら、エノク的文学における「知恵」はただ義人にのみ理解される一方で、『4Q教育』の「知恵」は、「存在の謎(ラズ・ニヒイェ)」を学ぶ者(=メビン)によって理解される。「存在の謎」とは、人間性への基本的な真理を神が打ち立てるときに用いる道具として、過去・現在・未来で構成されている。このメビンは、「霊の人(people of spirit)」として永遠の天使的な状態へと入ることができるが、「肉の霊(spirit of flesh)」と共にある者たちは、それを可能にする知識を得ることができない。それゆえに、メビンたちの間にあることが存在の謎の理解を発展させるために必要なのである。

著者の社会的な位置に関しては、『ベン・シラ』と『第一エノク書』は共通して、「書記(scribe)」である。というのも、両者は祭司制に関心を持つ共同体を反映したテクストだからである。文書の作者たちは、当時の神殿や祭司制について批判的であった。

金持ちと貧困者。さらに、金持ちと貧困者に対する態度においても、これらの文書は異なっている。『ベン・シラ』は貧困が問題とされている時代の文書であるため、貧困者たちの扱いに正義を求める責任感に言及している。しかし、現実的な貧困者は出てこない。『第一エノク書』は金持ちに対して批判的であり、悪と不正義と同一視している。すなわち、『第一エノク書』において、金持ちの反対は貧困者ではなく、義人なのである。さらに、ダニエル書はイザヤ者のしもべの歌の文脈で悪人と賢者とを対比させている。賢者を扱う点で、ダニエル書もまた『ベン・シラ』と同様に、書記の共同体のような教育のあるエリートの価値観を反映していると言える。

一方で、『4Q教育』は貧困者に向けて書かれている。貧乏でも、存在の謎を学び、義へと歩むことで、神は栄光を与え、貧困から頭を上げてくれる、というのである。聖書や初期の非聖書文学において、これほど直接的に貧困にある人間に向かって書かれた文書はない。そうした貧しさを、『4Q教育』はמחסורという言葉で表わしている。この「貧困者としての受け手に向けられている」という点が、『4Q教育』を、『ベン・シラ』、『第一エノク書』、そしてダニエル書から切り離している。

宗派性。『4Q教育』の宗派性を調べるためには、特徴的な用語を調べるのが有効である。ホフマーという語は、クムラン文書には比較的少なく、宗派的テクストに限ってはより少ない。ダアットとセヘルという語は、クムランの宗派的テクストに特に多い語である。さらに、エメットという語は、クムラン文書に極めて多く見られ、特に宗派的テクストに多い。『4Q教育』にもエメットという語が多いため、Devorah Dimantは同書を宗派的テクストだと考えている(ヘブライ語聖書の知恵文学には少ない)。論文著者は、そこまでは明言しないが、『4Q教育』がクムランの宗派的な作者たちに大きな影響を与えていたと述べている。

こうしたことから、ヘブライ語聖書と同根の知恵文学の伝統において、極めて異なった発展が、すでに前2世紀の段階で見られると言うことができる。

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2017年3月26日日曜日

4Q教育について Goff, 4QInstruction

  • Matthew J. Goff, 4QInstruction (Atlanta: Society of Biblical Literature, 2013), pp. 1-29.
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『4Q教育』は、クムランで発見された最も長い知恵文学である。425以上の断片があるが、重要なのは15ほどである。こうした断片は、おそらく7から8つの写本に由来すると考えられている。『4Q教育』には物語などはなく、教訓的な教えがゆるやかに集められている。宗派的な用語への無関心から見て、作者も、想定される読者も、おそらくクムラン共同体の者たちではない。一方で、読者たちは何らかの別の宗派だったとも考えられる。成立は、黙示的な要素が含まれていることから見て、前2世紀と考えられる。

重要なキーワードとして、רז נהיה(the mystery that is to be)は「教えの受け手に明らかにされた超自然的な啓示」を、מבין(understanding one)は「教えの受け手である学び手」を、אוטは「受け手に入手可能な素材(?)」を、המשיל(to give dominion)は「神がメビンに栄光の遺産を遺すこと」を、חפץ(desire)は「受け手が物質を求めること」を、מחסור(lack)は「受け手が物質を得ることができないこと」を、מולד(birth time)は「ある者が生まれたときのしるし」を、פקודה(visitation)は「終末の裁き」を表わしている。

スタイルとしては、二人称単数で受け手であるメビニームに語り掛けている。この二人称単数は修辞的な工夫として、相手に対してより人間的に語り掛けている印象を与える役割を持っている。他にも、パラレリズムや独特の接続詞の用法などが『4Q教育』のスタイル的特徴として挙げられる。

ジャンルは教訓的文学であり、特定のトピックに関する教育を与えつつ、読者が知識を学び得たいと思うようにしている。扱う内容は日常的なことから思索的なことまであり、箴言、ヨブ記、コヘレト書、『ベン・シラ』、『ソロモンの知恵』などとの類似が見られる。教えの受け手がメビンと呼ばれていることから、誰か学び考えている者に対して語り掛けていることが分かる。箴言と『4Q教育』とが、似たようなイメージを用いて金銭に関わる教えを説いていることから、後者の著者は箴言を読んでいたと思われる。

啓示、終末、決定論。『4Q教育』で重要な用語はラズ・ニヒイェである。これはヘブライ語聖書には出てこず、それ以外のユダヤ文学では『4Q謎の書』に二回と『共同体の規則』に一回出てくるのみである。この用語は終末論的な裁きと関連しており、それまでに学ばれなければならないことや、受け手が知恵を獲得するための方法を意味する。ラズという語はダニエル書や『第一エノク書』などといった黙示文学でしばしば用いられており、天に由来する知識を表わし、それに二ヒイェがつくことで、明らかにされた謎が過去・現在・未来までのすべての時間に関わっていることを表わしている。

メビン。『ベン・シラ』が知識層を相手にしているのに対し、『4Q教育』が語り掛けるメビンは、借金の方法などが扱われている点から見て、農夫や職人のような貧しい者たちである。それゆえに、『4Q教育』は宴会でのエチケットや権力者の前でのスピーチなどについては語らない。ただしこのときの「貧しさ」とは、経済的な貧しさのみならず、倫理的な貧しさをも意味することがある。教えを受けたメビンたちは、天使たちの住む天的な世界へと入り得る資格を得る。その時点でメビンは肉体のある霊ではなくなる。メビンが天使的な力を持つことで、第一に、なぜ天的な啓示が彼に示されたかが分かり、第二に、祝福された死後の世界を持つ可能性を得る。創1-3のエデンの園の逸話に従い、『4Q教育』は、メビンがラズ・ニヒイェの学びを通して善悪の知識、すなわちアダムが園においてもともと持っていた知識を得ることができると説明する。

黙示的な世界観を持った知恵文学。『4Q教育』に見られる終末論や死後の世界といった黙示的な世界観は、箴言のような知恵文学とは遠いものである(『ベン・シラ』や『ソロモンの知恵』にはある程度の黙示的要素が見られる)。『4Q教育』においては、知恵文学的伝統と黙示文学的伝統がはっきりと繋げられているのである。しかも、他の古い知恵文学は、神とその創造を理解するために、理性的な考察を超える方法を用いようとするが、『4Q教育』はラズ・ニヒイェを学ぶことで世界を理解すべきだと主張する。とはいえ、『4Q教育』を初期ユダヤ知恵文学から外れたものと捉えるのではなく、そのジャンルがいかに広い幅を持っていたかということを考えるべきである。この伝統はマタイ福音書やルカ福音書にも通ずる。

神殿巻物について Crawford, "The Temple Scroll"

  • Sidnie White Crawford, "Ch. 5: The Temple Scroll," in idem, Rewriting Scripture in Second Temple Times (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2008), 84-104.
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『神殿巻物』の写本としては、11QTemple-a, 11QTemple-b, 11QTemple-c?, 4QRouleau du Temple, 4Q365aなどがある。このうち11QTemple-aは、クムラン洞窟で発見された文書の中で最も長い巻物である。

カテゴリー。『神殿巻物』は、そのもととなる聖書テクストと同じ権威を持つものとして自らを位置づけている。そういう点では、『ヨベル書』と同じように、偽典のカテゴリーに入れることができる。ただし、『神殿巻物』は『ヨベル書』よりも大胆なことに、神がシナイ山の上のモーセに直接一人称で語っている体で書かれている。それゆえに、もとの聖書テクストで三人称で書かれているところが、『神殿巻物』では一人称になる。

『ヨベル書』と同じように、『神殿巻物』は、別物と言うに十分なほど五書の基礎テクストからかけ離れている。また両者は共にシナイ山におけるモーセへの啓示の間のことと設定されている。一方で、『神殿巻物』は『ヨベル書』と異なり、物語部分が一切なく、全体が律法の書になっている。すなわち、再説聖書を拡張された聖書物語だと定義したG. Vermesの定義を、『神殿巻物』は広げることになった。

『神殿巻物』の作者/編者は、混合(conflation)、調和(harmonization)、修正(modification)、付加(addition)といったテクニックを用いて、この新しい律法書に五書以外の伝承を加えた。ただし、『神殿巻物』はすでに存在しているトーラーに取って代わるものではなく、その横に寄り添いつつ補完するものと見なされていた。

権威の有無。『神殿巻物』が共同体において権威ある文書と見なされていたかどうかははっきりとは分からない。ある文書が権威を持っていたことは、第一に、自らを権威あるものとして語っていること、第二に、他の宗派的テクストの中で権威あるものとして引用・暗示されていること、そして第三に、複数の写本が写されていることなどによって証明されるが、『神殿巻物』に関してはこのうち第一の基準しか満たしていない。そこで、『神殿巻物』は権威ある書物だった可能性があるとしか言えないのである。

成立年代。見つかっている写本の中で、4QRouleau du Templeが前150-前125年のものだとすると、『神殿巻物』の原型はクムラン共同体の成立以前に存在したことになる。つまり、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『アラム語レビ文書』などと同様に、『神殿巻物』も祭司的・レビ的サークルによって第二神殿時代に書かれ、クムラン共同体によって保存されていたと考えられる。保存といっても、4QRT以降しばらく共同体は『神殿巻物』に関心を示さず、おそらくヘロデ王による神殿再建やパリサイ派の台頭などといった同時代の出来事を受けて、同書を再評価し、11QTemple-a(前25年-後25年)と-b(後20-50年)を作成したと考えられる。

資料と内容。『神殿巻物』は合成テクストだと考えられる。Andrew WilsonとLawrence Willsは5つのソースを想定し、Michael Wiseは4つのソースを想定している。著者は4つのソース――神殿資料(3-13, 30-47欄)、祭暦(13-30欄)、清浄規定集成(48-51欄)、申命記的パラフレーズ(51-66欄)――に序文を加えた5セクションを想定している。『神殿巻物』は出34における、モーセがシナイ山の上で二つ目の契約を受け取るところから始まる。その理由は、第一に、同箇所で神がモーセに一人称で語っているからであり、第二に、二つ目の契約から始めることで、それ以降のすべての律法が永遠に有効になるからである。さらにここには申7:25-26もまた織り込まれている。このように、文書作者は、混合、調和、修正、付加といったテクニックを活用している。

神殿資料。この部分では、巨大な神殿の見取り図が示される。これは、幕屋(出25-27)、ソロモン神殿(王上6)、そしてエゼキエル神殿(エゼ40-48)を基にしている。その後、神殿にある中庭の描写に移る。ここで『神殿巻物』は、通常であれば二つあると説明される中庭が三つある(祭司とレビ人のみ入る内庭、二十歳以上のイスラエル人が入る中庭、イスラエル人の女性、子供、改宗者が入る外庭)と述べている。非イスラエル人のための庭はない。

祭暦。この部分では、神殿祭儀とさまざまな祭礼について説明されている。その基本テクストである民28-29とレビ23とに、作者は二つの発明を加えている。第一に、祭司の任命のための祭りと、第二に、初物の収穫祭(大麦、小麦、葡萄酒、油)である。こうした祭りを加えることにより、作者はレビ記の暦と民数記の暦とを調和させている。『神殿巻物』の暦は、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『律法儀礼遵守論(4QMMT)』などと同じ364日の太陽暦である。

清浄規定。この部分について、Andrew WilsonとLawrence Willsは別の資料であると指摘したが、Michael Wiseは作者がいくつかの清浄規定を引いてきて、神殿資料の間に入れたのだと説明した。ここで文書作者はmaximalistのアプローチを取り、既存の清浄規定を極めて広い範囲に当てはめて解釈している。たとえば、出18:14-15で「女性のそばによってはならない」とされていることを、妻と性交して射精した者は三日間神殿の町へと入ってはならない(45:11-12欄)と拡大解釈している。同様の解釈は『ダマスコ文書』(12:1-2)にも見られる。これは、4QMMTを含む、祭司的・レビ的な解釈伝統の特徴である。

申命記的パラフレーズ。Lawrence Schiffmanによると、この部分で申命記が基本テクストとして機能しているが、文書作者は五書の他の文書や他の聖書文書からの素材を織り込んで、自らの神学的目的に合うような申命記の解釈を作り出したという。作者は単純に申命記を引用したり、他の五書テクストと調和させたり、解釈を付け加えたり、さらに法的資料を付け加えたりしている。ただし、作者が用いた申命記が現在のマソラー本文と同じものだとは言えないことには注意すべきである。またここでのパラフレーズは、『神殿巻物』が申命記に取って代わることを意図しているのではなく、それに寄り添い、同程度の権威を持って、シナイ山におけるモーセへの神の顕現を示すことを意図している。

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2017年3月25日土曜日

クムラン・ヘブライ語の特徴 Reymond, Qumran Hebrew

  • Eric D. Reymond, Qumran Hebrew: An Overview or Orthography, Phonology, and Morphology (Atlanta: Society of Biblical Literature, 2014).
Qumran Hebrew: An Overview of Orthography, Phonology, and Morphology (Society of Biblical Literature Resourses for Biblical Study)Qumran Hebrew: An Overview of Orthography, Phonology, and Morphology (Society of Biblical Literature Resourses for Biblical Study)
Eric D. Reymond

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クムランで発見された写本群のヘブライ語に関しては、これまで代表的なものとして、Elisha Qimron, Hebrew of the Dead Sea Scrolls (1986)と、E.Y. Kutscher, The Language and Linguistic Background of the Complete Isaiah Scroll (1974)などが挙げられるが、本書はこれらを批判的に乗り越えようとした一冊である。ここでは、General Remarks (pp. 13-21)とConclusions (pp. 225-34)をまとめておく。

死海文書のヘブライ語は、マソラー本文に見られる標準聖書ヘブライ語、後期聖書ヘブライ語、ミシュナー・ヘブライ語、サマリア・ヘブライ語、そしてバビロニア伝統のヘブライ語などとの関係がある。むろん一方では、クムラン・ヘブライ語にしか見られないような特徴もある。

自然言語か人工言語か。研究者たちは、クムラン・ヘブライ語の特徴をさまざまに描こうとしている。Kutcher, Qimron, Shelomo Moragらによれば、クムラン・ヘブライ語は、文書の著者たちの自然言語(日常の意思疎通のために自然と発展した言語)だとされている。同様のアプローチで、Joshua Blauは、クムラン・ヘブライ語を後期聖書ヘブライ語に基づいた文学的イディオムだと説明した。一方で、Chaim Rabinをはじめ、William M. Schniedewind, Gary A. Rendsburg, James H. Charlesworthらは、クムラン・ヘブライ語は人工的かつ擬古的な言語と見なされるべきだと考えた。すなわち、彼らはクムラン・ヘブライ語は文書を書いた者たちの話し言葉ではなく、anti-languageだと見なしているのである。

話し言葉か書き言葉か。クムラン・ヘブライ語に見られる特異な正書法の中に、ある研究者たちは話し言葉と書き言葉の併存、すなわちダイグロシアを見る場合もあるが、Jacobus A. Naudeは、こうした二極化は単純すぎる説明であり、言語的なバリエーションにはさまざまな要因が影響すると反論した。

アラム語の影響か。クムラン・ヘブライ語に見られるいくつかの特徴をもとに、ある研究者たちは、文書の著者たちがアラム語の知識を持っていたこと指摘しようとする。ただし、同じことは、アラム語とヘブライ語との間でそもそも共有されている、通常の言語的発展の結果からも説明することができる。

こうした問題点を意識した上で、Joshua Blauによれば、クムラン・ヘブライ語は、人工的な聖書ヘブライ語の最終段階を反映しており、同時にアラム語やミシュナー・ヘブライ語といった話し言葉の影響にも曝されているのだという。

本書の著者は、クムラン・ヘブライ語における、自然言語の部分と人工言語の部分の併存、文書の著者の話し言葉の影響、アラム語化の傾向、擬古文的な傾向、標準聖書ヘブライ語の正書法の模倣と、それからの逸脱、写字生の正書法の異なった伝統などを認めつつも、いくつかの独自の見解を披露している。

まず、明らかに写字生の誤りと思われる箇所が多数あるので、ある一か所に独特の表現が出てきているからといって、それを基にしてクムラン・ヘブライ語の文法の特徴を一般化することは不適切であるという。

次に、1QIsaa, IQS, 4Q107などといった例外を除いて、アラム語の影響はわずかだという指摘である。むろんまったくないわけではないが、それはおそらく文書作者や写字生がバイリンガルだったことに起因するものであり、死海文書全体に普及しているわけではない。

そして、マソラー本文との親和性である。著者によれば、クムラン・ヘブライ語は、後期聖書ヘブライ語やマソラー本文のヘブライ語と共通の遺産を引き継いでおり、頻繁に見られる類似した特徴からは、クムラン・ヘブライ語とマソラー本文のそれとの通時的な発展が予想される。

2017年3月20日月曜日

セルウィウスの「ヒストリア」理解 Dietz, Historia in the Commentry of Servius

  • David B. Dietz, "Historia in the Commentary of Servius," Transactions of the American Philological Association 125 (1995), pp. 61-97.

本論文は、ウェルギリウスの注解者であるセルウィウスが用いる「ヒストリア」という言葉がさまざまな意味を持っていること、そしてそれらが古代の文学的・歴史的理論および実践を反映していることを明らかにしたものである。

セルウィウスの校訂版テクストには、古いが完成しているThilo-Hagen版と、新しいが未完成のHarvard版がある。またそもそもそのテクスト自体に、短い版と長い版(Servius Danielisと呼ばれる)とがある。研究者たちは、長い版は短い版のソースではなく、共通の資料の発展の結果だと考えている。またある研究者たちは、長い版のソースは存在しないアエリウス・ドナトゥスの注解だと考えているが、最近では疑問視されている。

ヒストリアに関連して、クインティリアヌス(およびキケローと『ヘレンニウスへの修辞』)は、fabulaとargumentumをも加えて三区分としている。
  • ヒストリア:事実(factual)かつ現実的(realistic)な過去の出来事の語り。
  • ファーブラ:非事実(non-factual)かつ非現実的(unrealistic)な語り。悲劇や詩歌に適している。
  • アルグメントゥム:非事実(non-factual)だが現実的(realistic)な語り。喜劇に適している。
これに対し、セルウィウス(『アエネーイス注解』1.235)は、上の定義を次のように改変している:
知らなければならないのは、ファーブラとアルグメントゥムの間、すなわちヒストリアが次のように異なっていることである。ファーブラとは、それが事実であろうとなかろうと、自然に反して(contra naturam)言われていることを指している。ちょうどパシファエについてのように。一方で、ヒストリアとは、それが事実であろうとなかろうと、自然に即して(secundum naturam)言われている何らかのことを指している。ちょうどファイドラについてのように。
セルウィウスによれば、アルグメントゥムがヒストリアに吸収されることで、議論がヒストリアとファーブラとの二区分に収斂するという。セルウィウスによるアルグメントゥムの用法は、クインティリアヌスと異なり喜劇のような劇作上の文脈がなくなり、多くの場合は「証明」や「推論」といった蓋然性(probability)を表わす修辞的・論理的な文脈と関係している。そしてこの「蓋然性(λόγος/ratio)」という要素こそが、セルウィウスにとって、ヒストリアにはあるがファーブラにはないものの一つだった。また、ヒストリアにしかないもうひとつの要素が「自然さ(φύσις/natura)」である。つまり、ヒストリアが自然である(secundum naturam)のに対し、ファーブラは自然でない(contra naturam)のである。

つまり、セルウィウスによる区分は次のようになる:
  • ファーブラ:不自然(unnatural)かつ非現実的(unrealistic)な語り。
  • ヒストリア:自然(natural)かつ現実的(realistic)な語り。
いわばヒストリアについて、クインティリアヌスは基本的に現実に起こった過去の出来事(res gesta/factum)のことだと考えているのに対し、セルウィウスはそれをある程度受け継ぎつつ、さらに独自の見解として、実際に起こった事実であるかどうかに関わらず、第一に「あり得そうな/現実的な(argumentum)」、そして第二に「自然な/物理的な(secundum naturam)」語りだと考えている。つまり、セルウィウスにとってヒストリアは、事実性を問題とする現代的な意味での「歴史」ではない。また、ヘロドトスらに見られるような「自然に関する批判的な研究」という意味でもない。

セルウィウスは、ヒストリアを実際に起こった出来事に限定していないので、あり得ないような神話的な出来事(ファーブラ)でも、それがあり得るように合理化されればヒストリアと見なすことを許容している。こうした標準化の手法(normalizing methodology)は、古代の歴史学や詩歌の常套手段でもあった。それゆえに、たとえば作中に神からの干渉が見られる場合、それは拒絶されるか、エウヘメリズム的に解釈することであり得なさを減らされた。すなわち、神話的な物語は寓意的解釈の結果として、究極的には自然界にあるものを意味していると見なされたのである(nature allegory)。

現代的な意味での客観的・歴史学的な基準でなく、ある出来事があり得るかどうか(argumentum)、そして自然であるかどうか(natura)、さらには時系列や物語が一貫しているかどうかを基準にしているので、セルウィウスの注解は歴史的知識を欠いている。なぜなら、彼はそれが実際の出来事であるかどうかという歴史的な関心ではなく、文学的な関心のみを持っていたからである。

ある物語が現実的であるかどうかや自然であるかどうかではなく、時系列や物語が一貫しているかどうかをもとにヒストリアを語るときには、ファーブラの代わりに「叙事詩(heroicum)」が比較の対象となるときがある。すなわち、ヒストリアが実際の出来事であるかどうかにかかわらず「真実(veritas)」を語るときには、詩歌が「虚偽(fictus)」を代表するのである。

ちなみに、より遠く離れた歴史的事実を書いた文書(annales)を語るときには、同時代の歴史的事実を書いた文書としてヒストリアという語を使うときもある。ヒストリアはこの文脈においては、自分で見ることができることを書いたものを指すのである。

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2017年3月13日月曜日

小高訳オリゲネス『諸原理について』第4巻抜粋

  • 小高毅訳『オリゲネス:「諸原理について」』(キリスト教古典叢書9)創文社、1978年。
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オリゲネス『諸原理について』第4巻における聖書解釈に関する記述を抜粋しておく。

4.1.7 (pp. 283-84)
我々の弱い理解力が個々の言葉の下に秘められ、隠されている意味を見きわめ得ないからといって、聖書がその全体にわたって霊感によるものであるのを否認してはならない。なぜなら、〔聖書の〕粗末な言葉という器のうちい神的知恵の宝が隠されているからである。……実際、我々の書物〔聖書〕が、修辞学の手法とか哲学的明敏さをもって記述されることで人々を信ずべく誘引したのであったなら、疑いもなく、我々の信仰は、神の力に基づかず、言葉の巧妙さ及び人間的知恵に基づくものとみなされるだろう。

4.2.4 (p. 289)
各自がその魂のうちに聖書の理解を三回記すべきなのである。それは、まず単純な人々が、いわば聖書のからだそのもの――聖書の普通の歴史的意味を、ここで聖書のからだと呼んでいる――によって教化されるためであり、次にある程度進歩し始め、より一層深く洞察しうる人々が聖書の魂そのものによって教化されるためであり、ついに完全な人々、使徒〔パウロ〕が「しかし我々は完全な人々の間では知恵を語る。この知恵は、この世のものではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。むしろ我々が語るのは、隠された秘儀としての神の知恵である。それは神が、我々の受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれあものである」と言っているような人々が、「来るべき良いことの陰影をやどす」霊的律法によって、いわば霊によって教化されるためである。したがって、人間が身体と魂と霊によって構成されていると言われるように、人間の救いのために神の賜物として与えられた聖書も〔同様に構成されているのである〕。

4.2.5 (p. 290)
しかしながら、聖書のある箇所においては、「からだ」と言った〔意味〕、すなわち適切な歴史的な意味が存在しない場合があるのを知っておかねばならない。……そのような箇所には、先に聖書の「魂」及び「霊」と呼んだ意味のみが求められるべきである。

4.2.9 (pp. 294-95)
神の知恵は、不可能なことや辻褄の合わないことに関する話を途中に挿入して、文字通りの理解の上で、妨げあるいは中断ともなるものを〔聖書に〕挿入した。それは、叙述の中断が、障害物のように、読者の行く手をさえぎるためである。この障害物は、通俗的な理解の道を進むのをはばみ、〔この道を進むのを〕拒絶され引き返すのを余儀なくされた我々を、別の道の入り口に呼びもどし、こうして狭い小径の入り口を潜り抜け、一層高度な卓抜した道を通って神的知識の測り難い広がりへと導くためである。

4.2.9 (p. 295)
聖霊は、歴史上起こったある出来事が霊的意味を伝えるのに適しているのを見たときに、常により深い秘められた意味を隠しつつ、両者〔つまり歴史的意味と霊的意味〕を一つの叙述の中に含ませた。しかし歴史上の出来事の記述が霊的〔意味〕の一貫性に適合し得ない場合には、時として聖霊は、実際に起こらなかったこと、つまりあるいは全く起こり得ない出来事、あるいは起こりうるが実際には起こらなかったこと出来事の話をも聖書に挿入した。時としては、文字通りの意味では真理として認められ得ないと思われる若干の表現を挿入し、またある時には、そのような表現を数多く挿入した。……聖霊がこれらすべてのことを挿入したのは、我々が、一見真実でも有益でもあり得ないと思われることから、繰り返し、入念に、徹底的に、より深い真理を見きわめるべく導かれ、神からの霊感によって書かれたものと信じられている聖書のうちに、神にふさわしい意味を探究するよう刺激されるためである。

4.3.4 (pp. 299-300)
しかしながら、聖書の記述のあるものは実際の出来事ではあるまいと見なしているからといって、聖書の記述は何一つとして実際の出来事を述べていないと、私が主張しているとはとらないでほしい。また、不条理で遵守不能であるから、ある戒めは文字通りに遵守するのは不可能であると言ったからといって、律法の戒めは何一つとして価値がないと主張しているととらないでほしい。また救い主に関して書かれた事柄が、感覚的な形でも起こったということを私が否定したり、彼の戒めを文字通りに遵守する必要がないと考えたりしているととらないでほしい。大部分の場合、歴史的な意味を真実として認めうるし、認めねばならないというのが、私の意見であるとはっきり言っておこう。……単に霊的な意味のみを有している〔記述〕よりも、歴史的な意味をも固辞している〔記述〕の方が、遙かに多いのである。

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2017年3月8日水曜日

アレクサンドリアの非寓意的解釈者たち Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #4

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 189-98.

フィロンは、テクストの字義的意味のみを重視する者たちのことを、ソフィスタイ(σοφισταί)と呼んだ。こうした者たちに関する情報は、第一に、フィロンの著作における数多くの暗示、第二に、エウセビオスによって断片的に引用されている異教の民俗学者アレクサンデル・ポリュヒストルによる言及、そして第三に、偽フィロンの説教において見ることができる。

そうした字義的アプローチを取る注釈家には、デメトリオス、エウポレモス、アルタパノス、注釈家アリステアス、長老フィロン、クレオデモス/マルカスなどがいる。デメトリオスは、我々が知る限りギリシア語で書いた最初のユダヤ人作家であり、特に聖書の時系列に関心を持っていた。アルタパノスは、モーセとイスラエル民族の歴史に関する小説を書き、モーセとムーサイオスを同一人物だと見なすエウヘメリズムを用いるほど、異教との交わりを躊躇しなかった。アリステアスは、ヨブ記をミドラッシュ的に拡張したことで知られている。

偽フィロン。本稿で扱われているのは、フィロンの著作としてアルメニア語訳が伝えられているが、明らかに別人のために偽フィロンと呼ばれている人物の説教(『ヨナについて』と『サムソンについて』)である。これらは口伝的かつアジア主義的特徴を持つエンコーミオン(称賛演説)としての説教だと見なされている。説教はのちにキリスト教会で受け継がれるが、発明したのはユダヤ人であった。異教徒はホメロスを公の場で解釈することはなかった。

フィロンとの違い。偽フィロンの説教がフィロンと違うのは、第一に、偽フィロンは文学ではなく演説であること、第二に、律法に限らず、預言書などに関連する拡張を持っていること(ハフタラー)、そして第三に、ユーモアと鮮烈なイメージを持っていることなどである。こうした説教は、女性を含む会衆を楽しませるためのものだった。それゆえ即興的な演説(αὐτοσχέδιος/αὐτοσχεδίαστος λόγος)だったと考えられる。偽フィロンはホメロスやプラトン、またストア哲学を知っていた。彼は聖書の神話的な要素を合理化し、儀礼を倫理化しようとした。また明確な正典意識を持っていたようで、七十人訳をテクストとして用いながらも、ヘブライ語聖書における正典からのみ引用した。

非寓意的・歴史的解釈。偽フィロンの説教には寓意的解釈が見られない。聖書文書は歴史として扱われている。偽フィロンは自身のテクストの科学的な文脈をアップデートすることに関心がなかったので、寓意的解釈を用いる必要もなかったのである。彼の字義的解釈は、フィロンの問答形式の著作に見られる字義的解釈と同様の洗練を見せている。

こうした説教を著者は物語神学(narrative theology)の例と見なしている。すなわち、聖書テクストをより詳細に語り、またさまざまな種類の演説や対話を散らすことによって、聖書テクストを拡張することである。いわば、ラビ文学におけるミドラッシュにも類似性がある。それゆえに、「ヘレニズム的ミドラッシュ(Hellenistic midrash)」という用語を新たに作ってもいいかもしれない。ただし、偽フィロンの説教は、ヘブライ語のミドラッシュのように関連の連鎖からできているわけではなく、全体的な構造を提供する修辞的な基盤の上に出来上がっている。また特に『サムソンについて』は、ユダヤ教やキリスト教に見られる聖者伝説の嚆矢となる伝記的な称賛演説(biographical encomium)とも言える。

まとめ
アレクサンドリアのユダヤ教は、字義的、寓意的、類型的な方法論を発展させ、そうして行なった聖書解釈を口頭でも文書でも伝える形式を作り出した。その先行者は前2世紀のホメロス解釈者たちであった。ホメロスは、モーセと共に、後4世紀のポルフュリオスやユリアヌスの時代までライバルとして解釈され続けた。その後、寓意的解釈は教会において発展することになった。一方で、アレクサンドリアのディアスポラのユダヤ人たちは、たった一人の歴史家をも生み出さなかったイスラエルの地の賢者たちよりは、聖書の歴史的側面に関心を持っていた。事実、偽フィロンの説教は歴史を解釈しようとする試みであったし、ヨセフス(およびフィロン)は史書を著した。ただし、彼らはハラハー(法)的側面については、ほとんど寄与することがなかった。字義的解釈を残しつつ、自由に寓意的解釈をしたアレクサンドリアのユダヤ人たちの方法論は、ユスティノス、クレメンス、そしてオリゲネスらキリスト教の教父たちによって模倣された。しかしながら、ラビと呼ばれるユダヤ賢者たちは、ギリシアの遺産を受け継ぐことはなかった。

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2017年3月7日火曜日

フィロンの聖書解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #3

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 162-89.

フィロンが受けたギリシア語教育は極めて広範なものだったが、現実の科学と批判的な文献学については、他のアレクサンドリアのユダヤ人同様あまり通じていなかった。彼は開かれた性格であったため、しばしば劇場を訪れたが、一方でエルサレムに巡礼に行くような敬虔さも持ち合わせていた。またフィロンは、アレクサンドリアのユダヤ人の代表者であった。

フィロンは異教徒作家からの長い引用は避け、引用するにしてもホメロス、ピンダロス、プラトン、エウリピデスからのみ引用した。彼は他のユダヤ人作家には決して言及しなかった。フィロンにとって、字義通りの意味よりもより深遠な意味の方が重要だったが、かといって律法の字義的な遵守を放棄することもなかった。フィロンにはヘブライ語能力はなかった。ただし、ヘブライ語の用語や人名に関する語源学的なハンドブックを持っていたと考えられる。

フィロンの著作ジャンルは、1)問答、2)創世記の寓意的注解、3)律法解説、4)その他のテーマ別著作、5)歴史的・護教的著作に分けることができる。これらフィロンの著作の全体に寓意的解釈は行き渡っているが、聖書テクストへの言及の仕方が違う。またエウセビオスの引用のみで伝わっている『ヒュポテティカ』と『ユダヤ人のための弁明』という著作もあった。問答形式では、まず字義的な解釈をしたあとに寓意的解釈(自然的な場合と倫理的な場合がある)へと進むという複数アプローチを取った。寓意的注解では、はっきりと寓意的解釈に比重が置かれ、しばしば字義的解釈は否定される。律法解説では、聖書本文と解説とはゆるやかにしか繋がっておらず、創造から終末への普遍的な歴史の中で寓意的に律法が解き明かされる。

フィロンは神理解において神人同型説を避けている。存在する者たるホ・オーンは動きも感情も悪も超越し、物質と接触しない不可感な存在なのである。ではそのような超越的な神がどのように世界に影響を与えるかというと、それは神の力(δύναμις)が代わりにするのである。このように、フィロンの宇宙論において、神は超越的(プラトン主義)であると共に内在的(ストア派)である。フィロン自身はそこに、神の力の二元論という要素を加えた。すなわち、神を表わすときの「主(κύριος)」は力の展開や裁きを意味しており、「神(θεός)」は創造的活動や恵みを意味しているという考え方である。同様の二元論はラビ文学にも見られるが、そこでは逆に、「主(אדני)」が恵みを、「神(אלהים)」が裁きを表わしている。

霊感説。フィロンにとって、五書の著者は神ではなくモーセである。しかしモーセは単なる律法制定者ではなく預言者でもある。十戒を受けたときなど、モーセは神の力の機械的な反響として働くばかりであり、そこにモーセの意志は介在しない。フィロンの理解では、霊感は人間側のいかなる知的営為も認めず、ストア派宇宙論におけるプネウマのような力によって、機械的な因果関係が働くのである。そして音を発しているだけのモーセの言っていることの意味を探るのは、それを読んでいる読者の解釈に委ねられる。こうして聖書解釈の正当性が担保されるのである。

聖書理解。フィロンは五書を、モーセという単一の著者による統一的な著作だと考えていた。そしてその内容は、第一に創造、第二に歴史、そして第三に律法であると分類した。ただし、文献学的な観点やヘブライ語知識を持たない彼にとっての聖書とは、常に七十人訳であった。彼は七十人訳はヘブライ語テクストと完全に同一だと考えていた。彼がヘブライ語に言及するときは、名前などに関するハンドブックに依拠していたと考えられる。フィロンはときに預言書に言及することはあっても、その関心はほぼ五書に限定されている。タナッハの三区分は知っていたようだが、あまり正典意識は持っていなかった。

フィロンの字義的解釈は細部にこだわったものであり、同時代のギリシア語文法、修辞学、弁論術などを駆使したものである。一方で彼の寓意的解釈はより同質的で組織立ったものだった。寓意的解釈においては、自然学や倫理学に基づいた寓意のみならず、神秘主義的な寓意まで進んだ。また聖書の登場人物を象徴として捉えるという手法をしばしば用いたが、これはフィロンに限らずラビ文学やギリシアのホメロス解釈にも見られるものである。ただし、フィロンのそれはとりわけ豊かでかつ一貫性を持ったものだった。

フィロン受容。ユダヤ文学において、ヨセフスはフィロンに言及しているが、ラビ文学はその名前すら記録していない。異教文学においてもその足跡は残っていない。フィロンを最も重宝したのはキリスト教の聖書解釈者たちだった。アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネスはフィロンを模倣し、エウセビオス、キュリロス、クリュソストモスらは彼を崇拝した。ラテン世界では、アンブロシウスがフィロンの名前を出さずにその著作をラテン語訳しており、アンブロシウスを通じてアウグスティヌスも大きな影響を受けた。ヒエロニュムスは『著名者列伝』にフィロンの項を入れている。

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『アリステアスの手紙』とアリストブロス Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #2 

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 144-62.

『アリステアスの手紙』(以下『手紙』)とアリストブロスに関する箇所を読んだ。ヘレニズム期のユダヤ人注釈家たちは、ギリシア語聖書とは別物としてのヘブライ語聖書には言及しなかった。これは『手紙』とアリストブロスにも言えることである。

『アリステアスの手紙』はギリシア語訳五書の成立縁起を扱っているので、実際のところは「報告(διήγησις)」と呼んだ方が相応しい。物語部分は政治的なプロパガンダにもなっている。『手紙』によると、七十人訳の翻訳者たちが互いに「比較(ἀντιβολή)」することで訳文を一致させたという。このἀντιβολήとは、アレクサンドリア文献学においては「校合」を意味する言葉でもある。

『手紙』はモーセをユニークな存在としてではなく、むしろ古代における律法制定者のイメージを積極的に用いて描いている。また五書の訳文の完璧な正確さと、それを変更することの禁止とに触れていることから、五書の他のギリシア語訳に反対していることが伺われる。すなわち、これはユダヤ内部の議論であると言える。

『手紙』の特徴は、犠牲のような具体的な規則を、抽象的な価値に基づいた倫理に転換することで、メタフォリカルに理解することである。神の栄光は焼き尽くす捧げ物の煙によってではなく、魂の清らかさと神の崇高な概念によって高められる。

『手紙』は聖書的伝統をギリシア哲学の枠組みの中で守ろうとした。同書を歴史書として読むと疑わしいが(アレクサンドリアのユダヤ人は当地の文献学の伝統に関心を示さなかったので)、神学護教論の文書として読むと、終末論をなくして哲学を語ろうとしている点で知的作品だと言える。

アリストブロスは、二マカ1:10に出てくる人物と同一視されることがあるが、基本的にどのような人物だったかはまるで分っていない。『手紙』よりは修辞的魅力に欠ける問答形式の作品が、5つの断片のみ残っている。それらはすべてエウセビオスによって引用されたものである。ラテン世界ではヒエロニュムスのみが彼の名に言及している。

アリストブロスによれば、モーセの言葉は必ずしも表面的な意味で受け取るべきでなく、メタフォリカルに理解しなければならないという。また彼は、ソクラテス、プラトン、ピタゴラス、さらにオルフェウスまでもが実はユダヤの律法を模倣したのだと考えた。アリストブロスもまた、ホメロスやヘシオドスの黙示的な一節を引用することに集中するあまり、アレクサンドリアの文献学の伝統には疎かった。その神理解はストア派のそれに近く、アラトスの汎神論のような記述が残されている。

アリストブロスが聖書を引用する場合、ほとんど七十人訳に依拠しているが、ヘブライ語テクストに近いところも見つかっている(出3:20)。その引用は必ずしも字義的でなく、多くの場合は短い。聖書解釈に関しては、ある一節にはいつも付加的な意味があるはずだと考えた。複数の意味の解釈を求めるという点で、ヘブライ語の用語で言うところのダラッシュに近い。

まとめると、アリストブロスは自然的な意味に対して関心を持ち、『手紙』はより倫理的な意味に対して関心を持った。前者の方が後者よりも知的だった。

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2017年3月6日月曜日

聖書解釈前史としてのホメロス解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #1

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 130-43.

本論文は、ヘレニズム期のユダヤ文学に関する優れた概説である。著者はまず、聖書の解釈に先立って、ヘレニズム期にホメロス作品がいかに解釈されていたかということから論文を始めている。当時、文法学校では生徒たちがホメロス作品を暗記し、そこから文法を学んでいた。すなわちホメロスは教材になっていたのである。さらに言えば、神の霊感を受けた神的な詩人だとも思われていた。しかし同時に、ホメロス作品の宗教的・倫理的内容に関して疑問視されるようにもなっていた。実際、プラトンは『国家』の中でホメロス作品を禁じている。

寓意的解釈。そこで不適切に思われる箇所を「解釈」することで、ホメロス作品を救おうという試みが行われたのである。そのときに用いられたのが、「寓意的解釈」という方法であった。ストア派によれば、ホメロスは実際に語ることができたことよりも多くのことを知っていたが、それを読者に「謎(αἰνίγματα)」として残したのだという。このストア派的な解釈は、ペルガモン学派の方法論に基づくものだった。

ストア派。ホメロス作品に見られる多神教的な世界観は、哲学者クセノファネスらによって攻撃された。ストア派は物質主義的な世界観を持っており、神的な存在のことを、エーテルやプネウマなどと呼ばれる何らかの火のようなものだと考えていたが、そうした世界のシステムを説明するために、伝統的な神々の名前を用いた。こうしたある種の「神学」は、ストア派による哲学の三区分(論理学、自然学、倫理学)における「自然学」に該当するものとなった。

アレクサンドリア文献学。アレクサンドリアにおいては、ホメロス作品は文献学(歴史的・批判的アプローチ)の対象となった。アレクサンドリアの図書館において、文献学者たちは伝えられているテクストを削除することなく、批判記号を用いて校訂した。当時、ホメロス作品を他のギリシア文学から区別するような正典意識があったため、引用するときにもテクストを改変することは許されなかったのである。また彼らは、「ホメロスをホメロスから解釈する」という原則を持っていた。

ハンドブック。ホメロス作品を解釈するに当たって出くわす問題点を解決するために便利な、ハンドブックも書かれた。高等学校の教師たちは、そうしたハンドブックを用いて授業を準備したのだった。代表的なものは、偽プルタルコス『ホメロスについて』、問答形式のヘラクリトス『ホメロス問題』、そしてコルヌートス『ギリシア神学抄』である。これらの他にも、ストラボンはホメロスの地理的な知識の正しさを基に、ホメロスを擁護した。

他の解釈法。ホメロス作品の解釈は寓意的な方法だけではない。中期プラトン主義者であるプルタルコスは、崇高な真理を伝えるために神話という形式も必要だと考えた。プルタルコスは寓意的解釈をまったく否定するわけではなく、象徴を「真の意味」にあえて置き換えたりせずに、神話の一般的な輪郭に適合するような類推を見つけようとしたのである。一方で、ウェルギリウスは、ホメロス作品を類型論的(typoligical)に用いることで、ローマの国家の起源を示してみせた。

ヘレニズム・ユダヤ文学の文脈においては、ヨセフスがホメロス作品の合成的な性質やテクストの多様性を指摘し、プラトンによる禁止にも言及している。しかしながら、興味深いことにヘレニズム期のユダヤ人は、ヨセフスを除いて、テクストに対する文献学的な観点に興味を示さなかった。ホメロス作品のみならず、聖書に関しても、アレクサンドリアの文献学が適用されるのはキリスト者であるオリゲネスを待たねばならなかった。その代わり、ユダヤ人は聖書を寓意的に解釈することにより大きな関心を持っていたのである。

古代においては、ユダヤ人はしばしば、他の民族から孤立していることを批判された。ユダヤ人は自分たちの礼拝を清浄に保つためにシナゴーグを建て、他の民族と交わることを望まなかったからである。そこでモーセもまた人間嫌いとして非難された。しかしながら、ユダヤ人は異教の神話や神学との接触を避けようとはしていなかった。彼らもまたホメロスを学び、ヘラクレスやヘルメスを称え、フィロンのような開かれた人物は劇場にも通ったのだった。

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2017年3月4日土曜日

修辞学の歴史 Kennedy, Classical Rhetoric

  • George A. Kennedy, A New History of Classical Rhetoric & Its Christian and Secular Tradition from Ancient to Modern Times (2nd ed.; Chapel Hill: The University of North Carolina Press, 1999).
Classical Rhetoric and Its Christian and Secular Tradition from Ancient to Modern TimesClassical Rhetoric and Its Christian and Secular Tradition from Ancient to Modern Times
George Alexander Kennedy

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本書は、古典的な修辞学が古代から現代にかけてどのように発展したかを検証したものである。著者によると、修辞とは、特定の目的を遂げるために書いたり話したりすることで説得を試みるようなコミュニケーションのことであるという。そして修辞には、一次的(primary)なものと二次的(secondary)なものがある。一次的な修辞とは、口頭のもので、前5世紀にギリシアの修辞学の中で最初に出来上がったものであり、一方で二次的な修辞とは、より広く、文学、芸術、言説といった非口頭的な修辞のためのテクニックのことである。

一次的な修辞の発展は、前4世紀になると、ギリシアでソクラテス、プラトン、アリストテレスらの哲学によってなされた。これらの哲学の中にある「弁証法的な論法(dialectic reasoning)」は法廷においても活用されるようになった。アリストテレスの考えでは、修辞学はある人が無実の罪で牢屋に入れられそうなときなどに役立つという。また彼は、話し方、様式、配置などの具体的な修辞法についても議論している。

ローマ時代になると、キケロー『発明について』やクインティリアヌス『弁論家の教育』などは修辞学の教科書として使われた。いずれも、修辞学は人々の共通の善に使えるべきものだとしている。クインティリアヌスはイソクラテスからの影響を大きく受けており、修辞学的技法を洗練され得るものであるとし、また状況を支配するために使うものだと考えた。彼もまたアリストテレスのように、修辞学における話し方と様式に関心を持ち、体の動かし方、顔、腕、手、足などをいかに使うかをアドバイスしている。一方でキケローは、ソフィストの哲学の伝統と技巧的な修辞学のそれとを合成しようとした。話者は哲学に通じた上で、人々を楽しませつつ、異なった価値観へと聞き手を連れていくのである。

キリスト教時代の修辞は、聖書的なものと非聖書的なものとに分かれる。前者としては、旧約聖書の預言、説教、そして律法における修辞や、新約聖書の使徒行伝の使徒たちの修辞が挙げられる。後者としては、アウグスティヌスに対する護教家たちの説教などがある。上で見たギリシアとローマの修辞が、教父時代にキリスト教説教の中でいっしょになるのであった。異教の修辞とキリスト教の修辞との違いは、キリスト教においてはしるしや奇跡によって神の啓示が明かされたと信じていることである。キリスト教の説教には4種類あり、それぞれ宣教、預言、説教、称賛とされている。

オリゲネスは解釈の三つのレベルとして、論理的(logical)、倫理的(ethical)、感情的(emotional)と区分けしたが、これはアリストテレスの論理的(logos)、精神的(ethos)、感情的(pathos)に由来する。ただしオリゲネスは、神からの啓示は聖書のもともとの内容を変える可能性があると考えている。すなわち、オリゲネスは皮肉にも、聖書を解釈する際にはコンテクストから離れてはいけないという反面教師になったのである。

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古代と現代の文学批評の類似性 Nünlist, The Ancient Critic at Work

  • René Nünlist, The Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek Scholia (Cambridge: Cambridge University Press, 2009).
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René Nuenlist

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本書はスコリアに注目することで、古代の文学批評の実態を検証したものである。スコリアとは、古代の文学作品の特定の一節に関する短い注釈を集めたもののことである。古代の文学批評に関する多くの研究では、アリストテレスの『詩学』やデメトリオスの『様式について』などといった論文が扱われることが多かった。そもそもW. Arendのような研究者は、アレクサンドリアの学者たちの仕事であるスコリアによって、文学作品としてのホメロスの詩は損なわれてしまったと考えていたほどであった。

一方で、著者があえてスコリアを選んだのは、第一に、スコリアは原理の形成よりもその応用を示すからであり、第二に、スコリアは諸論文よりも大きなコーパスを提供するので、より多くのトピックを扱っているからであり、そして第三に、諸論文が散文の修辞に注目するのに対し、スコリアは詩に注目するからである。著者はこのスコリアの利点を生かすために、ホメロス、ヘシオドス、古典劇作家、ピンダロス、カリマコス、テオクリトス、ロードスのアポロニオス、ルキアノスらの作品に関するスコリアを扱っている。

著者によれば、こうしたスコリアを集中的に扱うことによって、古代の注釈者たちは現代の用語で表わされる文学批評の概念をすでに知っており、それらを自分たちの文学批評において用いてたという。著者が扱っているのは以下のトピックである:プロット、時間、物語と台詞、焦点化、読者への効果、欠落と削除、詩的逸脱、著者の特定、様式、ほのめかし、隠された意味、登場人物、神話学、など。たとえば焦点化(focalization)に類似する議論としては、古代の注釈家たちは「話者を考慮することによる解決(λύσις ἐκ τοῦ προσώπου)」といった洗練された議論を持っていた。

こうした現代的な概念が、必ずしも当時の用語での表現ではないにせよ、実際に古代の注釈者たちによって親しまれていたというのは驚くべきことである。古代の議論の価値は、彼らがテクストにしたことと我々がテクストにしていることとの目を見張る類似性に注意を払うことで、現代の読者の目においても高いものとなる。

2017年3月1日水曜日

セルウィウスの寓意的解釈 Jones, "Allegorical Interpretation in Servius"

  • J.W. Jones, Jr., "Allegorical Interpretation in Servius," Classical Journal 56 (1960-1), pp. 217-26.

本論文は、ウェルギリウスの注解で知られるセルウィウスがどのように寓意的解釈を用いたかを検証した論文である。ラテン作家たちにとっての「寓意(allegoria)」とは、後代での用法のように解釈のひとつの種類のことではなく、いわゆる「比喩(figure of speech)」のことを指していた。つまり、セルウィウス自身はウェルギリウスの詩を寓意的に解釈したつもりはなく、ウェルギリウスが用いていた比喩表現を発見したと考えていたのである。

古代においては、現代で言うところの「寓意的解釈」に当たるものとして、四つの解釈法が考案された:第一に、「歴史的(historical)解釈」では、実在の人物や出来事が何らかの意味を暗示していると見なされた。第二に、「自然的(physical)解釈」では、神々が自然現象や力と同一視された。第三に、「倫理的(moral/ethical)解釈」では、神々が抽象的な概念に同一視されたり、表面上は悪の行為や状況に倫理的な価値が見出された。第四に、「エウヘメリズム的(euhemeristic)解釈」では、神々が神格化された人間の英雄たちのことだと理解された。著者は、これら四つの「寓意的解釈」に加え、セルウィウスの注解の中には第五の解釈として「ローマの祭儀からの(ex ritu Romano)寓意的解釈」とでも言うべきものがあると指摘している。

「歴史的解釈」は53例あり、あちこちで見られるが散発的であると言える。セルウィウスの考えでは、ウェルギリウスは『アエネーイス』の主人公であるアエネーアースの人物像をローマ皇帝に匹敵するものだと見なしていたが、実際にはそれはセルウィウス自身の考えであった。そこで、セルウィウスはウェルギリウスによってアエネーアースに帰されている行為を、皇帝による同様の行為の先駆けと見なしたのだった。

「自然的解釈」は35例ある。これは、ウェルギリウスが神々を描写するときに、あるときには神人同型的に扱い、またあるときには単純な自然現象として扱ったことに由来する。セルウィウスは「自然的解釈」を施すときには、ギリシアの自然哲学者たち(physici)に直接的に依拠したり、あるいは間接的に依拠したりした。間接的の場合には、ストア派のコルヌートス、偽ヘラクリトス、キケロー、ウァッローらを参照したようである。

「倫理的解釈」は18例あり、特に『アエネーイス』第6巻に集中している。セルウィウスはこの巻に出てくる冥界のシーンの全体を寓意だと見なしている。彼は特にエピクロス派詩人のルクレティウスや、ピタゴラスなどに依拠しながら、作中の出来事に倫理的な意味を持たせた。

「エウヘメリズム的解釈」は44例もある。多くの場合セルウィウスは、ウェルギリウスによって言及されている神話的な獣や怪物などは、もともとは別の存在が獣化・怪物化したものだと解釈しようとした。エウヘメリズムとは神々の起源を神格化された英雄に求める考え方であるが、セルウィウスの時代には神々は「自然的解釈」をされることが多かった。パラエファロスやポリュビオスのように、セルウィウスもまた神話のような物語(fabula)の元には何らかの真理が存すると考えた。そこで、セルウィウスはウェルギリウス作品中の獣や怪物とは、もともとは障がいを持った人や現実の動物を詩人が比喩的に表現したものだと解釈した。ただし多くの場合、セルウィウスの解釈には出典があった(ウァッロー、サルスティウス、ヒュギアノス、セプティミウス・セレヌス、エラトステネス、シチリアのディオドロスら)。

これらに加えて、著者は「ローマの祭儀からの寓意的解釈」を20例挙げている。これらの中で、宗教的な事柄に関するウェルギリウスの知識が執拗に議論されている。一見、あたかもウェルギリウスの見解であるかのように見えるが、『ダニエルのスコリア』と呼ばれるスコリアの中に収められたセルウィウスの注解は、実は彼自身のものではなく、アエリウス・ドナトゥスの失われた注解ではないかと考えられている。それゆえに、セルウィウス自身の注解ではこれらの解釈を否定することもある。なぜなら、第一に、セルウィウスの見解はより哲学的なものであり、第二に、少し前の世代であるドナトゥスの読者にとっては祭儀の問題は重要でも、セルウィウスの時代にはすでにそうではなかったからである。

以上より、セルウィウスが中世の寓意的解釈と異なり、単一のプランによって『アエネーイス』を寓意的に扱っているわけではないことが分かる。また一般的に、セルウィウスが言及している寓意は、ウェルギリウス自身が用いた寓意を明らかにしようとするものではなく、むしろ注解者自身の声や彼が影響を受けた者の声だと言える。

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2017年2月28日火曜日

死海文書と聖書の起源 Ulrich, The Dead Sea Scrolls and the Origins of the Bible

  • Eugene Ulrich, The Dead Sea Scrolls and the Origins of the Bible: Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1999).
The Dead Sea Scrolls and the Origins of the Bible (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)The Dead Sea Scrolls and the Origins of the Bible (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)
Eugene Ulrich

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本書は、クムランで発見された写本のうちの聖書写本を主として扱うことによって、ヘブライ語聖書の起源について検証したものである。著者はDJDシリーズの編者の一人として、死海文書研究に長く携わってきた一人である。

本書でのクムランにおける聖書テクストの研究から著者が中心的に主張しているのは、聖書テクストの「多面性(pluriformity)」である。聖書の節や物語には二重あるいは多重の版が存在する。たとえば、出エジプト記にはマソラー本文と七十人訳の版と、4QpaleoExodmの版があり、エレミヤ書には七十人訳と4QJerbの短い版とマソラー本文の長い版があることが知られている。著者は、聖書テクストには唯一の権威あるテクストがあったのではなく、第二神殿時代を通して複数の版が存在していたのだと結論付けた。当時のユダヤ人は、単一の統一的なテクストを決めずに、多面性を保ちながら一定の文書をゆるやかに「権威ある」ものとして見なしていたのである。

聖書テクストに見られるこれらの多面性の理由を、Frank Moore Crossはそれらのテクストの成立した土地に求め(local text types)、Shemaryahu Talmonはグループに分けた(Gruppentexte)。これに対し著者は、写字生たちの貢献が大きかったと主張する。すなわち、写字生たちは、写本を写していく過程で、補足的な伝承を入れたり誇張したりして、テクストを調和させていったのである。

この写字生の貢献が聖書テクストの多面性の理由であるという点を説明するに当たって、著者は聖書学の方法論にも一家言を呈している。すなわち、聖書学者はしばしば、「テクストの作成(text's composition)」の問題と「(作成された)テクストの伝達と翻訳(text's transmission and translation)」の問題とを明確に分け、前者を文学的かつ神学的な判断に基づく「高等批評(higher criticism)」の領域とし、後者を完成されたテクストの筆写に関する「下等批評(lower criticism)」の領域として分けたがる。しかし、著者はこうした二項対立を作り出すのはやめにして、聖書テクストに関する創造的な文学活動はテクストの伝達の過程になっても続いていたと考えるべきだと主張した。実際、「多面的」なテクストのは後2世紀の前半まで並行して作られていったと著者は考えている。

こうしたテクストの「多面性」のひとつの証拠として著者が提示するのは、ヨセフス『古代誌』におけるサムエル記の扱いである。著者によれば、ヨセフスは『古代誌』においてサムエル記の内容を説明するに当たって、当然ヘブライ語聖書に依拠したわけだが、そのとき彼はマソラー本文ではなく、4QSamaに関係する別のヘブライ語テクストを用いたというのである。この発見は著者を有名にした。

またオリゲネスの『ヘクサプラ』についても研究を残している。著者によれば、オリゲネスが自身に入手可能なギリシア語テクストを、ヘブライ語テクストに合わせて「修正」したことは、そのギリシア語テクストの起点テクスト(別のヘブライ語テクスト)の持っていた別の伝承を失うことになってしまったという。いうなれば、オリゲネスはギリシア語訳のオリジナルに遡ろうとすることで、かえってそこから遠いところに行ってしまったということである。

『共同体の規則』の再解釈 Schofield, From Qumran to the Yahad

  • Alison Schofield, From Qumran to the Yahad: A New Paradigm of Textual Development for the Community Rule (Studies on the Texts of the Desert of Judah 77; Leiden: Brill, 2009).
本書は、『共同体の規則』の第一洞窟からの写本(1QS)と第四洞窟からの諸写本を検証することで、同書に新鮮な再解釈を施そうとしたものである。そこで語られている「ヤハド」とクムラン共同体とを簡単に同一視してよいのかという疑問は、すでにJohn J. Collins, Eyal Regev, Torleif Elgvinらによって提出されているが、著者はこの点について、『共同体の規則』の異読からアプローチしようとした。

著者は『共同体の規則』の中で語られている「ヤハド」のアイデンティティを明らかにするために、人類学やRobert Redfieldの学説を参考に、「放射的・対話的(radial-dialogic)」モデルを適用している。こうしたモデルの活用によって共同体の発展を検証すると、ヤハドは、社会から自らを区別した者たちによる、階層的に構築された運動であると言える。

『共同体の規則』のテクストについて、長い版である1QSと、短い版である第四洞窟の写本が存在する。古文書学的・科学的には1QSの写本の方が古いが、内容的には第四洞窟の写本の方が古いと考えられている。これらの関係性について、長い版である1QSの方が古く、第四洞窟の写本はこれに由来するものだと説明する場合(P. Alexander)と、第四洞窟の写本の方が古く、1QSは発展の最終段階を示していると説明する場合(S. Metso)とがある。著者は、核となる共通の伝承(おそらくエルサレムにあった)が初期の段階で広まったのであり、1QSや第四洞窟の写本はそれぞれ独立に発展したのだと主張している。

著者は、結論として、ヤハドの最初のヒエラルキー上の中心地はエルサレムであったが、運動が次第に神殿抜きの共同体としてのかたちを整えていくに従って、クムランへと移動したのだと述べている。

2017年2月27日月曜日

修辞批評と死海文書 Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls"

  • Carol A. Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2010), pp. 198-214.
Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and MethodsRediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods
Maxine L. Grossman

Eerdmans Pub Co 2010-06-28
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本論文は、修辞批評(rhetorical criticism)を用いた死海文書解釈の一例を示したものである。修辞学とは、言葉を用いて現実に何らかの影響を与えようとすることである。著者は修辞的な分析を死海文書に加えることで、テクストが試みていることは何か、現実の社会にどのように影響を及ぼそうとしたのか、そして望む結果を得るためにどんな技術を用いたのかを明らかにしている。

とはいえ、批評という個人的な行為を方法論として客観的に確立するのは不可能なことに近い。著者はこの限界を意識しながらも、テクストを読むときに批評家として以下のような疑問点を思い浮かべることは役に立つと主張する:第一に、当のテクストのジャンルは何か。第二に、テクストはそれが意識している問題をどのような枠組みで扱っているか。第三に、テクストが持っている価値観を表わす用語はどのようなものがあるか。第四に、テクストはいかにしてその著者と読者(聴衆)を定め、またそれらの関係を定めているか。そして第五に、理性的な議論と曖昧な比喩表現との間にはどのような関係性があるのか、などである。

著者によれば、死海文書研究において、修辞批評はまだあまり使われていないという。しかしセクト主義的な共同体の文学は特にこのタイプの分析との親和性が高い。なぜなら、改宗者を呼び寄せ、メンバーシップを与えるためには、説得(折伏)の効果を必要とするからである。しかもそれは一度説得して終わりではなく、説得力を持たせ続けなくてはならない。死海文書における説得力は、試験、儀式、礼拝、聖書解釈、説教実践、そして言葉によらない象徴的な交流などによって保たれていた。

入信者への手引きとしても用いられていた『ダマスコ文書』の中で、話し手は知恵文学の知恵の教師のようなかたちで聴衆に語り掛けている。話し手は聴衆のアイデンティティを変えるためというよりは、むしろ彼らがすでに持っている善の意識や悪からの分離を強めようとしている。そのために、話し手は善と悪の二択を用意しておいて、聴衆は善の方に属していると教えてやるのである。歴史を語る際には、符丁を用いて内部の人間にはピンと来るように語ることで、外部との差異化を図った。さらに、寓意的解釈によって現在の出来事を聖書の預言と結びつけることは、力強い説得力になった。

『共同体の規則』は、当時の伝統に従って、少なくともマスキールのような指導者によって暗記されており、そうすることで文書の修辞は内部化され、セクト構成員の自己理解の一部となった。『ダマスコ文書』が命令形を多用し、話し手と聴衆との相互理解を前提とした語り口を持っているのに対し、『共同体の規則』は不定法を多用することで、話し手と聴衆との関係が不明な、高度に非人称化された規範的な語り口になっている。また、『ダマスコ文書』が内部のメンバーを励ましていたのに対し、『共同体の規則』は外部の人間を内部の人間に変化されることを目的としていた。

また『ホダヨット(感謝の詩篇)』は、義の教師本人か共同体の誰かによって書かれたものと考えられる。この文書は、第一に、一人称単数で書かれており、第二に、他の登場人物がいなく、たった一人の声で書かれており、そして第三に、話し手の主観が見られることなどから、話し手が義の教師に対して親近感を抱き、受け入れるような修辞的な工夫が施されていると言える。そのために、敵対者をこき下ろし、自らを被害者として描くことも忘れてはいない。

以上より、言語はセクト的共同体を作り、また維持するための生き生きとした道具であった。注意深く言葉を用いることで、アウトサイダーをインサイダーに変え、すでにインサイダーである人々のアイデンティティを強めることができた。修辞批評を死海文書に用いることは、文学批評のみならず、科学的アプローチ、祭儀研究、そして神学研究にも役立つだろう。