2016年10月30日日曜日

オリゲネスの聖書解釈 De Lange, Origen and the Jews #9

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 103-21.
オリゲネスの聖書解釈に関する該博さは、ヒエロニュムスも認めるところだった。本章は、そのオリゲネスの聖書解釈のユダヤ教に由来する側面を検証したものである。オリゲネスはどの程度、同時代のユダヤ教聖書解釈に依拠していたのだろうか。論文著者はこの問いに、オリゲネス自身がユダヤ教聖書解釈について語っている箇所と、この点に関する研究から得られる印象とから応えようとした。

オリゲネス自身が言っているように、ユダヤ教の聖書解釈はあまりに「字義的」であると見なされていた。しばしば「ユダヤ的な」という形容詞は、「字義的な」という意味で用いられた。ただし、オリゲネスは、そう考えるキリスト者の中でも、最も鋭くユダヤ教聖書解釈の多様性に気づいていた人物であった。そもそも、ここで言う「字義的」とは、現代的な意味としての、テクストが最初に書かれたときの意図を指してはいない。彼は決して聖書の統一性や、それが永遠の神託的な価値を持っていることを疑わなかった。

これはラビたちの「字義的」という言葉の理解とも一致している。ラビ・アキバはトーラーの一字一句にも深い意味があると考えていた。一方で、ラビ・イシュマエルはトーラーは神ではなく人間の言葉で書かれており、また語ではなく文の意味について解釈するべきと考えていた。両者は自分たちのアイデアを文章の中に読み込むことを目的としており、違いはその方法の違いにすぎなかった。

ただし、ラビ・アキバとラビ・イシュマエルの解釈法は、ラビたちが「字義的」な解釈と「法的・説教的」な解釈とを区別できなかったことを意味しない。ラビ・ユダヤ教にはそれぞれ、プシャットとミドラッシュという区別が存在する。この区別は、現代的な意味での「字義的」と「非字義的」とはやや異なっている。

フィロンは、聖書解釈の方法として、「ヘー・レーテー・アポドシス」と「アレゴリア」を区別した。また、字義的解釈では説明しきれないものを、パラドクサなどと呼んだ。彼の聖書解釈は、聖書の物語を、自身の宗教的・哲学的なアイデアのテクストとして使うものだった。彼は律法を寓意的に解釈することで、聖書の法の不適切なところを取り除いたが、決して律法遵守を廃止することを目指していたわけではなかった。

これに対し、パウロはモーセの律法に異議を唱え、文字の法ではなく霊の法を守るように求めた。パウロによれば、キリスト者は法を無効にするのではなく、それを制定するのである。ラビやフィロンの律法理解とは異なるパウロのそれは、キリスト者の律法理解となっていった。フィロンは、律法にはより深い意味があり、それを捨て去ることはできないと述べた。ラビたちは、律法は永遠に有効であるが、解釈のために変更してもよいと見なした。これらに対し、パウロやキリスト者は、ユダヤ法に「文学的(literalistic)」に相対した。すなわち、彼らの「字義性(literalism)」は、盲目的に律法を受け取ることではなく、日常生活の中で意味あるものとして律法を受け入れるということであった。ただし、聖書の歴史部分については、永遠の真理の予型として、正確なものと見なした。

オリゲネスの聖書解釈は、しばしば3種(肉的、魂的、霊的)あると考えられてきたが、この区分をきちんと応用している解釈は珍しい。実際には、伝統的な字義的(肉的)解釈と霊的解釈の二区分が多い。これは、神が二つのアイデアを一度に語ることができるという詩篇62:12の句を拡大的に取ったラビたちの理解とも軌を一にするものである。ラビたちはさらにこのアイデアを敷衍して、トーラーには70の顔がある、とまで主張するに至った。

オリゲネスの解釈スタイルは、ラビ・アキバの特異な解釈と、アクィラの聖書翻訳とに似ていると言える。オリゲネスは、アキバと同じく、聖書の一字一句に深い意味が隠れていると考えていたので、特に不定法を用いた繰り返し表現などに意味を見出した。こうした寓意的解釈がラビからの直接の影響なのか、それともアレクサンドリアの伝統からの影響なのかは、判別し難い。

従来では、ラビたちの聖書解釈における寓意性を等閑に付されてきたので、オリゲネスとラビたちの影響関係は詳しくは検証されなかったが、ラビたちの例え話である「マシャール」は寓意的解釈に近い。似た用語としては、「リシュム」と「ホメル」とが挙げられる。こうした方法は、雅歌やエゼキエル書の解釈に適用された。オリゲネスもラビたちも、トーラーを水、木、マナ、力、真理、善、地、火などと同一視した。

オリゲネスや、彼より前の教父であるユスティノスらは、こうしたトーラーと何かとの同一視を、そのままキリストへと繋げた。すなわち、トーラーを表わしていた木は、そのままキリストとも解釈されるのである。オリゲネスの時代には、キリスト教のシンボリズムはすでに高度なものとなっていたが、まだあるシンボル(十字架など)が完全にユダヤ教から切り離されてはいない、中間的な時期でもあった。こうしたシンボリズムにおける一致を、単純にフィロンや新約聖書のみとの関係で捉えることはできない。

こうしたシンボリックな聖書解釈としては、特に聖書の登場人物の名前の解釈が挙げられる。名前の語源学的な解釈は、フィロンより古く、ホメロスを解釈したアレクサンドリアの伝統に属するものである。こうした解釈に関するオリゲネスのソースとしては、フィロン、名前語彙集(のちにヒエロニュムスがラテン語訳するハンドブック)、そして同時代のユダヤ伝承があった。三つ目のユダヤ伝承とは、現在では『メヒルタ』やタルムードなどに残されているような解釈である。オリゲネスによるこれらの名前解釈のうち、ヘレニズム期ユダヤ作家に共通のものが見つからず、あまりに明白に語源が想像できるもの以外は、ユダヤ伝承から採用されたものである可能性がある。

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2016年10月26日水曜日

ヨセフスの神学忌避と律法解釈 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #3

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 503-18.
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ヨセフスによる聖書記述の改変には二つの理由があり、第一は護教的な理由だった。そして第二は、歴史を一貫して宗教的・ユダヤ的に解釈することである。ただし、ヨセフスは聖書をあくまで神学ではなく歴史として捉えている。言い換えれば、ヨセフスは神学者としてではなく歴史家として聖書を解釈しているのである。そのために、彼は聖書の記述にはあった神へのアピールを取り除いた。たとえばアケダー解釈でも、他のユダヤ資料とは異なり、ヨセフスは、アブラハムやイサクを試す神という、神義論を理解するために決定的なコンセプトを省いている。当然、神による奇跡譚などもない。

ただし、モーセの物語においてのみ、ヨセフスは神の役割を保存している。というのも、ギリシア人の理解では、リュクルゴスのような偉大な指導者は神によって導かれる者だったので、そうしたギリシアの指導者に比すべき律法制定者モーセにもまた、同様の道具立てが必要だったからである。これはいわば護教的な理由である。

ヨセフス自身によれば、皆が彼に律法解釈について質問に来るほど、ヨセフスは律法解釈に通じていたという。実際に、パリサイ派としての彼の律法知識には目を見張るものがあったし、『古代誌』を書き上げたあとには、律法解釈に特化した著作を書くつもりも持っていたようである。ただし、多くの箇所でヨセフスの律法解釈はラビの律法解釈と異なっており、論文著者はそうした箇所を 18箇所挙げている。一方で、両者が一致している18箇所もある。

ヨセフスは、のちに律法解釈に特化した著作を書くつもりがあったにせよ、『古代誌』でもいくらかそうしたサーベイを加えている。これは、その律法を制定したモーセがいかに偉大な指導者だったかを示すため、そして彼の著作を読んだ非ユダヤ人が律法の本質を知ることができるようにするためであった。彼の律法解釈には、聖書そのもの以外に、ラビ的文書とタルグムが用いられていたと思われる。パレスティナのユダヤ人だったヨセフスが、アレクサンドリアのヘレニズム期ユダヤ人作家や死海文書のようなセクト的な文書に頼るとは思われない。

上のようなソースを持っていたにもかかわらず、ヨセフスの解釈がラビの法解釈と異なるのは、彼の目的が、ギリシア人やローマ人からのユダヤ人批判に応えるためだったからである。すなわち、護教論のために、非ユダヤ人から見て恥ずべき掟からはあえて逸脱したのだった。また異教徒がユダヤ教に改宗しやすいような解釈にも変えている。実際に、ヨセフスの時代にはユダヤ教への改宗者もたくさんいたようである。言い換えれば、ヨセフスは自分時代の事情を律法解釈に反映させている。

こうした事情を鑑みるに、ヨセフスの時代のユダヤ教というのは、たとえばG.F. Mooreが考えているほどに一枚岩ではなかったし、ラビたちによる統制もさほど取れていなかったと言える。

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2016年10月25日火曜日

ヨセフスの聴衆、ソース、改変、目的 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #2

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 470-503.
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ヨセフスが念頭に置いていた聴衆は二種類あった。第一に、異教徒に対してである。『古代誌』で述べているように、ヨセフスは非ユダヤ人世界のギリシア人に向けて書いていた。「ギリシア人」とは、この場合、「非ユダヤ人」という意味と捉えてよい。第二に、ユダヤ人に対してである。実際には、ユダヤ人はヨセフスの主要な聴衆ではなかったが、可能であれば読んでほしいと考えていたようである。

ヨセフスが著作を書くに当たって持っていたソースは三種類、ミドラッシュ、ヘレニズム期ユダヤ人作家、そして彼個人の見解であった。第一のソースであるミドラッシュとは、成文化されたものだったのか、それとも口伝のままだったのかについては議論がある。Schalitは口伝からだと考えたが、Rappaportは成文化されたものだけからだと考えた。ヨセフスの同時代人だと考えられる、偽フィロン(『聖書古代誌』)やそれ以前の『外典創世記』には、ヨセフスと共通のソースからと見られる伝承がある。

第二に、ヘレニズム期ユダヤ人作家たちは、ヨセフスの模範となり、またスタイルのモデルともなった。特にフィロンの卓越したギリシア語は大きな影響を与えたと思われる。Wacholderは、ヨセフスは聖書外の伝承については、同時代のユダヤ人歴史家ティベリアのユストス『ユダヤ王年代記』に依拠していると考えた。他にも、悲劇作家エゼキエル、フィロンなどからの影響が認められる。

第三に、ヨセフス自身も、特に護教的理由から聖書に多くの改変を加えている。枢要徳、劇的要素、エロティックな要素の強調や、神学的・魔術的要素の非強調などが挙げられる。これは、ヨセフスの個人的な経験に基づくものと考えられる。

ヨセフスは、聖書の記述スタイルを変えている。その際には、軍事的な用語である「整列(τάξις)」という語を用いて、あたかも文学における将軍のように、彼は聖書の記述をリアレンジしたのだった。その際には、時系列やソースに従うのではなく、テーマに従ってそうした情報を並列させた。

ヨセフスによる聖書の記述の改変には、次のような諸特徴があった。テクスト上の神学的や問題や矛盾を解決すること、時系列の難点を取り除くこと、神の神人同型説を回避すること、ある出来事によりよい動機や合理性を与えること、テクスト上の曖昧なところを明確化すること、ヘレニズム期の修辞学に通じた者に自分の作品をアピールすること、ドラマの意味を増やすこと、アイロニーを増やすこと、寓意的解釈を用いること、そして一貫性のために特定のキーパーソンに注目することなどである。

以上のような改変の目的は、論文著者によると二つある。第一に、反セム主義者に対しユダヤ民族を護り、歴史の宗教的な解釈を与えるという、護教的な理由である。そのために、ヨセフスは聖書の物語をギリシア化(Hellenization)させた。彼は55人を下らないギリシア人作家に言及し、読者に対して自身のギリシア文学への造詣の深さを印象付けた。彼は『戦記』執筆においてはギリシア人のアシスタントをつけていたと述べているが(『アピオーン』1.50)、『古代誌』執筆時はすでローマに20年以上住んでいたので、すでにアシスタントを必要としてはいなかったと考えられる。

ヨセフスのギリシア人作家への知識は深かった。彼は、エウリピデスの語彙を用いてイサクを、ホメロスを用いてアブラハムを、ヘロドトスを用いてモーセを、そしてソフォクレスを用いてソロモンを描きなおした。

ヨセフスは自身の物語をつむぐために、アブラハム、モーセ、サウル、ダビデ、そしてソロモンといった偉大な英雄たちを中心に据えた。ユダヤ人は偉大な人物を生み出さなかったという批判(『アピオーン』2.135)に対し、ペリパトス派的な伝統に則り、歴史における英雄に注目したのである。これは、神を中心に据えている聖書とは異なったアプローチである。英雄たちは、生まれの良さ、見た目の良さ、徳の高さ(枢要徳)が求められていた。これらを備えることで、ユダヤ人の英雄たちは預言者であると共に、プラトン的な哲学者として描き出されるのである。

ある人物の生まれの良さに関しては、先祖を称賛することで示される。英雄は、人物の良さのみならず、生まれの良さが求められる。しばしばその者は早熟で見た目がいい人物として描かれる。身長も高い場合が多い。徳の高さは、枢要徳(知恵、勇気、節制、正義)に加えて、プラトンが五つ目の徳と数えた「敬虔」も加えられる。知恵には、天文学や幾何学といった科学への通暁、他人の意見に耳を傾けることのできるオープンマインド、聞き手(ἀκροωμένοις)を納得させる説得力が関係している。勇気としては、戦闘における勇気と技術がある。ギリシア人はユダヤ人は臆病だと思っていたが、それに対し、ヨセフスはモーセの将軍として能力の高さを強調した。節制には、謙遜であることが求められる。正義の中には、真実を語ること、人間を愛することなどがある。

ユダヤ人は、英雄を生み出さなかったと批判されていただけでなく、人間嫌いであることをも批判されていた(クインティリアヌス、マルティアリス、タキトゥス、ユウェナリス)。ヘカタイオスの時代から、ユダヤ人は「非社会的」で異民族に対し「敵対的」であると見なされていた。これに反論するために、ヨセフスは聖書の人物たちがいかに人間愛に満ちていたかを強調した。そのためには、聖書の記述における不適切な記述を省略することさえ辞さなかった。

ヨセフスはまた、読者の政治的・軍事的・地理的な関心に応えようとした。ユダヤ人の政治的な構造や政争について解説した。大衆を蔑視していたヨセフスとしては、政治構造として最高なのは貴族制であり、最低なのは独裁制であった。軍事的内容を描くときには、自身の経験を埋め込み、地理的内容を描くときには、エラトステネスやストラボン由来の科学的な地理学を用いた。

読者の哲学的な関心に応えるために、ヨセフスは、ユダヤ人の宗教的グループをギリシアの哲学諸派に比較した。また彼は聖書の登場人物を、特にストア派の用語を用いて描きなおした。

ヨセフスは、悲劇的なモチーフをもよく用いた。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスからの影響は顕著である。傲慢(ὕβρις)や運命(χρεών)といった用語を用いて聖書の登場人物を特徴づけた。

さらにヨセフスは、ロマンティックなモティーフを聖書の物語に追加した。ホメロス、ヘロドトス、クセノフォン、そしてヘレニズム期の小説を用いて、聖書では曖昧にされている性的な事柄を明示した。すなわち、性交や女性の美の強調などがはっきりと描かれたのである。

2016年10月20日木曜日

ヨセフスの聖書 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #1

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 455-70.
ヨセフスは、『古代誌』を始めとする著作の中で聖書を扱う際に、ヘブライ語、ギリシア語、そしてアラム語という三つのソースに依拠していたと大部分の研究者は考えている。しかしながら、研究史においては、Tachauerのようにヨセフスはヘブライ語テクストのみを用いたとする者や、一方でSchalitのようにギリシア語テクストのみを用いたとする者もいる。Schalitは、ヨセフスの著作における聖書の登場人物がギリシア語聖書と同じつづりになっていることを指摘するが、論文著者は、ヨセフス写本が後代の写字生によって七十人訳によせて改変された可能性があると反論する。

その出自や受けてきた教育から、ヨセフスはヘブライ語聖書をよく知っていたと考えられる。しかし、彼が持っていたヘブライ語聖書は、現在のマソラー・テクストとは異なっていた。ただし、ヨセフスはそれを忠実に翻訳して引用するというより、パラフレーズしていたので、いったいどんな聖書テクストを底本としてたかを特定することは難しい。

ギリシア語聖書は文学的にレベルが高くなく、内容に通じている者でなければ意味を取るのが難しいような書物ので、ヨセフスはそれをパラフレーズしてギリシアの知識層にまで届くようにしようとした。ヨセフスは実際に七十人訳と近いテクストを引用しているが、それは彼が実際に七十人訳を直接引用したことを必ずしも意味しない。なぜなら、彼はたまたま同じ伝承を知っていたかもしれないし、現在の写本とは別の写本を持っていたかもしれないし、また(クムラン写本の検証から)ギリシア語聖書とヘブライ語聖書とはさほど違わないのでギリシア語聖書を引用しているように見えるところもヘブライ語聖書からの引用かもしれないからである。

アラム語はヨセフスの主要言語であった。シナゴーグでヘブライ語聖書をアラム語に翻訳して朗唱するという習慣は、ヨセフスの時代から行われていた。ヨセフスはこのタルグムを活用していたと考えられるが、特に『古代誌』の1-5巻がそれ以降に比してより自由なのは、タルグムに依拠しているからだと主張する研究者もいる。タルグムの使用は特に、登場人物の名前の語源学や、聖書の中の地理などに基づくアガダー的箇所に認められる。

ヨセフスはこのようにヘブライ語、ギリシア語、アラム語の聖書を用いていたわけだが、五書に関しては主としてヘブライ語とアラム語聖書に依拠したと考えられる。しかしながら、そうした中でもヨセフスがギリシア語に従っているとき、それはフィロン、パピルスに書かれた用語集、翻訳者が組み込んだパレスティナの伝承などからの影響が考えられる。Mez、Thackeray、Ulrichらは、特に聖書の固有名詞のスペリングがギリシア語聖書に一致すると主張している(ただし論文著者はそれは写字生の修正である可能性を挙げている)。エズラ記やエステル記に関しても、ヨセフスはギリシア語聖書に依拠していると主張する者たちがいる。さらにHoelscherは、ヨセフスはヘブライ語聖書でもギリシア語聖書でもなく、ヘレニズム期ユダヤ作家に依拠していたと主張しているが、これは証拠がない。論文著者はとしては、エステル記などに関しても、やはりヨセフスは三言語のテクストを参照していたと考えている。

ヨセフスは、聖書を扱うに際し、再三にわたり自分は聖書を正確に写しており、いかなる付加も省略もしていないと述べているが(『古代誌』1.17)、実際には明らかに付加や省略をしている。これがなぜなのかについて、研究者たちはさまざまな理由を挙げている。第一に、ヨセフスは読者の聖書関する無知を当てにしていたから、というもの。しかし、パレスティナには、ヨセフスのライバルであるティベリアのユストスをはじめ、他にも多くのもギリシア語を知るユダヤ人がいたのであり、ましてやディアスポラのユダヤ人もいたのであるから、これは理由にはならない。

第二に、「付加も省略もしない」とは単に、正確さを表わすための決まり切った定型句であり、必ずしもそうではない、というもの。確かに、ハリカルナッソスのディオニュシオス、ルキアノス、偽コルネリウス・ネポスにも同様の表現が見られる。事実、聖書にも「付加も省略もしてはならない」という定式があるにもかかわらず、そもそも七十人訳には多くの修正が含まれている。ヒエロニュムスは、七十人訳に少なくとも三つの多様性があったことを証言している。

ヨセフスが使っている「翻訳する」という語は、μεθερμηνεύω, ἑρμηνεύω, μεταβάλλωなどがあるが、彼は実際にはこれらの単語を、どれも「翻訳する」よりは「解釈する」という意で使っている。そもそも、よき翻訳者たるには、機械的に言葉を置き換えるのではなく、専門家としての解釈が入らなければならない。この意味で、祭司の家系に生まれ、哲学の素養のあるヨセフスは、異教徒のために聖書に解釈を加えたわけだが、彼自身はこれを「付加」や「省略」とは考えなかったのである。

第三に、「付加も省略もしない」というのは、特別に十戒にのみ適用されることで、聖書全体ではない、というもの。実際に、ヨセフスが「付加」や「省略」を加えているのは、アガダー的な箇所のみである。

第四に、ヨセフスは成文律法のみではなく、口伝のユダヤ伝承をも聖書と考えていた、というもの。ヨセフスの時代には口伝律法は成文化されていなかったわけだが、ヘレニズム期のユダヤ人作家たち――エウポレモス、悲劇作家エゼキエル、フィロン――や、『外典創世記』、偽フィロン『聖書古代誌』などには、多くのユダヤ伝承が含まれている。これらの伝承について語ることは、ヨセフスにとって、聖書に「付加」したり、聖書から「省略」したりすることではなかったのである。

2016年10月16日日曜日

オリゲネスとユダヤ人の議論 De Lange, Origen and the Jews #8

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 89-102.
本章では、オリゲネスとユダヤ人との議論の実際がどのようなものであったかが検証されている。ユスティノスやキュプリアヌスらの理解では、モーセの律法は決して永続するものではなく、より全体的で霊的な律法が表れるまでイスラエルの民に与えられた一時的なものだった。つまり、旧約聖書は新約聖書によって乗り越えられるということである。一方で、オリゲネスはむしろ寓意的解釈を用いることで、モーセの律法とは、のちになって初めて明らかになる真の意味を蔵する予型や影であると考えた。すなわち、オリゲネスは必ずしも律法の字義的な遵守を否定しているわけではない。このような考えを持っていたオリゲネスは、しかしながら、ユダヤ人の特徴である割礼、安息日、そして食餌規定について、以下のような見解を持っていた。

割礼。オリゲネスは、エゼ44:9における「心の割礼」という言葉を基に、あくまで割礼を比喩的に捉えていた。彼が引用しているユダヤ人の見解では、心の割礼だけではなく、肉の割礼もまた必要であるとされていたが、オリゲネスは、エレ6:10の「耳は無割礼」や出4:10「唇は無割礼」という表現から、やはり割礼とは、性的な放縦や悪口などといった悪行から身を清めることを指した比喩的な表現であると考えた。

安息日。ユダヤ人は、安息日こそが人間と動物を区別する要であり、また文明に対する自分たちの最大の貢献であると考えていたが、オリゲネスは安息日の具体的な戒律――「七日目は自分のところに留まれ」(出16:29)、「安息日に荷を運ぶな」(エレ17:21)――を守ることはほぼ不可能だと考えた。第一の戒律については、ユダヤ教では2000キュビトまでは移動可能とされており、また第二の戒律についてはある種のサンダルを特定の運び方をする限り許されていた。これらの解釈をオリゲネスも知っていたが、こうした字義的解釈ではなく霊的な解釈をすべきだと述べている。彼にとって本当の安息日は来るべき世そのものだったからである。安息日が土曜日なのか日曜日(主日)なのかについては、出16:22のマナの降る日に関する記述をもとに、神がマナを降らせる日曜日の方が本当の安息日だと考えた。過越祭に関する決まりもまた、神殿が崩壊した今となっては字義的に遵守することは不可能である。オリゲネスは、過越祭の語源についてヘブライ語から説明を加えている。

食餌規定。神話上の動物に関する記述までを含む食餌規定は、字義的に解釈することは不可能である(レビ11:13や申14:5)。それゆえに、寓意的解釈をする必要があるわけだが、オリゲネスはそうするためにヘレニズム期のユダヤ人作家たち(アリストブロス、偽アリステアス、フィロン)やパウロに依拠した。

このように、キリスト者とラビたちの律法への姿勢は根本的に異なっている。ラビたちは律法を実用的なものとし、自分たちが生きている時代に適用しようとしたが、オリゲネスはラビたちのそうしたハラハー的な洗練を否定しようとしたのだった。

オリゲネスが究極的に証明しようとしていたのは、神によるユダヤ人の否定と、それに代わる異邦人の選びとであった。とりわけ異邦人の選びが、実はヘブライ語聖書の中で預言されており、しかもそれがユダヤ教とキリスト教の歴史的経緯(イエス・キリストの到来がユダヤ人の国の滅亡とほぼ同時期に起こったこと)によって裏付けられていることを示そうとしたのだった。オリゲネスによれば、神はユダヤ人の罪を利用して、異邦人を神の国へと誘おうとしたのである。

そのときに重要となってくるのが、イエスのメシア性である。聖書の預言がイエスをメシアであると証明しているなら、それはイエスの最も力強い権威となる。そのために、以下のような聖書引照箇所が議論の的となった。すなわち、イザ7章の処女懐胎(論文著者によると、オリゲネスの解釈はヒエロニュムスによって引用されているという)、ミカ1章のメシアがベツレヘム生まれであること、ゼカ9章のロバに乗ってのエルサレム入城、イザヤ書の耐えるしもべのイメージなどである。

モーセとの比較。オリゲネスをイエスをモーセと比較している。イエスがキリスト者にとって権威があることを、モーセがユダヤ人にとって権威があることから説明するのである。特に、キリスト者はモーセが預言者であることを否定することなしに、そのモーセ自身の預言によってイエスに関する真理を証明することができる。もしユダヤ人が、キリスト者がイエスを信じる理由を聞きたいならば、なぜ自分がモーセを信じるかを先に示さなければならない。

2016年10月15日土曜日

アウグスティヌスの聖書学 Harrison, "Augustine"

  • Carol Harrison, "Augustine," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 676-96.
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本章は、アウグスティヌスにとって聖書がどのようなものであるかを検証したものである。聖書解釈者としてのアウグスティヌスは、独自性を持ちつつも、西洋キリスト教聖書解釈者の伝統――キュプリアヌス、ヒラリウス、アンブロシアステル、アンブロシウス、ヒエロニュムス――に属している。彼が受けてきた教育はいわゆるリベラル・アーツであり、いかにしてテクストを読み、正し、解釈し、そして判断するかを学んできた。当時の教育は文法に始まり、修辞学で終わる。修辞学は、高度に熟練した雄弁の力で聴衆を説得するための方法である。

こうした異教の教育を受けたアウグスティヌスは、聖書の文学的なスタイルの欠落を感じていた。聖書は文学として低級であるだけにとどまらず、一貫していないこと(たとえば共観福音書間で)も問題だった。アウグスティヌスは、この点を唯物主義的哲学の観点から批判していたマニ教にもともと属していたが、386年にキリスト教に改宗したあとは、アンブロシウス流の寓意的(allegorical)・比喩的(figurative)解釈を受け入れ、聖書には字義的な表層の意味の下に、より深い霊的な意味があると考えるようになった。彼によれば、聖書にある非一貫性は、罪でくもっている人間の理性が、本来そこにある真理を見出すことができないからあるように思えるにすぎない。聖霊は、読者をその非一貫性で刺激することにより謙遜を引き出すのであった。いわば、聖書は神的に霊感を受けたものであるにも関わらず、人間のレベルに下がってくることによって、読者が段階的にその真理を理解していけるようになっているのである。

395年にヒッポの司教になると、アウグスティヌスはほぼ毎日の説教をすることが求められた。すなわち、彼の聖書の学びは、純粋に学術的・批判的・理性的・分析的なものであるというより、信仰の立場に立った牧会的・神学的・護教論的なのである。彼の説教は、おそらく先に文章を用意したものではなく、その場で語ったものであり、書記によって記録されていたものだと思われる。その中で、彼はかつて学んだ絢爛豪華な修辞の力をふんだんに発揮したが、同時にそうした技巧に頼ることに注意を払っていた。技巧はパフォーマンスに堕してしまうおそれがあるからである。修辞は聖書テクストの真理の教育に従属すべきであり、また聴衆を効果的に説得して聖書の理解を深められる限りにおいて用いられるべきである。

こうしたことを組織的に議論している『キリスト教の教え』の中で、アウグスティヌスは指示するものである「しるし(signa)」と、指示されるものである「もの(res)」を区別している。解釈者の仕事とは、聖書の表層にある「しるし」が示している、より深いところにある真理である「もの」を、読者に示し、教えることなのである。そして、アウグスティヌスにとって、聖書が究極的に示していることとは、「隣人への愛」と「神への愛」であった。これを探し、示すためにのみ、異教の古典文化は有効である。つまり、異教文化が副次的な人間の制度のみを請け負っているのに対し、キリスト教文化はさらに神的な権威と究極の真理をも請け負っているのである。

アウグスティヌスは、『キリスト教の教え』において、解釈者の心得として、何よりも神への愛を持つことを挙げている。何か他のものを愛するにしても、それは神の代わりに、また神に関連してそれを愛するということである。すべての被造物に対する解釈者の姿勢は、それらを通じて、それらを作りたもうた主へと向けられるべきなのである。こうした神への愛と、隣人への愛とがある限りにおいて、解釈者は、聖書の表面に拙く書かれている特定の言葉や表現(verba/signa)に拘泥するべきではなく、自由に本来の真理(veritas)、意図(voluntas)、意味(sententia)を解釈するべきである。すなわち、「言葉(verba)」ではなく「もの(res)」を探さなければならない。こうした「比喩的解釈(figurative exegesis)」によって、テクストは幾層にも読まれることができるようになった。

このように、アウグスティヌスは基本的に、歴史書も含めて聖書の全体は預言的であると考えていたが、決して字義的解釈をないがしろにしたわけではない。まず最初に字義的に捉えることは前提であり、すべてはそれから始まるのである。また特に主自身が字義的に意味を説明しているところは、そのまま読まれるべきである。

共観福音書には、明らかに相互の矛盾が見られるが、アウグスティヌスはそれらすべてが同じ霊によって霊感を得ていると考えていた。表面的には矛盾していても、より重要なレベルにおいては統一されているのである。これをアウグスティヌスは「調和的な多様性」と呼んだ(『福音書記者たちの調和について』)。

アウグスティヌスは、解釈者が聖書から読み取らなければならない四つの異なった意味を挙げている:第一に、何かが書かれたという事実である「歴史(hisotria)」、第二に、旧新約聖書の調和という「相似(anagogia)」、第三に、なぜ何かが書かれたのかの「原因(aetiologia)」、そして第四に、聖書のすべてが字義的に受け取られるべきではなく霊的かつ比喩的にも受け取られるべきであるという「寓意(analogia)」である。このうち彼が特によく用いたのが寓意的解釈である。これによって、歴史的な人物、出来事、物語も、未来のものとして解釈することができるようになる。

キリスト教の説教者が聖書を解釈するときのアプローチは、「キリスト教的美学(Chrisitian aestetic)」と呼ぶことができる。キリスト者として聖書の単純さや明晰さや真理を評価すべきであることは当然であるが、読者がその真理を理解したいという欲求を刺激し、神への愛を呼び起こすために、解釈者は異教の古典文学由来の雄弁な修辞の力を用いて、聖書にある真理の美を示すべきなのである。なぜなら、真理とは美しいものだからである。ここにおいて、アウグスティヌスはかつて学んだ古典文学の力を否定することなしに、聖書の美を示すことに成功したのだった。

2016年10月14日金曜日

オリゲネス研究の最前線 Dorival, "Origen"

  • Gilles Dorival, "Origen," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 605-28.
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本論文は、新ケンブリッジ版『聖書の歴史』第1巻に収録された、2013年時点でのオリゲネス研究の成果をまとめたものである。1970年代くらいまで、オリゲネスはどちらかというと組織神学者として見なされていたが、Marguerite Harl, Manlio Simonetti, Herman Josef Vogt, R.P. Hansonらの研究により、オリゲネスは何よりもまず聖書神学者であることが強調されるようになった。

オリゲネスの聖書学的な業績といえば、今では四つの断片が残るだけである『ヘクサプラ』が挙げられる。論文著者は、このカイサリアで完成した『ヘクサプラ』に関する議論を9つにまとめている:
  1. ヘブライ語テクストである第一欄は存在したのか。現存する断片には含まれていないが、『アフリカノスの手紙』やヒエロニュムスの証言によると存在したと考えられる。
  2. なぜ第二欄でヘブライ語テクストがギリシア語音訳されているのか。キリスト者のヘブライ語学習のため、母音のないヘブライ語の読みを助けるためなど、さまざまな理由が考えられるが、オリゲネスはそれをアレクサンドリアのユダヤ人用の共観聖書で見つけた。
  3. 第五欄の七十人訳は共通版なのかオリゲネス校訂版なのか。語順などヘブライ化が見られるので、第五欄はオリゲネス校訂版である。
  4. 第六欄はテオドティオンだけだったのか。テオドティオンを含む「カイゲ」グループの翻訳も収録されたはずである。
  5. 『ヘクサプラ』以前に共観聖書はあったのか。Pierre Nautinは、キリスト者たるオリゲネスが七十人訳を第五欄に入れていること、そして音訳はヘブライ語が分かるユダヤ人だけに有用であることから、オリゲネス以前にユダヤ共観聖書があったとする。
  6. 翻訳の掲載順をどのように説明するのか。アクィラ訳やシュンマコス訳はヘブライ語からの翻訳なので先に来て、テオドティオンは七十人訳の改訂なので最後に来る、という説明と、ヘブライ語テクストにより忠実な順になっているという説明がある。
  7. 『テトラプラ』や『テトラッサ』とは何か。『テトラプラ』はオリゲネスの試作品であるという説明、『ヘクサプラ』完成後に作った簡略版という説明があり、『テトラッサ』は四巻本のオリゲネス改訂版だという説明がある。
  8. なぜオリゲネスは『ヘクサプラ』を作成したのか。第一に、ユダヤ人との論争に役立てるためという論争的理由(『アフリカノスへの手紙』9)、第二に、混乱した七十人訳写本の状況を解決するためという文献学的理由(『マタイ書注解』15.14)、そして第三に、自身の聖書解釈の可能性を広げるため、という理由が考えられる。
  9. 『ヘクサプラ』には複数の版があったのか。アレクサンドリアで最初の版を作って、カイサリアで第二版を作った可能性はある。
オリゲネスの聖書観は、基本的には七十人訳を重視するものである。彼にとって、七十人訳こそが教会の旧約聖書であって、ヘブライ語テクストが取って代わることはできない。ただし、次の三つの場合は、必ずしも七十人訳ばかりを優先するわけではない。第一に、ユダヤ人との論争においては、ヘブライ語テクストをベースにするべきである。第二に、明らかにヘブライ語テクストに基づく読みが正しい場合、それを優先するべきである。ただし、そのときでも七十人訳に注釈を加える必要がある。第三に、明らかにアクィラやシュンマコスなどの読みが正しい場合、それを優先するべきである。

オリゲネスは新約聖書に関して、ヨハネ黙示録を正典に入れるべきと考えていた。当時、ナジアンゾスのグレゴリオスなど、黙示録の正典性を疑問視している者もいたが、オリゲネスはそうではなかった。

霊感と一貫性。オリゲネスの聖書解釈は、霊感を受けたテクストを解釈することだった。彼はアリスタルコスなどアレクサンドリア文献学の伝統に則って、聖書から聖書を解釈しようとした。そのためには、聖書には一貫性があることを前提としなければならない。こうした「一貫した連続性」は「アコルーシア(akolouthia)」と呼ばれる。このアコルーシアを明らかにするために、オリゲネスはまず広いコンテクストからある聖書箇所を解釈し、それから一語ずつ、一句ずつの説明に移った。その際に彼が注意したのは、第一に、テクストの目的、第二に、複数の文書があるときにはその順序、第三に、文書の題名、そして第四に、誰が誰に語っているかという点であった。これは、聖書をあたかも劇のようにして読むということである。

聖書の意味。オリゲネスは、聖書の真の(true)・霊的な(spiritual)意味は救済の神秘を表わすことであるが、聖霊はそれを多くの者が理解できるように、より単純な歴史的(historical)・法的(legal)なテクストにして隠している、と考えていた。そして、聖書の見える部分である歴史や律法は、見えない部分である霊的な真理の予型(typoi)として、互いに血縁関係(syngeneia)を持っている。また仮に聖書の表面に非一貫性(adynata)が見えたとしても、それは読者をより深い理解へと誘うためのフックなのである。

オリゲネスは、この表面上の字義的な意味を「肉的(corporeal)」、そして隠れた深い意味を「魂的(pneumatic)」あるいは「霊的(spiritual)」と区別した。後者の高次の意味(anagoge)あるいは知的な意味(noesis)には、予型(typos)、象徴(symbolon)、像(eikon)、そして謎(ainigma)が隠されている。そして、こうした深い意味を探し出すためのテクニックが、寓意的解釈(allegoria)と予型論的解釈(tropologia)であった。

『諸原理について』4において、オリゲネスはさらに高次の意味を区別し、全部で三種類――肉的、魂的、霊的――な意味があると述べている。これらはそれぞれ、キリスト教の初心者、進歩者、そして完全者のためのものであった。同様のことは、『民数記注解』9.7における、クルミの皮たる肉的意味、その殻たる倫理的意味、そしてその内部たる神的な神秘という比喩でも語られている(『フィロカリア』1.21の『レビ記説教』にも似たような記述あり)。そして、この三層構造は、フィロンの解釈に従って、哲学の三分野――自然学、倫理学、論理学――にも比されている(『マタイ書注解』17.7)。オリゲネスにとって、聖書は哲学に等しいものだった。

論争の役割。オリゲネスの聖書解釈の論争相手は、ユダヤ人、異教徒、異端、そして単純すぎるキリスト者たちであった。オリゲネスにとってユダヤ人は、聖書の字義的解釈に拘泥するあまり、キリスト者のような予型論的・寓意的な解釈を見失っている者たちであった。

異教徒であるケルソスは、寓意的解釈は通常神話にのみ適用されるものなのに、歴史や法を含む聖書にそれを適用するのはおかしいと批判した。これに対しオリゲネスは、異教の神話はあまりに馬鹿げているので字義的に読むことができず、寓意的解釈をせざるを得ないが、聖書は寓意的解釈のみならず、字義的にも読めるのだ、と反論した。

異端であるグノーシス主義者は旧約聖書を否定したが、オリゲネスは、旧約聖書と新約聖書とは神の霊感を受けて一体となっているのだと反論した。

単純なキリスト者たちは、質料的・神人同型的な神理解をしがちであるが、オリゲネスは、神の摂理を人間の生の基準に沿って解釈してはいけないと反論した。

聖書に関する著作。オリゲネスの聖書著作といえば、説教と注解である。説教とはユダヤ教由来の文学ジャンルである。2世紀には、シナゴーグではトーラーの割り当て箇所が読まれたあとに預言書からそれに関する箇所が読まれ、それから説教が行われていた。キリスト者の説教で最古のものは、メリトーのサルディス、アレクサンドリアのクレメンス、そしてローマのヒッポリュトスらのものである。オリゲネスは、カイサリアとエルサレムで、毎日旧約聖書の、そして水曜日、金曜日、土曜日に新約聖書の説教をしていたという。旧約は300篇、新約は100篇以上ものした。彼の説教の多くは、ルフィヌスとヒエロニュムスのラテン語訳で読むことができる。

注解とは異教由来の文学ジャンルである。ホメロス、プラトン、アリストテレスの注解が書かれてきた。キリスト者による最古の聖書注解は、ヒッポリュトスの『ダニエル書注解』である。オリゲネスは、注解に関して、旧約は160巻、新約は100巻以上ものした。現在では、エウセビオスの引用、『フィロカリア』、カテーナ、ラテン語訳などを通して注解を読むことができる。オリゲネスは、フル注解を書く代わりにスコリアやストロマテイスの形式で注解を書くこともあった。

オリゲネスの遺産。4世紀になると、オリゲネスの寓意的解釈に対して、真の予型論を同定しようとする理論(theory)を持ったアンティオキア学派が出てきた。タルソスのディオドロスやモプスエスティアのテオドロスらは、旧約聖書は実際にはキリストについて数えるほどしか触れていないと主張した。異教の遺産である寓意的解釈は疑われ、アレクサンドリアのキュリロスはそれを避けるようになった。

予型論的解釈と寓意的解釈について、Jean Danielouは前者が教会の、後者がヘレニズムの伝統と見なした。Henri de Lubacは、これに対し、アンティオキア学派の勃興以前には両者の区別はなかったと考えた。Manlio Simonettiは、予型論的解釈とは内容の問題で、寓意的解釈とは方法論の問題なので、それぞれが寓意的なのであると述べた。

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2016年10月13日木曜日

教会とユダヤ人 De Lange, Origen and the Jews #7

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 75-87.
前章ではオリゲネスがユダヤ人批判において、比較的偏見から自由だったことが論じられていたが、本章では、彼がそれでも行なった批判が扱われている。オリゲネスによる聖書の寓意的解釈の核心は、教会の誕生と、神の庇護がユダヤ人から異教徒へと移ったことを証明することだった。神がユダヤ人を拒絶したことは、彼らがエルサレムから追放され、迫害に遭っていることから明らかである。しかし、オリゲネスはそのユダヤ人を必要以上に糾弾せず、むしろ守ろうとさえした。

ユダヤ人に対するキリスト者からの攻撃の理由と言えば、ユダヤ人によるイエス殺しが大きい。新約聖書では、イエスの死の本当の理由は神が定めのためであり、必ずしもユダヤ人のせいであるとは描かれていないにもかかわらず、教会はユダヤ人を犯人として攻撃した。論文著者は、このイエス殺しがユダヤ人批判の理由の第一となるのは、2世紀になってからだったと主張する(それ以前のキリスト者の反発は、むしろユダヤ人の律法遵守に向けられていた)。オリゲネスは、ユダヤ人が預言者たちの警告を無視して神の不興を買い続け、ついにはイエス殺しにまで手を染めたために、異教徒の教会が神によって選ばれることになったと解釈した。オリゲネスにとって歴史とは、神の人間に対する関係性の舞台であり、すべての歴史的出来事は、神の好悪の証拠として解釈されるのである。

キリスト者が聖書の中でほのめかされている神秘を感じ取ることができるのに対し、ユダヤ人はテクストを厳格に字義的に解釈するだけであった。それゆえに、ユダヤ人は、イエスとは預言者たちに律法を与えた神の子であることや、モーセの宗教は預言書は実際にはキリスト教信仰の呼び水にすぎないことを、解釈しそこなったのである。こうして、ユダヤ人によるイエスの拒否は、ユダヤ人の字義的な聖書解釈と結びつけられたのだった。

オリゲネスは、三種類の聖書解釈を提案している。それぞれ体の部分、すなわち肉、魂、そして精神と結びつけられている。素朴な人間は、聖書の肉部分しか味わうことができない。解釈の階梯を登ろうと努力する者は聖書の魂に触れることができる。そして、完全な者のみが聖書の精神へと至ることができる。この精神のレベルでの解釈こそが、オリゲネスによって最も重要な「寓意的解釈」と「予型論的解釈」を含んでいる。こうした異教徒のホメロス解釈やフィロンの旧約聖書解釈のテクニックを用いることで、オリゲネスは、旧約聖書が実際にはユダヤ人ではなく教会に属するものであり、また新約聖書において必要不可欠なものであることを示そうとした。

ユダヤ人が教会の迫害に責任があるという言説に関して、オリゲネスにその出所が帰されることがある。他の証言者としてはユスティノスやテルトゥリアヌスがいるわけだが、詳しく見ると、オリゲネスは実際にはそこまで言っていない。何といっても、彼とユダヤ人との関係性はそれほど悪くなかったのである。

オリゲネスは、『トルドット・イェシュ』に結実することになるイエスの生涯のスキャンダラスな解釈を知っていた。またシュモネ・エスレと呼ばれるユダヤ教の祈りの文言にある、キリスト者への呪いをも知っていたと見られる。しかしながら、彼はユダヤ人の字義的な聖書解釈を批判するに留まったのだった。

2016年10月11日火曜日

ケルソス、ポルフュリオス、ユリアヌス Kinzig, "Pagans and the Bible"

  • Wolfram Kinzig, "Pagans and the Bible," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 752-74.
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本論文では、古代の異教徒たちがどのように聖書に興味を持ったかについてまとめられている。非キリスト教者は、文学の修辞的・哲学的な洗練について高い基準を持っていた。そして聖書は、旧約聖書(ギリシア語訳)も新約聖書も共に、明らかにこの基準には満たない代物であると見なされていた。興味深いことに、キリスト教の勃興以前には、ユダヤ人の聖書が異教徒によって読まれていた証拠は見当たらない。言い換えれば、異教世界における聖書の受容は、2世紀以降のキリスト教成立と共に始まったのである(1世紀にも、偽ロンギノス、カッシオス・ロンギノスらがいる)。これは、ユダヤ教が宣教に熱心な宗教ではない一方で、キリスト教はそうであったからだと考えられる。

聖書に言及した異教徒の最初期の例としては、ピタゴラス主義・プラトン主義哲学者のヌメニオス、哲学者かつ医者のガレノスらがいる。彼らは必ずしもユダヤ教やキリスト教を主題にしてはいない著作の中で、聖書の非科学性を批判しつつも、キリスト者の倫理観の高さを称賛した。2世紀後半になると、聖書を中心的な主題とした書物も書かれてるようになった。3世紀から4世紀初頭にかけて活躍したヒエロクレスは『真理を愛する者』という著作で聖書の誤謬を指摘し、使徒たちを批判した。ヒエロクレスはイエスを、1世紀の新ピタゴラス主義者であるテュアナのアポロニオス(伝記はフィロストラトスによる)と比較した。

聖書を扱ったさまざまな異教徒たちのうち、論文著者はオリゲネスによって知られる哲学者ケルソス、マカリオスによって知られる新プラトン主義哲学者ポルフュリオス、そしてアレクサンドリアのキュリロスによって知られるローマ皇帝ユリアヌスを取り上げている。

ケルソスの聖書知識は限られている。彼はモーセの教えは異教の教えや神話を誤解・曲解したものだと批判している。世界の創造はナンセンスであり、人が神の似姿であるという考え方は人と神との存在論的な違いを矮小化することに他ならない。イエスの処女から生まれたのではなく、兵士パンテラとマリアとの情事によって生まれたのであり、イエスの教えはモーセのそれと矛盾している。イエスの受難は、騒擾を起こした者の当然の結果である。このように、ケルソスはさまざまな点に関して聖書を批判したわけだが、特にイエスの批判が微に入り細を穿っていることから、福音書を読んだことがあると思われる(パウロ書簡については不明)。

ポルフュリオスは、聖書の文献学的な知識において秀でていた。彼は、特に預言書の逐語的な解釈を好んだ。そして、預言書に書かれているのはキリストの受肉に関することではなく、単純にユダヤ史における過去の出来事にすぎないと示そうとしたのである。そこで彼が注目したのがダニエル書である。これはヒエロニュムスの『ダニエル書注解』の中で長く引用されている。ポルフュリオスは、第一に、ダニエル書がダニエルによって書かれたことを否定し、第二に、ダニエルが未来のことを語っているという解釈を否定し、そして第三に、ダニエルがアンティオコスの時代までについて語っていることは正しいが、それ以降は誤りであると主張した。キリスト者にとって、ダニエルははっきりとキリストの出現について語っている預言者だったので、ポルフュリオスによるそうした解釈の否定に対し、彼らは大きく反発した。新約聖書に関しては、ストア派によるロゴス・プロフォリコスとロゴス・エンディアテトスの区別に基づいて、ヨハネ伝冒頭のキリストのロゴス論を否定した。概して、福音書の非科学性はポルフュリオスをいら立たせた。

幼少時にキリスト教教育を受けたユリアヌスは、当然ながら、最も深い聖書の知識を持っていた。すべての国はローマの国家的な神々に従属しているべきであるという考えだったユリアヌスは、ユダヤ・キリスト教の一神教的世界観を大いに批判した。ただし、彼の批判はユダヤ人にではなく、主にキリスト者に対するものだった。世界の創造については、聖書の無からの創造という考え方はプラトンの『ティマイオス』に劣ると考えていた。曰く、人に知識を与えた蛇はむしろ恩人であり、アダムの助け手として創造されたはずのイブは、実際には彼を騙している。十戒は他の民族にも見られるようなありきたりのことしか書かれていない。新約聖書で示されている新しい法は、モーセのそれとは矛盾している。それどころか、福音書はそれぞれ矛盾した記述を含んでいる。イエスは、ヘロデの前で奇跡を起こすように求められてもできなかった。イエスの教えはただ馬鹿げているだけではなく、国家や社会を不安定にさせるものである。こうしたことゆえに、ギリシア文学は、人を賢明にさせることについて、はるかに有益である。

これら三人に加えて、論文著者はもう一人、マカリオスの不詳の敵対者(ポルフュリオスか?)を挙げている。この敵対者は新約聖書を特に攻撃対象として、キリスト教を批判した。曰く、福音書はでたらめで一貫しておらず、イエスはただの人である。最後の晩餐でのイエスの言葉はカニバリズムを示唆するものである。これらの事柄は、寓意的解釈を用いたとしても、受け入れがたい。またこの人物は唯一、パウロを本格的な批判の俎上に上げている。パウロがさんざん喧伝した終末は、彼が死んで300年も経つのにまだやってこない。罪の赦し、偶像の否定、死者の復活といった考え方も、みな不条理なものである。偶像は神々と同じものなのではなく、記念や祈りの場のために作られたものなのである。

以上のような著作群は、論争哲学(Kontroversphilosophie)と呼ばれる文学ジャンルとされており、哲学の学派同士でも交わされた。また公の場で朗読されることもあったようである。事実、ヒエロクレスが自身のキリスト教批判を朗読したときには、ラクタンティウスがその場にいたことが知られている。注意すべきは、彼らの作品は、多くの場合キリスト者による論駁書の中に保存されて残っていることである。ただし、彼らは聖書の統一性と多様性について、異教とキリスト教の神論の比較、救済論や終末論については、あまり扱っていない。

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2016年10月10日月曜日

ヨセフスとフィロン以外のヘレニズム期ユダヤ人作家 Van der Horst, "The Interpretation of the Bible by the Minor Hellenistic Jewish Authors"

  • Pieter W. van der Horst, "The Interpretation of the Bible by the Minor Hellenistic Jewish Authors," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 519-46.
本章では、ヘレニズム期におけるマイナーなユダヤ人作家の著作が紹介されている。アリストブロスは入っていないが、エウセビオス『福音の準備』第9巻において、アレクサンデル・ポリュヒストルを通じて引用や抜粋のかたちで保存されている9人の作家たちが扱われている。アレクサンデルはローマで活躍した解放奴隷であり、さまざまな作家の作品を大量に引用しつつ、各国の歴史を書いたことで知られている。彼の『ユダヤ人について』は失われたが、エウセビオスが引用している。アレクサンデルが保存した作家たちのもともとの時代については諸説あるが(前250年から前50年)、おそらく多くが前2世紀の作家たちだと考えられている。

詩人としては、劇作家エゼキエル、詩人フィロン、そしてテオドトスが挙げられる。エゼキエルは我々に知られている唯一のユダヤ人劇作家である。彼の『エクサゴーゲー』は出エジプト記1-15章をもとにした作品で、聖書に忠実なところとかけ離れたところがある。エゼキエルは、ユダヤ人やモーセに対して悪い印象を持ち得るような箇所は省略している。途中、モーセが夢の中で神と言葉を交わしたという記述が出てくるが、その解釈は二通り考えられる。第一に、モーセは実際に神に会ったわけではないことを意味するという、モーセの軽視。第二に、モーセを主の天使と同一視するという、モーセの称賛。論文著者は後者を妥当だと考えている。非聖書的場面に、不死鳥が出てくるが、これはユダヤ人たちの出エジプトが歴史において新しい時代を開いたことを含意している。

叙事詩の詩人であるフィロンは、あまり知的でないギリシア語による『エルサレムについて』という作品を残している。そこでは、イサクの奉献、ヨセフのエジプトでの政治、そしてエルサレムの水道システムが歌われている。全体としては、エルサレムを称賛し、アブラハムを賛美する内容になっている。

テオドトスは、都市シケムに関する歴史を叙事詩の形式で歌っている。エルサレムではなくシケムをテーマとしていることから、テオドトスはサマリヤ人であるかもしれない。この作品では、創世記のヤコブの伝説についてもホメロスの形式で歌われている。

歴史家としては、デメトリオス、アルタパノス、エウポレモス、偽エウポレモス、クレオデモス・マルコス、そしてアリステアスが挙げられる。デメトリオスはユダヤ人の歴史を二つのジャンルに従って描いた。その第一は、ギリシア文学における非ギリシア人の歴史である。これはエジプト人マネトンをはじめ、ユダヤ人ヨセフスに至るまでさまざまに用いられてきた手法である。彼らは、ギリシアの歴史観を用いつつも、巧妙な時系列操作によって自民族の卓越性を示そうとした。デメトリオスはその際に、聖書を歴史書として利用しつつ、必要があれば大胆に改変した。その第二は、問答形式であるエロタポクリセイスというジャンルである。これは、ホメロスの解釈を始めとする科学的な文学において適用されるものだったが、デメトリオスはあまり厳密にこれを用いなかった。デメトリオスは、他の歴史家たちと異なり、モーセもアブラハムも必要以上に賛美しなかった。

学術的なデメトリオスに比して、アルタパノスは歴史小説家のような自由さを備えていた。モーセ、アブラハム、ヨセフらの伝記の断片が残っているが、それらは最も聖書からかけ離れた物語であり、のちのミドラッシュ文学にも見つからないようなものになっている。彼は聖書の登場人物たちを、エジプト人に文化や宗教を教えたような偉大な教師として描いた。その際には、扉が自発的に開くモティーフのようなギリシア文学のお決まりの表現を使う一方で、テトラグラムをみだりに唱えたことが引き起こす災厄といったユダヤ的な要素をも用いた。彼は、ユダヤ民族の特権と矜持を証明するためには、聖書物語を大幅に改変することも辞さなかった。

エウポレモスはエルサレムの祭司の家系出身であり、一マカ8:17以下で言及されている。彼は、『ユダヤにおける王たちについて』の中で、モーセを律法制定者、文化的な貢献者、そして文明の創建者として描いている。またモーセからサウルまでのユダヤ人の歴史を要約しつつ、聖書にはない大げさなエピソードを加えている。特にエルサレム神殿の建設については、大きく聖書から外れ、未来に建てられるべき理想の神殿の描写を繰り広げた。すなわち、彼にとって聖書は、再説聖書の文学の考え方と同様に、出発点に過ぎなかったのである。時系列についても独自の勘定を持っており、ギリシア人よりもユダヤ人の方が古いことを示そうとした。

アブラハムを扱っている偽エウポレモスの著作断片は、アレクサンデル・ポリュヒストルによって誤ってエウポレモスに帰されたものである。彼は聖書の伝承のみならず、アガダー的伝承や、ギリシアやバビロニアの神話をも、物語の中に織り込んでいる。さらには、ゲリジム山に言及するなど、サマリヤ人的な伝承をも持っていた。これは、エルサレム神殿を重視した真正なエウポレモスとは相容れない特徴である。偽エウポレモスは、アブラハムは、天文学を創始したエノクからその知識を得て、占星術を創始したと述べている。そしてその占星術を、アブラハムはフェニキア人やエジプト人に教えたのだった。さらに、ノアとニムロデを同一視するという奇妙な解釈も披露している。

クレオデモス・マルコスは、アブラハムの子孫の物語を語っており、ついにはアブラハムとヘラクレスとの家系的な繋がりを示した。普遍的な父であるアブラハムから多くの民族が生まれたことを示すことによって、ユダヤ人が他の民族と血縁関係を持っていると主張したのである。これはディアスポラのユダヤ人が外国に住み続ける居心地の悪さを解消するためのものだった。

アリステアスはヨブ記を要約してアガダー的伝承を付け加えた。同様の伝承は、偽フィロン『聖書古代誌』、『ヨブの遺訓』、クムラン第11洞窟で発見されたヨブ記のタルグム断片などに見られる。

上記のユダヤ人作家たちは、ユダヤ民族がさまざまな文化的創造を成し遂げたことを示すことによって、自意識を強めようとした。そのために、アブラハムやモーセは、ギリシア文明の要となる事柄の創造者として描かれた。今の偉大なギリシアが持っている知恵は、実はモーセの書から取られたものなのだ、と言うのである。これは、明らかに当時の反セム的な感情に反論するため、という護教論が背景になっていると考えられる。それと同時に、強くヘレニズム化してしまった同胞がユダヤ教を捨てることのないようにするためでもあった。これらの作家たちは、同胞たちがユダヤ人でいつづけようと思わせなければならなかった。

特徴的なのは、どの作家も、トーラーの戒律的・律法的な側面をまるで重視していないということである。モーセは文明の発明者、文化の貢献者としてのみ描かれ、律法制定者としては描かれていない。これはラビ文学とは大きく異なる点である。ただし、これは引用しているアレクサンデル・ポリュヒストルの関心から外れていたために、本当は扱っていたのに引用されていないだけという可能性もある。しかし、論文著者は、やはりこのトーラーの律法的な側面への無関心を、ヘレニズム期ユダヤ人作家の特徴と考えている。こうした特徴があったために、彼らの著作は後代のユダヤ人ではなく、むしろキリスト教の教父たちによって読まれるようになった。

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2016年10月8日土曜日

ケルソスとの論争 De Lange, Origen and the Jews #6

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 63-73.
本章では、オリゲネス『ケルソス駁論』に基づいて、オリゲネスのユダヤ人理解を明らかにしている。キリスト教の礎たるイエスや弟子たちがユダヤ人であるにも関わらず、同時代のユダヤ人がイエスをメシアであると認めることはない、というジレンマを教会はいつも抱えていた。とはいえ、オリゲネスの時代である3世紀前半には、両者の関係はまだ悪くはなく、それゆえに、オリゲネスは必要以上にユダヤ人を糾弾するべきではないと考えていた。というのも、彼は古代イスラエルの歴史はそのまま、真のイスラエルである教会の歴史へと繋がっていると見なしていたからである。

オリゲネスの『ケルソス駁論』は、ユダヤ人に対するキリスト者の穏当な護教論として独特な位置を占めている。この中で、異教の哲学者ケルソスは、ユダヤ教とキリスト教とを攻撃している。そのためにケルソスは、第一に、ユダヤ教を批判する古くからの異教徒の議論を、第二に、キリスト教を批判するユダヤ人の議論を、そして第三に、キリスト教を批判する異教徒の議論を用いている(論文著者はこのうち最初の二つのみについて議論している)。

異教徒のユダヤ教批判。マネトン、リュシマコス、カイレモン、アポロニオス・モロン、アピオーンなどエジプトの反ユダヤ的な作家たちの時代から、ユダヤ人は歴史が浅く、何ら独創的な思想を持たない民族であると書かれてきた。これはヨセフス『アピオーンへの反論』からも読み取ることができる。タキトゥスは、ユダヤ人の先祖はエジプトからパレスティナに移住したハンセン病患者や身体障害者であると述べている。キケローは、選ばれた民であるはずのユダヤ人が多くの災難に遭っているということは、神が彼らを守護してなどいないことを意味していると主張した。ケルソスは、こうしたいわば伝統的な議論を基に、ユダヤ教と、それに由来するキリスト教とを批判したのである。

ユダヤ人のキリスト教批判。ケルソスは、のちに『トルドット・イェシュ』に結実するような、ユダヤ人の間で共有されていたイエスに関するスキャンダラスな説話を知っていた。イエスは処女懐胎によって生まれた神の子ではなく、パンテラと呼ばれる兵士とマリアとの間に生まれた私生児であるというのである。

オリゲネスの反論。ケルソスによるこうした議論に対し、オリゲネスは落ち着いて反論している。第一の議論については、特にヨセフス、フィロン、タティアノス、そしてヌメニオスらに依拠しつつ、ユダヤ人の民族としての古代性と卓越性、モーセの教えの妥当性、そしてユダヤ人に対する神の特別な配慮を示そうとした。彼らに言わせれば、ギリシア哲学は聖書からの盗用であり、モーセはトロイア戦争よりも以前に生きていたのである。しかし、このような素晴らしいユダヤ人も凋落し、キリスト教が広まっているのは、モーセよりもイエスの方が優れているからであり、また神の庇護がユダヤ教からキリスト教に移ったからだ、と言うのである。

第二の議論については、オリゲネスはイエスの父親に関して、パンテラ説を否定している。そしてイザヤ書のインマヌエル預言の箇所について、「アルマー」という語が単なる「乙女」ではなく「処女」を意味することをヘブライ語テクストに基づいて説明しようとした(その説明自体は、彼のヘブライ語知識の不足から誤りである)。3世紀のユダヤ教とキリスト教との論争については、タナイーム文学でも教父文学でもあまり知られていないが、この『ケルソス駁論』における議論は、そうした欠落を埋めてくれる。

キリスト教の卓越性。こうして、ケルソスによるユダヤ・キリスト教批判に反論したあとで、オリゲネスはさらにユダヤ教に対するキリスト教の優越をも示そうとした。そのために彼が論拠としたのが、イエスが起こした奇跡であった。ケルソスは、キリスト教を批判するために、福音書に記されたイエスの奇跡は馬鹿げていると批判した。この批判は、実はユダヤ教からのキリスト教批判でも用いられる論法だった。律法に集中するラビたちは、奇跡など信じなかったのである。つまり、この批判は、異教とユダヤ教からのキリスト教批判になっている。これに対し、オリゲネスは、同様の奇跡は旧約にも見られるのだから、ユダヤ人が福音書の奇跡を非難するのはお門違いだと反論した。なおかつ、イエスの奇跡は、ユダヤ人しか相手にしないモーセの奇跡よりも普遍的だと考えていたのである。

オリゲネスは確かにユダヤ人と論争していたが、同時に異教からの攻撃に対し、ユダヤ教とキリスト教をひとつながりのものとしても見なしていた。ただし、キリスト教はユダヤ教の最良の部分の継承者であり、ユダヤ人がキリストの福音を信じないのを残念に思ってもいたのである。

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2016年10月7日金曜日

オリゲネスの聖書学 De Lange, Origen and the Jews #5

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 49-61.
本章では、オリゲネスの聖書学がいかにユダヤ人教師たちに負っているかが扱われている。『ミシュナー』「アボット」で述べられているように、ラビ・ユダヤ教では、聖書の霊感はただ成文律法のみならず、口伝律法にも及んでいると考えられている。ラビたちは七十人訳を疑い、ラビ的伝統の信頼性を主張した。またヘブライ語聖書の正典は一貫したものであるように見せていた。

オリゲネスは、ユダヤ人教師について、聖書の霊感の伝達と正典とを議論した初期の教父である。彼がヘブライ語聖書に関心を持ったのは、ユダヤ人との討論をするときに役立つからであるという護教的理由がしばしば語られることがあるが、これだけでは十分ではない。オリゲネスのヘブライ語聖書への関心は、自身の聖書解釈をより正確にし、研究をより豊かにするためでもあったのである。

ただし、だからといって、ヒエロニュムスが「ヘブライ的真理」と述べたような絶対的な信頼を、オリゲネスもまたヘブライ語聖書に付したというわけではない。オリゲネスはアレクサンドリアの伝統に則って、七十人訳を霊感を受けたテクストだと考えるほどに、親七十人訳的態度を維持していた。

聖書のラビ的伝統を知るために、オリゲネスはアクィラ訳に大きく依拠していた。アクィラ訳は、カイロ・ゲニザでも写本が見つかっていることからも分かるとおり、ラビ的な翻訳であり、6世紀までシナゴーグで読まれていた形跡がある。他の伝承のソースは、ユダヤ人教師から学んだユダヤ説話や、『聖書古代誌』のようなギリシア語のミドラッシュ(現存するのはラテン語訳)だったと考えられる。

聖書の正典は、ラビ的伝統においては24書であるとされているが、ヨセフスは22書という数え方をしている(『アピオーン』1.8)。オリゲネスはさらに、ヘブライ文字が22文字であることを根拠に、正典も22書であると主張している(『フィロカリア』3)。この22書のリストは、エウセビオスとポワティエのヒラリウスによって伝えられている。それを精査すると、ギリシア語テクストである『第二エズラ記』と『エレミヤの手紙』を組み込んでいること以外は、マソラー・テクストの伝統に忠実なリストになっている。ただし、書物の順序は、途中まではラビ的伝統に従っているものの、最終的にはギリシア語聖書と同様になっている。

ルツ記を士師記に、哀歌をエレミヤ書に組み込むのは、当時のユダヤ的な伝統であったろう。またオリゲネスは、詩篇が五部に分かれているというユダヤ的な見解を正しく伝えている。ラビたちが『トビト記』、『ユディト記』、『ソロモンの知恵』、そして『第一エノク書』を正典に組み込んでいないことも知っていた。

聖書、特に五書の著者性に関して、オリゲネスはしばしばそれをモーセに、ときに神に帰している。これはユダヤ的伝統に忠実だが、エズラが執筆を継承したという修正を加えている。申命記におけるモーセの死を、いったいどのようにモーセが記したのかという矛盾を解消するためである。この説明は、クレメンスやエイレナイオスも知っていた。ヨシュア記はヨシュアによって書かれ、箴言、コヘレト書、雅歌はソロモンによって書かれ、そして詩篇の大部分はダビデによって書かれたと、オリゲネスは報告している。

オリゲネスは、シナゴーグでの聖書朗読を実際に体験したことがあるようだが、当時のシナゴーグにおいてギリシア語訳が一緒に朗読されていたかどうかについては述べてはいないが、アクィラ訳がユダヤ人たちの間で高い評価を得ていたことを伝えている。実際、アクィラ訳は6世紀まで活用されており、カイロ・ゲニザにも写本が残っている。『ミシュナー』では聖書の翻訳の使用は禁じられているが、後代のラビたちはそれを許していたようである。カイサリアを訪れたラビ・レヴィ・バル・ヘイタは、シェマアがギリシア語で朗誦されているのを聞いたことがあると言う。

『ヘクサプラ』の第二欄にあるヘブライ語テクストのギリシア文字による音訳は、当時のシナゴーグでの音訳テクストの使用を推測させるものである。オリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったことを鑑みるに、ヘブライ語テクストやその音訳を含む『ヘクサプラ』は、彼のユダヤ人助手の手によるものかもしれない。音訳は、母音記号のなかった当時のヘブライ語の発音を保存している。そうした補助がありながら、オリゲネス自身がヘブライ語テクストに基づいて聖書解釈をすることはまれで、ヘブライ語テクストを知りたいときにはアクィラ訳を参照するにとどまっていた。

オリゲネスは神の名前のテトラグラムの仕組みを知っていた。彼は、あるテクストにおいてはテトラグラムが古ヘブライ文字で書かれていることをも知っていた。こうしたことに関する知識は、もしかしたらフィロンを通じて得たものかもしれないが、実際にユダヤ人たちがテトラグラムを「主」と読み替えているのを見たとも考えられる。

当時のラビ的な教育がどのようなものだったのかについて、オリゲネスはほとんど記してないが、彼自身がそうした教育を多少受けたことがあるものと思われる。事実、若年者たちに創世記の冒頭、雅歌、エゼキエル書の冒頭と終わりとを教えてはいけないという、当時の伝統を彼は知っていた。

外典・偽典における聖書解釈 Dimant, "Use and Interpretation of Mikra in the Apocrypha and Pseudepigrapha"

  • Devorah Dimant, "Use and Interpretation of Mikra in the Apocrypha and Pseudepigrapha," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 379-419.
本論文は、外典と偽典における聖書解釈がどのようなものであるかをまとめたものであるが、それ以上に、聖書解釈一般の方法論の概観にもなっている優れた一作である。著者によれば、これまでの研究の弱点は、特定の個々の場合の分析によって一般化していくという、帰納法的なアプローチを取っていたため、限定的かつ断片的な方法論に終始していたことにあったという。すなわち、ある箇所で聖書的要素が何を含意しているのか、ということのみに注目してきたわけだが、論文著者はそれがどのように、またなぜそうしたことを示しているのか、という機能的な部分にまで論点を広げようとする。著者はこれを「機能的・構造的な分析形態(the functional-structural form of analysis)」と呼んでいる。

この分析において大きな支柱となるのが、外典・偽典における二つの形式的なカテゴリーである:すなわち、「構成的(compositional)」と「解説的(expositional)」な文書である。前者において、聖書的要素は、外的なマーカーなしにテクストに織り込まれつつ含意されるが、後者において、それらははっきりとした外的なマーカーと共に詳細に説明されている。

こうした形式の違いは、むろん目的の違いによるものである。解説的文章の目的は聖書テクストを説明することであるため、しばしば聖書テクストを見出し(レンマ)に掲げることで、解説部分と区別している。こうした形式の代表的なものは、ミドラッシュ、クムランのペシェル、フィロンの律法注解、そして新約聖書における旧約引用などである。

一方で、構成的文章は聖書からは独立した新しいテクストを創造することを目的としているため、聖書的要素を自身の一部にしている。構成的文章の例としては、物語(narrative)、詩篇、遺訓、知恵、そして論説(discourse)などのジャンルが挙げられる。構成的文章は、解説的文章と異なり、聖書的要素を特定の様式のもとで導いたりはせず、それらを自らの記事の中に織り込んでいく。これは外典や偽典によく見られるジャンルである。

論文著者は、解説的文章における解釈のことを「釈義(exegesis/hermeneutics)」、そして構成的文章における解釈のことを「解釈(interpretation)」と呼んでいる。

解説的文章における聖書の明示的な使用方法(explicit use of Mikra in exposition)を論文著者は二つ挙げている。第一に、引用である。しかしながら、外典や偽典においては聖書の明示的な引用は比較的少ない。少ない中で際立っているのが、論説ジャンルにおける五書から引用である。また祈りが神の行為と神の言葉とに言及する際に、行為は暗黙的な方法で、そして言葉は明示的で正確な引用によって示されている。聖書を引用することで、解釈者たちは、自分たちの時代を引用元の時代と「同一視(equation)」し、また引用で言われていることが自分たちの時代に「実現(actualization)」したことを示している。これはクムランのペシェルの特徴でもある。

第二に、人物や状況への明示的な言及である。こうした言及には二通りある:第一に、聖書の登場人物のカタログ、そして第二に、人物や状況への個別の言及である。登場人物のカタログは、多くの場合、論説の中でも奨励の箇所に出てくる。登場人物たちは時系列に並べられ、その役割を冠されている。注目すべきは、そうしたカタログには、善人のみならず悪人も登場していることである。第二の個別の言及は、論説や祈りの箇所に出てくる。たとえば、ディナの強姦のエピソード(創34)は、『ユディト記』、『レビの遺訓』、そして『ヨベル書』に出てくる。

では、構成的文章における聖書の暗黙的な使用方法(implicit use of Mikra in composition)とはどのようなものか。それらは、解説的文章のように、解釈のために秩序だっているわけではなく、神の言葉や行為を表現しているわけでもない。はっきりとしたマーカーによって、それが聖書に基づいていることが示されることもない。読者の読解力がそこに聖書的要素を読み取るのである。この方法には、以下の三種類がある:第一に、暗黙的な引用、第二に、暗示、そして第三に、モティーフとモデルである。

暗黙的な引用は、外典や偽典の最も特徴的な点のひとつである。これらのジャンルにおいて、引用は明示されないままテクストに織り込まれている。特に、「自由な物語(free narrative)」、「聖書の拡張(biblical expansion)」(たとえば再説聖書[Rewritten Bible])、そして「偽典的伝記(pseudepigraphic biography)」に、そうした特徴が見られる。「自由な物語」における暗黙的な引用は、聖書のスタイルや形式を模倣することが多い。著者は、自分の語る物語と聖書の物語とのアナロジーを期待しているのである。「再説聖書」において暗黙的な引用がなされる場合、もとのテクストにあった要素の解釈的な入れ替え(exegetical substitutions)や、編集的な改変(slight editorial alterations)がなされることが多い。

第二の暗示は、定義することが困難なため、研究が進んでいない。ただし、暗示には、独立した外部のテクストに言及する特別なシグナルが用いられている。そのシグナルとなる、聖書の特定の箇所に基づいたモティーフ、鍵語、そしてフレーズなどに注目するべきである。こうした暗示は、特に偽典的な枠組みにおいて鍛えられてきた。

そして第三のモティーフとモデルは、特定の用語やフレーズによって示される。『トビト記』は、明らかにヨブ記をモティーフとして、またモデルとして書かれているが、『トビト記』にはそのことを明示的に示す言及のようなものはない。そもそも物語のプロットがヨブ記から取られているわけではなく、独立した別の物語である。しかしそこに見られる類似性は、新旧の作品を比較することを可能にする。そのとき、旧作品は真作品に統合されるわけではない。

2016年10月4日火曜日

オリゲネスのユダヤ教知識 De Lange, Origen and the Jews #4

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 39-47.
割礼、食餌規定、祭りなどのユダヤ法遵守について、オリゲネスは新約聖書やヨセフスといった二次資料からのみならず、実際のユダヤ人という一次資料からも知るすべを持っていた。オリゲネスの活躍した時代が『ミシュナー』編纂のすぐあとであることから鑑みて、彼のハラハ―に関する知識は、ユダ・ハナスィーの弟子たちから直接学んだものである可能性がある。そうした痕跡は、特に『諸原理について』と『フィロカリア』などの中に見出すことができる。

たとえば、安息日の遵守に関しては、出16:29における基礎的ルールのみならず、安息日であっても移動することができる境界である2000キュビトに関するエルブというルールについても言及している。

食餌規定については、オリゲネスは聖書の規定以上のことは特に述べてはいない。しかし彼は、マコ7:11における「コルバン」という言葉に関して、ユダヤ法における不良債権の回収や社会的な義務の放棄の知識を持っていた。

『ケルソス駁論』を読むと、オリゲネスがラビ・ユダヤ教的な議論をしているのに対し、ケルソスはより自由で折衷的な非ラビ的なユダヤ教に基づく議論をしている。言い換えれば、ケルソスの議論はヘレニズム的で混淆的なのである。従って、ケルソスが依拠しているユダヤ人は、ギリシア哲学や他の宗教に由来する思想を濃厚に持っていたと言える。対して、オリゲネスは意図的に自身の議論を、律法を重んじる特定のユダヤ人に限定していたのだった。

オリゲネスは、エジプトのグノーシス主義をユダヤ教的な霊理解に繋げており、ケルソスはサタンやロゴスについて語っている。これらはラビ文学にも見られるものではあるが、どちらかというフィロンをその導き手としていると考えられる。

オリゲネスは、ラビ的な神の複数の神格について語っている。これは、ミニームらの考え方を基にしていると考えられる。ミニームとは、ユダヤ教の異端やグノーシス主義者、ヘレニズム的ユダヤ人、ユダヤ・キリスト者、そしてキリスト者のことをさえ指す漠然とした用語である。

他にも、オリゲネスは神人同型説、創造論、報いと罰、復活論、死後の生、メシア論について言及している。

2016年10月3日月曜日

ユダヤ人とヘブライ人 De Lange, Origen and the Jews #3

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 29-37.
オリゲネスの時代にユダヤ人を表わす言葉は、「イスラエル」、「ユダヤ人(ユダイオイ)」、そして「ヘブライ人(ヘブライオイ)」などさまざまあった。パレスティナのユダヤ人は、しばしば自分たちのことを「イスラエル」と呼び、「ユダヤ人」とは呼ばなかった。逆に、ディアスポラのユダヤ人が自分たちのことを「イスラエル」と呼ぶことは稀だった。オリゲネスが「イスラエル」という言葉を使うのは、聖書のイスラエルの民のことを指すときだけだった。

では「ユダヤ人」と「ヘブライ人」との違いは何か。論文著者は、ヨセフス、フィロン、新約聖書、テルトゥリアヌス、『第四マカベア書』、『ミシュナー』、そして各種碑文などの証拠から、基本的な使用法を次のようにまとめている:
  1. 「ヘブライ人」が古代イスラエル人を指すのに対し、「ユダヤ人」は同時代のユダヤ人を指す。
  2. 「ヘブライ人」が敬称であるのに対し、「ユダヤ人」は中立か敵対的な意味になる。
  3. 「ヘブライ人」は、特にヘブライ語かアラム語を話すユダヤ人を指し、ギリシア語を話すユダヤ人である「ヘレニスタイ」と対を成している。
こうした用法に対し、オリゲネスは「ヘブライ人」という言葉を文献学的な文脈で用い、「ユダヤ人」という言葉を論争的な文脈で用いているという。オリゲネスは、神学者としてユダヤ人を非難する立場にあったが、学者や聖書解釈者としてはユダヤ人に負っているというジレンマを持っていた。彼の「ヘブライ人」と「ユダヤ人」の用法には、このジレンマが表れているのである。

オリゲネス(やエウセビオス)にとって「ヘブライ人」という言葉が敬称的な意味を持つのは、古代イスラエル人と繋がっているヘブライ人たちが、キリスト教会の霊的な先祖を意味するとも見なされていたからである。言い換えれば、すべての「ヘブライ人」は、キリストより前に生きた者たちも含めて、「キリスト者」として数えられるのである。こうした理解から、「イスラエル」という言葉もまたキリスト者や教会を指すこともある。これに対し、「ユダヤ人」という語には依然として、聖書を逐語的に訳す者たちや割礼をする者たちといった、否定的な意味合いが含まれていた。

オリゲネスが持っている重要な情報としては、ラビ・ユダヤ教の長老制度(patriarchate)がある。ラビ・ユダの肩書である「ナスィー」は、ギリシア語ではエトナルケースあるいはパトリアルケースと訳されている。前者は古いヘレニズム期の用語であり、それがオリゲネスの時代に次第に後者に取って代わり、4世紀以降では完全に後者の訳語が定着した。オリゲネスはサンヘドリンに関しては何ら言及していないが、おそらくラビを指して「賢者(ソフォイ)」という語を用いている。

オリゲネスはユダヤ教のセクトにも言及している。パリサイ派については、逐語的な解釈者と見なしている。ヒエロニュムスが言及しているナザレ派については沈黙しているが、エビオン派、エルケサイ派、サマリヤ人についても言及がある。

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2016年10月2日日曜日

ユダヤ教に関するオリゲネスの情報源 De Lange, Origen and the Jews #2

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 15-28.
本章は、ユダヤ人やユダヤ教に関してオリゲネスが持っていた情報源を扱っている。何よりも彼の情報源として挙げられるべきは、ギリシア語訳聖書である。すなわち、『ヘクサプラ』に収録されている七十人訳、アクィラ訳、テオドティオン訳、そしてシュンマコス訳である。ギリシア語に訳された、あるいはギリシア語で書かれた正典外の文書もまた彼の情報源であった。

フィロンはいくつかの箇所で名指しで引用されている。フィロンのことを「我々の先達」と呼んでいたことから、オリゲネスはフィロンを教会の遺産の一部として見なしていたと考えられる。こうした考え方は、115年のユダヤ反乱以降、多くのユダヤ人がキリスト教に改宗したときに、教会の中に入り込んできたのであろう。フィロンはオリゲネスの神秘主義的な聖書解釈には大きな影響を及ぼしたが、キリスト教外のギリシア思想にはほとんどインパクトを与えなかった。

歴史的な事柄については、オリゲネスはヨセフスに依拠している。ミドラッシュ的な聖書解釈では『聖書古代誌』からの影響も見られる。ユダヤ人やサマリヤ人の理解については、新約聖書も大きな情報源である。異教作家はほとんどユダヤ人に関して言及していない。例外としては、ダマスコスのニコラウス、アパメアのヌメニオス、そしてケルソスらが挙げられる。

先行するキリスト教作家たちは、オリゲネスのユダヤ人理解に大きな影響を与えている。『トリュフォンとの対話』を書いたユスティノス、サルディスのメリトー、グノーシス作家たち、パンタエノス、アレクサンドリアのクレメンス、ユリオス・アフリカノスらの著作は、オリゲネスにとって信頼できる典拠となった。

しかしながら、何といっても、オリゲネスのユダヤ教に関する知識は、当のユダヤ人からもたらされたものであった。彼は何人かのユダヤ人学者へのフリーアクセスを持ち、ユダヤ教の講義や説教に出席した。彼はまた、シナゴーグと教会との間で繰り広げられていた議論に通暁していた。

オリゲネスのヘブライ語能力の有無は、多くの議論を呼んできた。エウセビオスやヒエロニュムスは、オリゲネスが高いヘブライ語能力を持っていたと述べている。論文著者自身は、当時のユダヤ人の多くはギリシア語を話すことができたはずなので、仮にオリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったとしても、ユダヤ教の学習に支障はきたさなかったと考えている。彼はヘブライ文字や少しの語彙は知っていたはずだが、ヘブライ語に基づいた聖書解釈をするときには、多くの場合間違っていた。それゆえに、『ヘクサプラ』の作成はユダヤ人の仲間に大きく依拠していたと思われる。いうなれば、オリゲネスはヘブライ語を解さなかった、とまで言うのは正確ではないが、ユダヤ人の助けなしにヘブライ語を読むことはできなかったのである。

オリゲネスは何人かのユダヤ人教師を持っていた。ヒエロニュムスによれば、オリゲネスの教師の一人は「フイルス(Huillus)という名であったと証言している(『ルフィヌス駁論』1.13)。この教師のことを、オリゲネスは「族長であり、ユダヤ人の間で賢者の称号を持つ人物」と説明した。G.F. Mooreはこの教師はユダ二世を、H. Graetzはヒレルを指していると考えた。論文著者は、18世紀のD. Vallarsiの見解に従って、この教師はおそらくカイサリアの地元の共同体の長ほどの地位にあった人物ではないかと考えている。

このフイルス以外に名前が分かっている者はいないが、オリゲネスはしばしば「ヘブライ的なもの」「ヘブライ人/たち」という言葉で自身の教師を呼んでいる。これは場合によってはヘブライ語のテクストを指すこともあるが、人を指す場合には、ギリシア語とヘブライ語に通じた不詳のユダヤ人であったと考えられる。単数形で冠詞がつく場合には、特定の一人の人物を指しているはずであるが、その正体はいまだ分かっていない。可能性としては、レーシュ・ラキシュ、ラビ・アバフ、バル・カパラ、ホシャヤ、ラブなどが挙げられる。

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2016年10月1日土曜日

オリゲネスとユダヤ人 De Lange, Origen and the Jews #1

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 1-13.
本書はオリゲネスを通じて、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ教とキリスト教との関係性を探った古典的名著である。『ミシュナー』が成文化されて間もないパレスティナに住み、ユダヤ人の習慣と伝統に大きな関心を持つだけでなく、実際にユダヤ人を教師としてそれらを習ったオリゲネスは、当時のユダヤ人の実態を知るためには好個の対象である。彼が住んでいたカイサリアは、宗教的な混淆が進んだ国際的な都市だった(サマリヤ人、異教徒、キリスト者、ユダヤ人)。

このようなオリゲネスとユダヤ人との深い関わりにも関わらず、こうした観点は、オリゲネス研究者からもユダヤ史研究者からも長く無視されてきた。本書は、その懸隔を埋め、両者を結び付けるための端緒となる研究である。

ただし、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ人とキリスト者との関係のソースとしてオリゲネスを用いるためには、次の困難に気を付けなければならない。第一に、多くの著作が失われているオリゲネスが本当に何を述べているかを確立すること。第二に、オリゲネスの著作の年代を確定すること。第三に、オリゲネスの見解をどのように解釈するのかということ。そして第四に、オリゲネスの証言と一致しない他の証言があること、である。

著作。オリゲネスの著作のうち、ギリシア語原典で残っているものはさほど多くない。『ケルソス駁論』、『殉教の勧め』、『祈りについて』、説教、『マタイ福音書注解』と『ヨハネ福音書注解』の一部、『ヘレクレイデスとの対話』、『過越しについて』、『ローマ書注解』などである。またエウセビオスを始めとする後代の著作家の引用、抜粋集の『フィロカリア』にもオリゲネスの著作が残されている。ほかの多くのものは、ルフィヌスとヒエロニュムスによるラテン語訳として残っている。ただし彼らの翻訳の正しさには注意すべきである。特に教義から外れるような記述は、ルフィヌスが修正している可能性がある。オリゲネスの著作のさらなるソースとしては、カテーナと、後代の著者(エウセビオス、ヒエロニュムス、ヒラリウス、アンブロシウスなど)による使用がある。

著作の年代。著作の順序は、エウセビオスによる言及などから再構成される。一般的に言って、アレクサンドリアにおいて書かれたものとパレスティナにおいて書かれたものとに分けることができる。

見解の解釈。オリゲネスの見解を解釈するためには、それが言われたタイミングと対象とに注意しなければならない。というのも、オリゲネスは、ある点でユダヤ人を攻撃していたにもかかわらず、別のときには同じ理由でユダヤ人を擁護したりするからである。こうした非一貫性ゆえに、我々は彼の主要な主張たり得ないものに関しては、脇に置く必要がある。

証言と一致しない外的証言。ソースとしてのオリゲネスの証言は、この時代の他のギリシア語資料がほとんどないことから、極めて高い。ヒエロニュムスを除いて、オリゲネスほどユダヤ人やラビの教えを知っていた教父はいない。彼の時代は、タナイーム文学の終わりからアモライーム文学の始まり頃に当たる。彼の幼少時に『ミシュナー』が成文化し、彼の生きている間に『トセフタ』、『メヒルタ』、『スィフラ』、そして『スィフレ』などが編纂された。また彼のいたカイサリアは、『パレスチナ・タルムード』の成立に極めて重要な場所であった。

こうした環境下にいたオリゲネスは、当時のラビ的なアイデアを知るための有用なソースである。これは、3世紀のパレスティナのユダヤ教の研究において、ソースとしてラビ文学しか参照していなかったことに比すと、大きな違いである。特にラビ文学が提示するユダヤ教像は、ユダヤ人が自治権を持っている時代の理想的な状態を前提としており、当時の現実ではなかった。考古学も3世紀のパレスティナのユダヤ教を知るためには、十分な証拠を見つけることができていない。

ソースとしてのオリゲネスの特別な価値は、彼が生きたユダヤ教との交流を持っていたことである。ただし、気を付けなければならないのは、第一に、誰がオリゲネスの情報提供者なのか、第二に、オリゲネスはどれだけ本当に当時のユダヤ人を知っていたのか、ということである。それを知るために、オリゲネスが知っていたユダヤ教聖書解釈の知識を探ることは、大きなヒントになるだろう。