2016年12月10日土曜日

カリマコスとその弟子たち Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils"

  • Rudolf Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 123-51.
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Rudolph Pfeiffer

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アレクサンドリア文献学の歴史において、ゼノドトスに匹敵するのはビザンティウムのアリストファネスしかいない。彼らに次ぐ存在が、カリマコスとエラトステネスである。カリマコスは、アレクサンドリア図書館の図書館員ではなかったが、創造的な詩人と思慮深い学者とが統合された人物であった。キュレネからアレクサンドリアに移り、プトレマイオス二世の宮廷に仕えた。彼は、自分が語ることは、それが詩歌であっても真実であると主張した。また長大な伝統的な詩を批判し、短く清新な詩こそを高く評価した。彼の学識は詩の中に隠れているので、詩を検証しなければならない。

アレクサンドリア図書館のパピルスは、東方の図書館の慣例に従った収蔵方法が採られていた。作品の題名と行数が巻物の最後に書かれていた。カリマコスはこれらの巻物を分類した、120巻にも渡るカタログを作成したのだった。カリマコスの編纂によるこの『ピナケス』においては、詩歌と散文は分けられ、それぞれお題名と冒頭の一行が記されていた。また著者はアルファベット順に並べられ、わずかながらも伝記が付されていた。この一般的な『ピナケス』に加えて、時系列に特化したカタログと、語彙に特化したカタログも別に作成された。何千巻もの巻物を読者の便宜を図りながら収蔵するためには、きちんとしたカタログが必要不可欠だったのである。ビザンティウムのアリストファネスは、のちに『ピナケス』の増補版を作成している。

学者としてのカリマコス自身の著作ジャンルは三つある:古代誌、言語、そして文学批評である。カリマコスは非ギリシア人の生活に関する好奇心にあふれた古代誌を書いているが、あまり科学的なものではなかった(アレクサンドリア学術が科学性を増すのはエラトステネスからである)。言語に関する著作では、魚の名前の語彙集を作成しているが、それを彼の先行者たちのように哲学的な議論のたたき台とすることなく、純粋に文学的に吟味している。文学批評としては、逍遥学派のプラクシファネスの著作を批判した。

詩人としてのカリマコスは、反アリストテレス的な傾向を持っていた。アリストテレスは、ホメロスの詩の統一性、完全性、偉大さを称揚した。カリマコスはホメロスの偉大さを認めるにやぶさかではなかったが、師の文化を再生させるにはそれでは難しいと感じていた。そこでカリマコスは詩の統一性や完全性を求めるのではなく、「薄さ/軽さ(λεπτόν)」こそを重要視した。この用語は、エウリピデスやアイスキュロスの時代には否定的な意味合いしかなかったが、カリマコスはその価値を転倒させたのである。他にも、「頭でっかち(πολυμαθής)」という語についても、かつては真に賢いわけではないという意味だったのを反転させて肯定した。

カリマコスはアレクサンドリア図書館に雇われたときには、詩歌から散文へと方向転換していたが、かといって文学作品の注解書は残していない。彼のホメロス理解は、むしろそれ以前に書いた詩歌の中に残されている。彼の詩の中で引用されているホメロス作品を見ると、彼がホメロスの旧版を読みつつも、一方で明らかにゼノドトスの校訂版を知っていたことが分かる。

カリマコスの弟子としては、ロードスのアポロニオスが挙げられる。『アルゴナウティカ』を書いた彼は、ゼノドトスの後継者として図書館長にもなった。図書館長の伝統として、彼はプトレマイオス三世の家庭教師も務めた。ただし、アポロニオスはカリマコスからは冷遇されたようで、『アルゴナウティカ』を最初に発表したとき、師からその作品を酷評されたために、アレクサンドリアを離れてロードスへと移った。おそらくロードスへと移ってから、彼は『アルゴナウティカ』の第二版を作成した。

アポロニオスの詩歌への態度は、その師であるカリマコスと比べて、より伝統的なものだった。彼の詩は統一性や完全性を目指すものだったのである。その意味で、アポロニオスの詩はアリストテレスの基準にこそかなうものだったが、カリマコスのそれには反するものだった。彼は『アルゴナウティカ』の他にも、地方の英雄をヘシオドスのスタイルで書いた詩や、アルキロコス(カリマコスが嫌っていた)に関する研究所をも著した。彼は特に、詩人たちの生涯や時系列、そしてその詩の主題に関心があった。ホメロスの注解者としては、『ゼノドトス駁論』において、ゼノドトス校訂版を吟味しつつ、さまざまな文学的な問題を扱っている。ゼノドトスの校訂版ではなく、ティモンがアラトスに勧めたような旧版を参照していたことからも、アポロニオスの保守性が見て取れる。

カリマコスの他の弟子としては、クレタ人リアノスがいるが、彼はアポロニオスに比べてその師の傾向をよりよく引き継いだ。

2016年12月8日木曜日

ゼノドトスと同時代の学者たち Pfeiffer, "Zenodotus and his Contemporaries"

  • Rudolf Pfeiffer, "Zenodotus and His Contemporaries," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 105-22.
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アレクサンドリア図書館の最初の図書館員であるエフェソスのゼノドトスの仕事は、常に先駆者としての宿命から逃れられないものだった。彼よりあとの者と同じ基準で彼の仕事を評価することは、公平ではない。ゼノドトスは、ホメロスや他の叙事詩の最初の「校訂者(διορθωτής)」として、テクストを校訂・改訂した。そのプロセスは、収集されたテクストを順に並べ、整理し、分類し、カタログ化し、写本を比較し、テクストを改訂するというものであった。彼のホメロスに関する仕事は、おそらくプトレマイオス二世(前288-前247年)の治世において完成されたと考えられている。

ゼノドトスは、叙事詩や抒情詩の新しいテクストや語彙集を出版したことが知られているが、注解書や研究書を出版することはなかった。それゆえに、古代における彼の後継者たちも、現代の研究者たちも、彼が校訂した際の意図を知ることはできなかった。とはいえ、彼の直接の弟子たちの著作の中には、ゼノドトスが口頭で教授した内容が含まれていると考えられている。

ゼノドトスはさまざまな都市から送られたたくさんの写本を吟味したわけだが、著者によると、彼は最も優れた写本を選び出し、それを中心に校訂した可能性があるという。そして、他の写本の読みの中により優れたものがあればそれを採用したり、また自身の見解に従って読みを修正したりしたのだという。こうした修正作業のことを「校訂(Διόρθωσις)」と呼ぶわけである。

ゼノドトスの校訂について、その恣意性が古代においても批判されることがあったが、著者は具体的な例を用いて、ゼノドトスの校訂法が必ずしも非難されるべきものではないことを示した。ゼノドトスの発明品である「オベロス記号」は、単に便利な道具というだけではない。これは、読者や他の学者が校訂者の判断を評価することができるようにさせる偉大な発明だったのである。ゼノドトスは、真正性を疑っている箇所を隠してしまうのではなく、欄外にオベロス記号を付すことで、それを文脈の中に残したのである。そのようにして、彼は自らの見解を示し、読者がそれをチェックできるようにした。

イオニアのアルファベット24文字にちなんで、ホメロスの作品を24書に分けるというやり方も、ゼノドトスに帰されてきた(Lachmann)。後代の文書の中では、これをアリスタルコスに帰すものもある。しかし、『オデュッセイア』の最古のパピルスは、こうした分け方が3世紀の始め、すなわちゼノドトス以前にすでに存在したことを示している。ゼノドトスはヘシオドスやピンダロスの最初の校訂本を作成したとも考えられている。他のも可能性としては、アナクレオンの最初の校訂本も、彼の仕事だといえる。

ゼノドトスの同時代の学者たちとしては、アイトリアのアレクサンデルとカルキスのリュコフロンがいる。詩人としてのアレクサンデルは叙事詩、抒情詩、風刺詩などをものしたが、学者としての彼は悲劇やサテュロス劇を専門的に研究した。カルキスのリュコフロンは、詩人としては悲劇詩人であったが、学者としては喜劇を専門とした。リュコフロンは喜劇に出てくる頻出語などを収めた語彙集を作成した。アレクサンデルやリュコフロンは、エラトステネスのような後代の学者たちによって批判されているが、ゼノドトスの場合と同様に、これは先駆者として割り引いて考えるべきである。

他の同時代には、ソロイのアラトスが挙げられる。ストア派哲学を学んだアラトスは、『パイノメナ』で知られる学者詩人である。『パイノメナ』においては、科学的な主題が、ストア派的な哲学的・宗教的感情と共に、ヘシオドスのスタイルで扱われている。カリマコスは、アラトスのスタイルを「繊細(λεπτόν)」と呼んだ。彼は『パイノメナ』によって詩の再生を図ると共に、過去の傑作の保存にも努めた。

2016年12月7日水曜日

アレクサンドリア学芸の黎明 Pfeiffer, "The Rise of Scholarship in Alexandria"

  • Rudolf Pfeiffer, "The Rise of Scholarship in Alexandria," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 87-104.
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紀元前4世紀にギリシアで起きた政治的・社会的な変化により秩序は失われ、不安定な現在に生きる人々は、偉大な過去に憧れるようになった。それは詩に携わる人々も同じであった。新時代の作家たちは、特にイオニアの詩人たちを振り返ることによって、自分たちの新しい詩的テクニックを作り出そうとした。これは、第一に、詩の再生と未来のために必要なことであり、第二に、過去の達成に対する責務であった。

前4世紀のコス島のフィリタスがこうした新しい世代の嚆矢である。彼は、ストラボンによると、詩人であり学者でもあったという。詩人としてのフィリタスは、哀歌、短い叙事詩、そして風刺詩などを残している。彼は、短いスペースの中で美的な完成を目指した新しい詩人たちの最初であると目された。また彼は、ヘルメシアナクスが作成した、オルフェウス以降の目立った初期詩人のリストにおいて、唯一名前が挙げられている古典期後の詩人である。

学者としてのフィリタスは、言葉の選択のために必要な単語帳を作成した。この単語帳の作成は、過去の偉大な詩人の作品を深く理解するためにも役立った。フィリタスによる、珍しい表現、専門用語、ホメロス用語の集成は、ギリシアですぐに有名になった。フィリタスは、プトレマイオス一世による下命を受けて、その息子のプトレマイオス二世の家庭教師となった。フィリタスの弟子であるエフェソスのゼノドトスもまた彼の家庭教師として仕えた。

フィリタスのような学者詩人の伝統は、コロフォンのアンティマコスに受け継がれた。彼は、初期ヘレニズム文学とその後のヘレニズム文学とのリンクのような存在だった。とはいえ、後代のカリマコスなどは、アンティマコスの詩はあまりエレガントでないと評価した。アンティマコスはむしろ、ヘレニズム期以前の唯一のホメロス校訂者であった。むろん、彼の仕事は校訂というほど精度の高いものではなく、やはり最初の校訂者はゼノドトスと言うべきだが。

フィリタスも、アンティマコスも、のちのカリマコスも、皆非アリストテレス的な背景を持つ学者たちだったが、彼らの住むアレクサンドリアに、たとえばテオフラストスの弟子であるファレロンのデメトリオスを通して、アリストテレス的な思想が入ってくることによって、学問の第二ステージが始まったのであった。

プトレマイオス一世が作ったアレクサンドリアの博物館は、シュノドスとも呼ばれており、王によって任命された祭司が統括する宗教的な組織であった。この博物館は、逍遥学派によってギリシアからエジプトに写されたアテーナイの出店のような施設ではない。事実、博物館員には哲学者はおらず、むしろ文献学者や科学者が統括していた。彼らには食事と高給が保証され、税金を支払う必要も講義を行なう必要もなく、自由に研究することができた。彼らは、象牙の塔ならぬ、素晴らしい鳥かごの中で俗世から切り離されて生活していた。

博物館の中にあるいくつも施設の中で、図書館は特筆すべきものだった。エウセビオスによって引用されたエイレナイオスは、この図書館の創設者がプトレマイオス一世だったと証言している。図書館長のファレロンのデメトリオスは、アテーナイとアレクサンドリアとをつなぐ人物だった。図書館長としてのデメトリオスについては、『アリステアスの手紙』と、ツェツェス『アリストファネスへの序言』とにおいて証言されている。前者においては、ヘブライ語聖書の五書がギリシア語に訳されたことが語られているが、後者ではそれは省かれている。他にも、時系列、二つ目の図書館の存在、所蔵する本の数など、両者には齟齬が見られる。

前3世紀は本の世紀であった。人々は、かつての優れた文学を収集・改訂し、保存に努めた。現存する最古のパピルスがこの時代のものであることは、当然のことと言える。このようにして、学術が生まれ、発展していったのである。アレクサンドリア図書館は公に開かれていたので、この学術には多くの人間が参加することができたのだった。

関連記事

2016年12月4日日曜日

教父と旧約聖書 Horbury, "Old Testament Interpretation in the Writing of the Church Fathers"

  • William Horbury, "Old Testament Interpretation in the Writing of the Church Fathers," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 727-87.
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教父の時代の通して、ユダヤ人から受け継いだ聖書は、キリスト者にとっての主要文書であり続けた。霊と物質との強いコントラストを強調する同時代の哲学は、物質的な響きをする旧約聖書は批判の的になっていた。そうした観点から、グノーシス主義者や特にマルキオンは旧約聖書を否定し、その影響はマニ教にも及んだ。一方で、旧約聖書は異教徒をシナゴーグに引き寄せるほどに魅力的なものとしても捉えられていた。論文著者は、教父が旧約聖書を解釈した舞台として、説教、注解、要理教育、護教論、教会法、典礼、詩歌、美術を挙げている。

説教はもともとシナゴーグにおける文化だったが、教会もそれを採用した。説教には、内部向けも外部向けもあった。初期の説教はあまり新約を扱わず、むしろ旧約を扱った。説教の主題は、論争的、教義的、祈り的、倫理的、そして霊的なものだった。説教の名手としては、オリゲネス、アウグスティヌス、クリュソストモス、バシレイオス、ニュッサのグレゴリオス、グレゴリウス1世、アンブロシウスなどがいる。

注解において、ギリシア語で旧約聖書を扱ったものは、フィロンなど少数を除いて、皆キリスト者によるものであった。アレクサンドリア学派とアンティオキア学派とは、単純に言えば、それぞれ寓意的解釈の擁護者と批判者と言うことができる。シリア教父は、広義のアンティオキア学派に属する。個人の注解は4世紀に興隆したが、5世紀になると、さまざまな著者の抜粋を集めたカテーナが作られた。レンマを引用するなど注解に特徴的な点もあるが、説教と区別しすぎるべきではない。

要理教育(カテキズム)とは、信仰と倫理に関する教育のことである。これは、通常の説教において、またキリスト教教育の場において、特に洗礼前の候補者に対して行なわれた。第一に、創造神話から聖書が語りなおされ、第二に、聖書の証言の解説がなされる。

護教論において、キリスト者は最初フィロンの『ヒュポテティカ』やヨセフス『アピオーンへの反論』をモデルにしたが、その相手はユダヤ人であった。ユダヤ人に対しては、イエスがメシアであること、儀式的な律法は廃されたこと、異邦人の教会がイスラエルに取って代わったことを証明しようとした。異教徒に対しては、第一に、ヨセフスがしたように聖書の古代性を強調し、第二に、預言の正しさを主張し、そして第三に、モーセを哲学者たちに匹敵する者として描いた。

教会法においては、レビ記における祭司の決まりを取り入れたテルトゥリアヌスやアンモニオスのようなケースの他にも、再婚、祭司と信徒との結婚、信徒の維持、高利貸し、そして占いなど、旧約聖書に実際に書かれていないこともまた法規として取り入れられた。

典礼においては、3つないし2つのレッスンが語られるようになったが、前者の場合2つが旧約に関するものであり、後者の場合1つがそうであった。ただし、こうしたレッスンは聴衆が親しんでいる旧約物語に関するものであることが前提条件だったので、西方教会においてヒエロニュムスがヨナ書中の植物をヒョウタンからツタに変えるようなことは、聴衆には受け入れられなかった。

詩歌は、キリスト教においては、ヘブライ詩とギリシア詩の伝統の中で発展した。2世紀の『シビュラの託宣』のように六脚韻で書かれたものもある。内容的には、ヘブライ詩同様に教訓的なものが多かった。代表的な詩人としては、ギリシア世界ではメトディオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、シュネシオス、シリア世界ではエフレム(同時代のピユートとの関係にも注目される)、ラテン世界ではアンブロシウス、プルデンティウス、ノラのパウリヌスがいる。

芸術としては、カタコンベ、壁画、写本などがある。それらは、一つの描写が旧新約における複数の場面を表わしたり、旧約の場面が新約の場面と共に表現されたり、また旧新約の場面が予型として表現されたりする。

旧約聖書と新約聖書との関係においては、旧約の否定や、旧新約との調和など、さまざまな折衷案が試された。旧約を否定したのはマルキオンである。彼は、旧約聖書の非一貫性に基づき、キリスト者をユダヤ人の上に置いたのだった。ただし、それでもユダヤ人は異教徒よりは上に置いた。同様に、プトレマイオスや偽クレメンスは律法には誤りが含まれていると主張した。

エイレナイオスは、キリスト教の法に繋がる十戒と、モーセの律法とを区別することで、旧新約との調和をも目指した。テルトゥリアヌスもまた、十戒における倫理的な法と、モーセによる一時的な儀式的な法とを区別した。オリゲネス、アンブロシウス、アレクサンドリアのキュリロスなど、多くの教父たちも、旧新約の調和を目指した。

教父たちの聖書解釈の背景は三つあり、第一に、聖書テクストの独特の特徴、第二に、アリストテレス論理学、そして第三に、キリスト教以前の予型論と寓意的解釈である。アレクサンドリアのクレメンスは、「モーセの哲学」を、倫理学、自然学、形而上学の三分野に分けた。オリゲネスは、聖書には肉体(歴史)、魂(倫理)、そして霊(神秘)の三重の意味があると主張した。その後、聖書解釈はさまざまに変遷を遂げたが、クレメンスとオリゲネスによる字義的意味と霊的意味との二分法こそが最も大きな影響を与えた。

予型論寓意的解釈との違いは、前者が旧約の歴史的な舞台を深刻に捉えるのに対し、後者が聖書における無時間的な真理を引き出すことである。とはいえ、教父たちは両者を繰り返し混同してはいる。予型論とは、原型の意味における「予型」に由来しており、預言とその成就と近しい関係にある。教父たちの予型論は、要理教育、護教論、礼拝、そして芸術にも見られる。

寓意は、旧約聖書と古典文学に根差している。特にストア派によるホメロスの哲学的解釈からは強い影響を受けている。フィロンとヨセフスを通して受け継いだ寓意的解釈という方法を、教父たちは自身の関心に従って、聖書的律法や物語に当てはめた。ただし、それぞれが自身の関心に従うために、同じ箇所に基づいてまるで真逆のことを示すこともある。またこうした寓意の説教的かつ倫理的な用い方は、フィロンのようなアレクサンドリアの伝統のみならず、ラビ・ユダヤ教のミドラッシュとも近しいものである。

字義的解釈は、予型論や寓意的解釈が猛威を振るう中でも、常に重要なものとしてあった。千年王国説を主張するネポスや、歴史性を問題にするアフリカノスや、寓意的解釈に批判的なポルフュリオスは、字義的解釈を重視した。寓意的解釈の代表者であるオリゲネスは、霊的解釈であるテオーリアを奉じるアンティオキア学派――エメサのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオス、ヨアンネス・クリュソストモス、モプスエスティアのテオドロス、テオドレトスら――によって批判された。また字義的解釈は、とりもなおさずユダヤ的解釈のことと見なされた。

ヘブライ語テクストとユダヤの聖書解釈。ヒエロニュムス、オリゲネス、アレクサンドリアのクレメンス、エウセビオスなどは、しばしば「ヘブライ人が次のように言った」という決まり文句で、ユダヤの聖書解釈を紹介している。ヒエロニュムス以外は、必ずしもヘブライ語を知らなかったが、ユダヤ人教師とはギリシア語で会話したものと思われる。ただし、教父たちがユダヤの聖書解釈を引用するのは、必ずしも肯定的な意図ではなく、否定するためにすることもあった。教父たちは、シナゴーグにおいてや家庭教師としてのラビから直接聞いたのかもしれないし、フィロンやヨセフスのような前段階の伝承を知っていたのかもしれない。ユダヤ・キリスト者の同胞から聞いたとも考えられる。

代表的な教父の歴史は、以下のように分類される。

ニカイア公会議(325年)以前の教父:『クレメンスの第一の手紙』、ローマのクレメンス、『バルナバの手紙』、ユスティノス、サルディスのメリトー、エイレナイオス、テルトゥリアヌス、マルキオン、キュプリアヌス、ヒッポリュトス、アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネス、カイサリアのエウセビオス

アレクサンドリア学派:アタナシオス、盲目のディデュモス、アレクサンドリアのキュリロス

アンティオキア学派:エメサのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオス、タルソスのディオドロス、モプスエスティアのテオドロス、キュロスのテオドレトス

シリア教父:アフラハト、エフレム

カッパドキア教父:カイサリアのバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオス

ラテン教父:ポワティエのヒラリウス、アンブロシアステル、ヒエロニュムス、アンブロシウス、アウグスティヌス

5-6世紀の教父:エルサレムのヘシュキオス、ガザのプロコピオス、カッシオドルス、グレゴリオス一世

2016年11月22日火曜日

5-6世紀の聖書解釈 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #5

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp. 110-20.
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隆盛を誇ったアレクサンドリアの伝統も、4世紀の終わりから5世紀の始めにかけて、次第に衰退していった。それは、第一に、オリゲネス論争の影響ゆえであり、第二に、アンティオキア学派の来襲ゆえであった。すなわち、アレクサンドリア学派の没落は、アンティオキア学派の興隆と軌を一にしていたわけだが、5世紀中葉になると、もはや両学派とも往時の勢いを失っていた。学問の中心も、それに伴って、エデッサ、ニシビス、そしてガザに移っていったが、それらは皆かつてのアレクサンドリアやアンティオキアには匹敵しないものだった。

6世紀後半のアグリゲントゥムのグレゴリオスは、表面的な聖書解釈を乳に、またより深い聖書解釈をバターになぞらえつつ、寓意的解釈を行なった。ただし、予型論的解釈や、ときには字義的解釈をも用いたこともあった。

この時期になると、ギリシア語による黙示録注解が初めて書かれるようになった。6世紀から7世紀にかけて活躍したオイクメニトスは、極めて寓意的に黙示録を解釈した。彼はオリゲネスの強い影響下で、黙示録を単に終末論的にだけではなく、より広く教会的に解釈した。同時期のカイサリアのアンドレアスは、黙示録の権威を高めるために、アジア派的な千年王国論を強調した。

6世紀のガザのプロコピオスは、東方における聖書解釈の形式に関して、ターニング・ポイントとなった。彼は、聖書解釈において独自性を打ち出すことをやめ、一節毎に、多くの異なった既存の聖書解釈を抜粋することにしたのである。そうすることによって、読者は教父の聖書解釈を統合的に読むことができるようになった。こうした形式は、カテーナと呼ばれた。通常、カテーナにおいては、ページの中心にある聖書のテクストの周りの欄に、いくつかの聖書解釈が配置され、冒頭には属格でその解釈の著者の名前が書かれている(ただし、その著者名はしばしば間違えていることがある)。抜粋は文字通りの場合もあれば、要約されている場合もある。ディオドロスのように、カテーナでしか読むことのできない著者の作品があるので、現代の研究者にとってカテーナは重要なソースである。ただし、こうした形式が増えたために、きちんとした注解が廃れたことも否めない。

6世紀前半のハドリアノスは、聖書中のさまざまな非合理的な描写を正当化しようとした。たとえば、神人同型説は読者の便宜を図ったのである。

西方においては、蛮族の侵入によって、統一されたローマはなくなり、ローマ文化と蛮族文化とがさまざまに混ざり合う状況を呈していた。そこで、聖書解釈においても、いきなりヒエロニュムスやアウグスティヌスの注解に当たるというよりは、要約を読む方が好まれるようになった。たとえば、5世紀のリヨン司教エウケリウスは、寓意的解釈に基づく短い注解や、問答形式の注解を残している。

ヴァンダル族の支配下にあったアフリカにおいては、アリウス主義との神学的な戦いが行われていた。カルタゴ司教クオドウルトデウスは、倫理的な寓意的かつ予型論的な注解を残している。6世紀初頭のウェレクンドゥス・ユンケンシスもまた、アリウス主義の蛮族の排斥を意図した注解を残している。

西ゴート族支配下のスペインにおいては、セビーリャのイシドルスユリアヌスのように、編集を伴うコンピレーション形式の注解が流行した。6世紀中葉のウルジェイのユストゥスや、ベージャのアプリンギウスは、キリスト論的かつ教会的な解釈を展開した。

ガリアにおいては、4世紀の終わりから5世紀のはじめにかけて、ポワティエのヒラリウスに代表される聖書解釈の隆盛は最高潮を迎えたが、その後は衰えた。アクィタニアのプロスペルの聖書解釈は、師であるアウグスティヌスの要約だったし、サロニウスのそれは、ヒエロニュムス、アウグスティヌスらの聖書解釈を問答形式に再編集したものに過ぎなかった。問答形式への再編集は、ヴィエンヌのアヴィトゥスの注解にも見られる。アルルのカエサリウスは説教で有名だが、彼の説教は、教育を受けていない人々が分かるように、あえて低俗に書かれ、予型論的であれ倫理的であれ、寓意的な彩色が施されている。

ゴート族支配下のローマでは、まだある程度の聖書解釈の伝統が命脈を守っていた。ヴィヴァリウムの修道院にいたカッシオドルスは、アウグスティヌスを中心に、オリゲネス、ヒエロニュムス、そしてアレクサンドリアのキュリロスらの聖書解釈をソースとして用いた大部の要約聖書解釈を著した。その多くは寓意的なものであったが、しばしば字義的解釈が横に並べられることもあった。この注解は、テーマを共通させつつ統合的であり、なおかつ文法的な解説をも含んでいた。

この時期における聖書解釈上の大きな進展は、5世紀に南仏で活躍したヨハネス・カッシアヌスによる、聖書解釈の四区分である。オリゲネスは、字義的・霊的・倫理的という聖書の三重の意味について言及したが、カッシアヌスはこの「霊的」解釈を「予型的」解釈と「神秘主義的」解釈とに分けることによって、聖書には四重の意味――字義的(historia)、倫理的(tropologia)、予型論的(allegoria)、神秘主義的(anagoge)――があることを示したのである。この四区分は中世に広く普及することになる。

2016年11月21日月曜日

西方の聖書解釈史 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #4

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp. 86-109.
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西方の聖書学は、2世紀のアフリカで聖書が部分的にラテン語訳されると、次第にラテン世界で広まっていった。初期の注解者としてはローマのヒッポリュトゥスがおり、彼は詩篇を寓意的に解釈した。ノウァティアヌスは、ユダヤ人の字義的解釈を批判した。ペッタウのウィクトリヌスは聖書に出てくる数字を神秘主義的に解釈した。ただし、こうしたラテン世界の解釈は、同時代のギリシア世界でエウセビオスらによってなされていた解釈にはまるで匹敵しないものだった。

西方の聖書学もまた、東方のモデルを受けついで、説教、組織的な注解、そして問答の三形式で行なわれた。ラテン教父たちは、ヒエロニュムスを除いて、聖書の文献学的・歴史的な側面に関心を持たず、概して寓意的解釈にいそしんだ。ヒラリウスもアンブロシウスも、オリゲネスとフィロンの影響下で典型的なアレクサンドリア的解釈を行なった。とりわけアンブロシウスは、字義的・倫理的・神秘主義的な意味を区別した上で、オリゲネス同様に神秘主義的な意味を最も重視した。またヒエロニュムスやルフィヌスによるオリゲネス説教のラテン語訳も、ラテン世界にアレクサンドリア的な聖書解釈を広める一助となった。

一方で、アンティオキア学派からの影響は大きくはなかった。ただし、ウィクトリヌスやエクラヌムのユリアヌスらは、モプスエスティアのテオドロスらの影響で、字義的解釈を多用している。といっても、彼らも雅歌における恋人たちを、キリストと教会の比喩において理解していた。いうなれば、多くのラテン教父は、あるときは寓意的解釈をやめて字義的に解釈するようになるし、またあるときはアレクサンドリア風の寓意的解釈を求めたのだった。

4世紀のマリウス・ウィクトリヌスは、文献学や文学の知識を持った異教徒の文法学者だったが、長じてからキリスト教に改宗した。彼はギリシア語に堪能だったために、オリゲネスらのギリシア教父の聖書解釈を自分で学ぶことができた。彼はさまざまなラテン語テクストを手元におきつつ、パウロ書簡の字義的な解釈を基にした注解を書いた。彼のパウロ書簡注解には二つの特徴がある:第一に、旧約聖書に関する知識が乏しいこと、そして第二に、同時代のパウロ書簡への関心の高まりと軌を一にしていることである。事実、ウィクトリヌスの時代には、アンブロシアステル、ペラギウス、ブダペスト写本、ヒエロニュムス、ルフィヌス、そしてアウグスティヌスといった教父たちがパウロ書簡の注解を発表している。

ドナティストであったアフリカ人ティコニウスは、聖書解釈の7つのルールをもうけた。第一に、聖書は、キリストに言及するときに、キリストとその体である教会とを分けていない。第二に、聖書が言及する教会とは、よき人々と悪しき人々という二つの部分からできている。第三に、ローマ書とガラテヤ書とで矛盾している一節は、律法から信仰へと移ったためである。第四に、聖書はしばしば部分から全体へ、また全体から部分へと移る。第五に、聖書の時系列の矛盾は換喩法によって解決である。第六に、聖書はしばしば、より広い範囲をカバーするはずの概念を、あえて一つの重要なときに配置する。第七に、聖書は、悪魔に言及するときに、悪魔とその体である悪に属する人々とを分けていない。

ティコニウスは黙示録に関する注解を書いたが、これは同時代のペッタウのウィクトリヌスのものに比べると、より寓意的で霊的な解釈であった。ウィクトリヌスは千年王国説が基づいている箇所については字義的に解釈していたが、ティコニウスはそれすらも寓意的に解釈することで、実質的には千年王国説を成立しないものにしてしまったのである。

ヒエロニュムスの聖書解釈は、特に初期においては、オリゲネス、ディデュモス、そしてアポリナリオスらのそれをパラフレーズしたものにすぎなかった。彼はそのことを批判されると、自分の注解はラテン語読者に東方の異なった聖書解釈を示すことにあるのだと反論した。しかし、ヒエロニュムスは文法学者ドナトゥスに鍛えられ、オリゲネスの文献学に触れたことで、ヘブライ語テクストからの聖書翻訳を始めるに至った。

ヒエロニュムスは、オリゲネス論争が始まると、反オリゲネス派にまわる。そのときに、彼はアンティオキア学派の文献学的・言語学的な解釈という新しい尺度を自身の聖書解釈に取り入れた。彼はこうして、アンティオキア学派に従って、アレクサンドリア学派の恣意的な寓意的解釈への批判をする一方で、オリゲネス由来の聖書の三重の意味(歴史的、倫理的、霊的)をも認めるようになり、その注解は一貫性を欠くようになった。ヒエロニュムスの聖書解釈は、中庸であるゆえにとりとめがなく、その寓意的解釈には必然性がない。いうなれば、ヒエロニュムスの素晴らしさは、聖書解釈の方法論の一貫性や独創性ではなく、文献学的な視点や素材の豊富さにあるといえる。

若い頃には聖書に感心していなかったアウグスティヌスは、アンブロシウスの影響下で寓意的解釈を強く押し進めた人物である。彼は極めて修辞学的な繊細さを持ち合わせており、それを教会における説教で、比較的学問のない信徒たちを霊的に励ますために発揮した。これは、学問的かつ文献学的な性格のヒエロニュムスとは大きく異なる点であった。彼の基本的な解釈法は、アレクサンドリアの伝統に則った強い寓意的解釈だが、生涯の中で複数回行なっている創世記注解を比較すると、後期には寓意的でない解釈にも理解を示している。彼はひとつの聖書箇所に複数の解釈があることを認め、それを神意として受け入れた。彼の理解では、それは神が聖書テクストをより豊かにするために施した工夫だったのである。

2016年11月17日木曜日

東方の聖書解釈史 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #3

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp. 53-85.
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4世紀から5世紀にかけて、説教と注解の二大ジャンルによる聖書解釈の伝統が花開いた。これには当時の神学論争における、アレイオス主義とマニ教の脅威への対抗意識も働いている。オリゲネスに代表される寓意的解釈の影響は絶大だったが、その方法論の恣意性は、たとえば新プラトン主義哲学者であるポルフュリオスらによって、批判の対象にもなっていた。また、歴史的、科学的、考古学的な聖書の読み、すなわち世俗的な関心に基づく聖書の読み方も、寓意的解釈よりは字義的解釈を引き寄せることになった。

カイサリアのエウセビオスは、オリゲネスの崇拝者ではあったが、その文献学的な側面に注目した。事実、彼はオリゲネスの『テトラプラ』を筆写している。エウセビオスの聖書解釈の特徴は、歴史的・考古学的な関心を持っていたことである。ただし、そうした関心は予型論的な解釈と結びついていた。確かにエウセビオスは歴史的な人物としての父祖たちに大いに関心があったが、それはキリストの予型としての彼への関心であった。ヒエロニュムスは、エウセビオスがイザヤ書を歴史的に解釈すると言いながら、実際にはオリゲネス的な寓意的解釈をしている点を批判している。エウセビオスによれば、預言者たちはときに字義的に、またときに寓意的にそのメッセージを伝えてくるのである。この点で、聖書全体と通して霊的な解釈が可能だと考えていたオリゲネスとは異なる。エウセビオスは特に詩篇を重視した。というのも、詩篇は旧約聖書全体の要約であると考えたからである。

アンティオキア学派の黎明。シリア・パレスティナを中心とするアンティオキア学派は、七十人訳の校訂版を作成したルキアノスによって始められたと考えられているが、彼の聖書解釈は知られていない。アンティオキア学派の聖書解釈の特徴は、伝統的な予型論的解釈を伴った、字義的解釈である。ここには、ユスティノスやエイレナイオスらのアジア学派とオリゲネスのアレクサンドリア学派との両方からの影響が見られるが、それだけでなく、エウセビオスからの影響も見られる。すなわち、寓意的解釈の再考と、文献学・歴史学への目配りである。

4世紀のシリア・パレスティナ地方で、上のような影響下で字義的解釈を押し進めた者たちとしては、カイサリアのアカキオスエメサのエウセビオス、そしてラオディケイアのアポリナリスがいる。彼らは字義的解釈を中心に、倫理的に応用された予型論的解釈をも用いた。言い換えれば、彼らは寓意的解釈を否定することはなかったが、そのすべてを受け入れることもなかったのである。寓意的解釈は一見魅力的だが、テクストの問題点を解決することからの逃げでもあったからである。他にも、ニシビスのエフライムは、基本的に字義的解釈にこだわり、ごくたまにだけキリスト論的解釈をしている。これは、学術的、歴史的、そして科学的な当時の傾向をよく表している。

カッパドキア教父もまた字義的解釈を好んだ。カッパドキアはもともと、アステリオスなどアレイオス主義者が多くいた土地柄だった。バシレイオスはオリゲネスの称揚者だったが、現存する著作の中では主として字義的解釈を好み、奨励的・倫理的な説教をした。また彼は動物学など当時の科学的な知識をも活用した。ニュッサのグレゴリオスは、初期には寓意的解釈を批判したが、次第に神秘主義的な性格を強め、寓意的解釈に傾いた。グレゴリオスによれば、雅歌を始めとする聖書の語りは謎めいており、また寓話になっており、より高次の解釈を必要としている。『モーセの生涯』においては、グレゴリオスは歴史的な解釈と寓意的解釈を同じテクストに対して行なっている。後者の部分には、フィロンからの強い影響が見られる。

アンティオキア学派は、学問的な組織であったアレクサンドリア学派と比べて、組織性は低い。アンティオキア学派とアレクサンドリア学派とは、しばしばそれぞれが字義的解釈と寓意的解釈を方法論としていたという点で比較されることがあるが、近年では再考が問われている。なぜなら、アンティオキア学派の字義的解釈はそう単純なものではないからである。彼らの「テオーリア」という解釈、すなわち字義的解釈を前提とした上で、その上部にあるより高次の意味を探る解釈は特筆に値する。さらに、アンティオキア学派と一口に言っても、さまざまな注解者がいるので、一枚岩とは言えないのである。

アンティオキア学派の創始者とされるディオドロスは、寓意的解釈とテオーリアとを区別している。彼の著作は字義的解釈に終始しており、それぞれが一貫するように書かれている。

モプスエスティアのテオドロスは、旧約聖書の出来事を新約聖書の予型として解釈したこともあったが、基本的には字義的解釈を旨とした。たとえば詩篇については、はっきりと新約聖書でキリストに応用されている例のみを予型論的に解釈した。雅歌については、キリストと教会の比喩ではなく、単純な愛の歌として解釈している。またテオドロスは誰よりも旧約と新約との差を強調した。そして彼の歴史観である、異教、ユダヤ教、キリスト教の三部構造を、多神教、一神教、三位一体に当てはめた。テオドロスによれば、聖書解釈とは過度に脱線することなく、聖書の難しいところを説明することであった。テオドロスは、象徴的にもなり得る比喩的言語を否定することなく、しかし何よりも字義的解釈に拘ったのである。

ヨアンネス・クリュソストモスはアンティオキア学派でも随一の雄弁家であった。彼は字義的解釈を旨としつつも、その意図としては、聴衆を教化し、倫理的にさせようとしていた。

テオドレトスは、ディオドロスやテオドロスの厳格な字義的解釈に、伝統的なキリスト論的解釈を加えた。すなわち、アンティオキア学派特有の字義的解釈を緩め、アレクサンドリア学派の聖書解釈と和解したのである。そのためには、しばしばオリゲネスに依拠することさえあった。ただし、彼の注解は読者の便宜を図るために、極めて短いものであった。その代わり、ほとんどすべての律法と歴史書に関する注解を残している。

4世紀のアレクサンドリア学派であるアタナシオスは旧約聖書にキリスト論的な解釈を施した。盲目のディデュモスは忠実なオリゲネスの追随者ではあったが、オリゲネスの持っていた文献学的な関心はあまりなかった。ディデュモスは、字義的(歴史的)な意味はあくまで神秘的かつ寓意的な解釈へ至るための手段として考えていた。ディデュモスの『創世記注解』は、ギリシア教父によって書かれた、全体が残っている創世記注解としては最古のものであるが、ここからオリゲネスの解釈を再構成できる。またハガルとサラの物語の解釈については、フィロンのものに依拠している。

アレクサンドリアのキュリロスは、一見するとアレクサンドリア学派的な寓意的解釈を旨としたように見えるが、実際には寓意的解釈と字義的解釈の中和を図ったと見なし得る。彼の注解は、アレクサンドリア学派の誰よりも字義的であり、過度な寓意的解釈に走らず、節度を持ったものであった。キュリロスによれば、モーセはキリストの予型ではあるが、それはモーセが出てくるすべての場面でそうなのではない。すなわち、旧約聖書を常にキリスト論的に読むことはできないということである。こうした寓意的解釈への節度は、同時代におけるオリゲネスの異端論争が影響していると考えられる。一方で、アレクサンドリア学派による寓意的解釈の全体性は、キュリロスの注解では失われ、コンパクトなものになっている。

2016年11月8日火曜日

アレクサンドリア学派の聖書 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #2

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp. 34-52.
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本章では、アレクサンドリアにおける聖書解釈の伝統を扱っている。アレクサンドリア学派は、フィロンを始めとするヘレニズム化したユダヤ人の影響を受けつつ、グノーシスの聖書理解に対抗しようとした。アレクサンドリアの聖書解釈の特徴は、伝統的な予型論的解釈を軸に、天文学的・人間学的な解釈や、ときには黙示的な解釈を聖書に加えることである。端的に言えば、寓意的解釈と言える。

アレクサンドリアのクレメンス。クレメンスは、福音書を律法の現実化および成就と見なしており、旧約聖書はキリストに照らして解釈されるべきだと考えていた。彼は、聖書にはありきたりなところなどなく、すべての言葉は何らかの意図に従って書かれていると主張した。そしてその意図は、必ずしも明らかになっておらず、しばしば隠されているのである。聖書にはすぐに理解できるところと、隠された方法で表現されているところがあるのである。後者はすべての人が理解できるわけではない。またその隠されたところを理解するためには、寓意的解釈が必要になる。クレメンスは、こうした表面の意味と隠された意味とを、エジプトの表意文字を例に説明している(『ストロマテイス』5.4.20以下)。ただし、一方でクレメンスは過度な寓意的解釈がグノーシス的な極論を招くことにも気づいていた。

クレメンスは、律法を4つの部分、すなわち、歴史的部分、法的部分、宗教祭儀に関わる部分、そして神学的部分(エポプテイア)に分けて理解した。これらは当時の学問の三分野である倫理学(歴史と法)、自然科学(祭儀)、そして神学に対応している。クレメンスは、このうち特に神学に注目し、寓意的解釈によってのみ明らかにすることのできる隠された秘密の意味を、神学として探ったのだった。彼の寓意的解釈は、より率直なアジア学派のそれとは違い、より複雑だった。これはフィロンに由来するものだったが、キリスト論を中心に据える点でフィロンとは異なる。

オリゲネス。オリゲネスの解釈法自体は、その先行者たちにも見られるものだったが、その知識の深さにおいて段違いであった。オリゲネスは聖書解釈を学術へと引き上げたのである。それは、解釈の対象の広さに関してもそうだった。先行者たちが聖書のいくつかの文書しか解釈しなかったのに対し、オリゲネスはすべての文書に目を向けた。彼の聖書解釈の形式は、スコリア、説教、そして注解の三種であった。彼は文献学にも造詣が深く、聖書の底本の必要性を感じ、『ヘクサプラ』を作成した。

オリゲネスの聖書解釈の理論は、『諸原理について』の中に見出すことができる。彼は神の言葉である聖書は、ロゴスたるキリストそのものであり、言い換えれば聖書とはロゴスの永遠の受肉であると考えた。そうした聖書に見られる難解さは行き当たりばったりではなく最初から意図されたものであり、きちんと理解しようとしない者には理解できないようになっているのだった。聖書の真の意味は隠されているので、そもそも聖書の字義的な意味は、その真の意味へと到達するための出発点にすぎないのである。オリゲネスに言わせれば、聖書の字義的意味を受け入れているユダヤ人も、字義的意味に反発するばかりのグノーシス主義者も、共に真の意味が見えていないのである。

オリゲネスは『諸原理について』の第4巻において、有名な聖書の三種の意味――字義的意味(肉体)、倫理的意味(魂)、神秘的意味(霊)――について言及しているが、通常ではより単純な二種の意味――字義的意味(人間としてのキリスト)と霊的意味(神としてのキリスト)――に留まっている。オリゲネスによれば、聖書は通常の人間には理解できるものではなく、解釈者がいかに深く神の言葉に沈潜できるかが鍵なのであった。オリゲネスによれば、神自身が旧約聖書にあえて恥ずべき一節を含むことで、解釈者がより深い意味へと到達できるようにしたのだという。それが、明らかな神人同型説やありえない状況が聖書中に見られる理由である。すべては霊的な読解への移行のためなのだった。

とはいえ、オリゲネスは字義的意味にも目配りが行き届いている。彼は字義的解釈を自身の解釈システムの中に組み込んでいるのである。なぜなら、彼は聖書には感知可能な現実(字義的意味)と感知不可能な現実(霊的意味)との両方があることを知っていたからである。彼は、グノーシスのように恣意的な寓意的解釈に陥ることのないように、霊的解釈といえども字義的解釈に則り、また他の聖書の一節によって確証されるようになされるべきであると考えた。すなわち、神秘主義者としてのオリゲネスは、いつも聖書に基づいていたのである。

アジア学派が寓意を用いる際には、常に聖書の具体的なエピソードに従うかたちだったが、オリゲネスの寓意はより霊的だった。彼の聖書理解は、旧約聖書を新約聖書の影として認めた上で、真理は新約聖書においてより明らかにされたと考えた。その点で、旧約を否定したグノーシスと異なり、旧約聖書と新約聖書とのバランスを取ろうとしたのである。彼は寓意的な予型論的解釈を、ただ旧約に対して用いたのではなく、新約を天的現実の予型と見なすことにも用いた。

アレクサンドリア学派の聖書解釈の普及。この時期、黙示録を字義的に解釈することで抽出される「千年王国説」を唱える者たちが出てきたが、彼らはアレクサンドリアの寓意的解釈の伝統と真っ向からぶつかることになった。たとえば、千年王国説論者のネポスに対し、アレクサンドリアのディオニュシオスは、黙示録に隠れているより深い意味をの存在を強調した。そのためには、黙示録のスタイルと言語に注目し、黙示録の作者とヨハネ伝の作者は異なることをも文献学的に示してみせた。オリュンポスのメトディオスのような折衷的な千年王国論者は、千年王国説を信じる意味では字義的解釈に傾いていたが、それを寓意的に解釈しようとも試みた。

2016年11月6日日曜日

1-2世紀の教会における聖書 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #1

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp.1-33.
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本章では、1世紀から2世紀にかけての聖書解釈の概要を扱っている。

ユダヤ人とギリシア人の聖書解釈は、それぞれ字義的解釈と寓意的解釈とを特徴としている。キリスト教会において、字義的解釈は、とりもなおさずユダヤ人の聖書解釈のことだと同一視されていた。初期のユダヤ的聖書解釈としては、タルグム、ミドラッシュ、そして死海文書のペシェルが挙げられる。いずれも、聖書を現実的(actualizing)に解釈しようとする点が共通している。

ギリシア人は、文学的・哲学的テクストを読み解くテクニックの伝統を持っていた。彼らは注解形式で詩や哲学書に注釈を加えた。ギリシア人の解釈テクニックである寓意的解釈には、二つのレベルがあった。第一に、著者自身が意図していた深い意味を探るというもの、そして第二に、著者自身さえ意図しなかった深い意味を探るというものである。ギリシア人は、特にホメロスのような権威ある作品を解釈する際には、それを寓意的に捉えることで、ホメロスが馬鹿げた神話に言及していても、そこには別の意味があったに違いないと考えてホメロスを正当化したのだった。

ヘレニズム化したユダヤ教アレクサンドリアのフィロンは、注解形式と問答形式の聖書解釈を残している。彼は、ギリシア人がホメロスの解釈に用いてきた寓意的解釈を聖書に用いることによって、神人同型説を解決しようとした。これは、ギリシア人にユダヤ教を紹介することでもあった。フィロンは、字義的解釈を完全に否定したわけではないが、あくまで寓意的解釈に対して副次的なものとして理解していた。フィロンの寓意的解釈として特筆すべきは、聖書に出てくるものや場所や人の名前を、語源学的に解釈することで、寓意的な意味を引き出したことである。

新約聖書は、当時のユダヤ教の聖書解釈の方法論に従って、旧約聖書を解釈している。それは、新約聖書における旧約引用やミドラッシュ風の部分、またペシェル風の部分に見ることができる。新約聖書は、旧約聖書をメシア的に読解することで、イエスのメシア性を証明しようとした。

初期キリスト教の保守的なグループは、イエスへの信仰とユダヤ法の順守とを結びつけたが、パウロを始めとするグループは、隠された霊的な使信にこそ価値を認めた。彼らは、本当の割礼ではなく心の割礼を求めた。彼らの聖書解釈の特徴は、予型論(typology)的解釈である。彼らは、旧約聖書の出来事を、キリストと教会の予型として寓意的に解釈したのである。

初期キリスト教ローマのクレメンスは、旧約聖書を主として字義的に解釈した。ただし、パウロのように、旧約聖書の登場人物のことを、キリスト教信仰の好個の例として重視した。『イグナティオスの手紙』にはあまり旧約聖書は使われていないが、『偽バルナバの手紙』は旧約聖書をほとんどミドラッシュ的に解釈している。偽バルナバは、ユダヤ人が律法を字義的に解釈するあまり、その霊的な意味を逸してしまったのだと主張した。そこで、特に数字をシンボリックに解釈することで、旧約聖書から寓意的解釈を引き出した。

グノーシス主義。上のように、キリスト教は旧約聖書を予型論的に解釈することで、教会において旧約聖書が占める位置を確保したわけだが、キリスト教グノーシス主義者たちは、至高神の啓示としての新約聖書に対し、旧約聖書は創造神(デミウルゴス)の啓示であるとして、これを否定した。ただし、ウァレンティノス派のプトレマイオスのように、律法をある程度認める中葉の立場の者もいた。『ヨハネのアポクリファ』は、律法に書かれていることはモーセの能力を超えるものだったために、律法は事実と異なることを含んでいるのだと主張した。それゆえに、キリスト教グノーシス主義者は、旧約聖書を寓意的に解釈したのである。

グノーシス主義者の新約聖書の解釈もまた、キリストの啓示を明らかにするための寓意的なものだった。ウァレンティノス派は数字のシンボリズムに注目し、プトレマイオスやヘラクレオンはヨハネ福音書を念入りに解釈し、一節毎の組織的な注解書を著した。

アジア学派の反ユダヤ的・反グノーシス主義ユスティノスは、律法を完全に否定するのではなく、その価値を認めていた。しかし、律法はあくまでもキリストと教会の予型(typoi)であり、ユダヤ人にとっての預言(logoi)ではないと主張した。彼によれば、ユダヤ人は預言はすでにキリストによって成就していることを認めようとしないので、依然として予型をその表面的な部分でしか捉えていないのだという。アジア学派の特徴としては、予型論を重視するが、それをあくまでキリストや教会の具体的な出来事と結びつけることである。すなわち、アレクサンドリア学派のように霊的な応用をあまりしなかった。

もう一人のアジア学派であるエイレナイオスは、旧約と新約とを連続的に捉えようとした。彼もまた、ユスティノスのように、予型(typoi)と預言(logoi)との区別を重視した。彼はレビ記における、反芻とひづめによる動物の区別を用い、反芻とは律法を咀嚼すること、そしてひづめとは父と子に対する硬い信仰のこととすることで、キリスト者、異教徒、ユダヤ人を比較した。すなわち、キリスト者は反芻しひづめがある者、異教徒は反芻もひづめもない者、そしてユダヤ人は反芻するばかりでひづめがない者だと言うのである。

ユスティノスもエイレナイオスも、アジア学派の物質主義的な特徴どおり、基本的には字義的解釈を重視した。その際には、聖書の神人同型説的な記述にも違和感を覚えなかったようである。しかし、律法の予型論的解釈を用いることで、寓意的解釈をも認めていたと言える。彼らは旧約聖書の出来事をキリストの予型と捉えるという意味では反ユダヤ的であり、一方で、旧約聖書を認め、過度な寓意的解釈を否定したという意味では反グノーシス主義的であった。こうした傾向は、テルトゥリアヌスのような教父にも見られることである。

ここからも分かるように、字義的解釈と寓意的解釈との違いは、聖書解釈のテクニック的な問題というよりも、さまざまな立場間の論争上の問題であると言えるだろう。

ヒッポリュトスもまた、新約聖書のみならず旧約聖書をも積極的に解釈することで、反グノーシス主義的姿勢を明らかにしている。彼の注解は教義的には一貫しているが、解釈テクニックにおいてあまり優れているとは言えない。彼はダニエル書における殉教の記述に注目し、反ローマ的な解釈を加えている。ほとんど予型論的解釈は用いていないが、唯一用いているのがスザンナのエピソードに対してである。彼の解釈は、ユスティノスやエイレナイオスもエピソードに基づく解釈に比して、より組織的なものだったが、聖書の文献学的な事実には無頓着だった。彼は旧約聖書をキリスト論的に解釈したが、はっきりとした原理は持たなかった。

2016年11月1日火曜日

オリゲネスとアガダー De Lange, Origen and the Jews #10

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 123-35.
オリゲネスの聖書解釈とユダヤ教のアガダーとの比較研究はすでに存在しているが、しばしばそうした研究は、両者の共通点をカタログ風にまとめただけで満足してしまっていることが多い。またラビ文学と教父文学とに共通点を見つけたからといって、それを直ちに前者から後者への直接の影響と考えるのは早計である。なぜなら、教父たちは、ラビ文学にある伝承とソースを同じくする伝承を、外典文学やフィロンなどのヘレニズム期ユダヤ文学から知ったかもしれないからである。教父たちと同時代のユダヤ人との直接的な影響関係がどの程度のものだったのかは、まだよく分かっていない。それゆえに、教父文学とラビ文学とに並行箇所があっても、他のソースの可能性を捨て去ってはいけないのである。

論文著者は、こうした前提をもとに、オリゲネスがユダヤ人から聞いたものであると明言しており、かつラビ文学に並行箇所が見られるような聖書解釈を5つ検証している。すなわち、創造、ノア、ヨセフ、出エジプト記、そして民数記である。

検証の結果、論文著者は以下のように結論している。第一に、オリゲネスは、ヘレニズム期ユダヤ人作家の著作には見られないようなアガダー的材料を保存している。第二に、ただしそれはすべてではなく、オリゲネスが言及している伝承のいくつかは、ラビ文学以外にも、たとえばフィロンに見られる。またフィロンになくとも、別の非ラビ的資料にはある可能性はある。第三に、オリゲネスが言及する伝承のソースである「ヘブライ人」は、ラビ的な性質を持っているが、非ラビ的な解釈をもオリゲネスに教えている。この「ヘブライ人」の正体について、論文著者次のように述べている:
The problem of the identity of 'the Hebrew' must remain one of the great enigmas connected with name of Origen. (p. 132)
さて、論文著者は、本書のまとめとして以下のように述べている:オリゲネスは聖書を真剣に学んだ最初のキリスト教教父である。当時の教会はシナゴーグと敵対的な関係であったが、キリスト者たちは、ユダヤ人から教えを請わずに聖書について学ぶことはできなかった。オリゲネスは、こうしたキリスト教的な聖書の学びからユダヤ教からの影響を払拭しようとしたが、それをするにはまず彼自身がユダヤ的伝統に通暁せねばならないというジレンマを抱えていた。ユダヤ人との接触時代は容易であり、何となれば教会内にもユダヤ・キリスト者がいた。

まずオリゲネスはギリシア語聖書のテクストを定め、それとヘブライ語テクストとの関係を検証しようとした。そのために彼が作ったのが『ヘクサプラ』である。ただし、彼自身はヘブライ語を読むことができなかったので、ヘブライ語テクストを知るために、代わりにアクィラ訳を読んだ。彼はこうしてテクストを定めたうえで、聖書解釈の理論や方法論を学んでいった。そのときの彼の教師となったのが、フィロン、パウロ、そしてラビたちであった。特に、生きたユダヤ教を継承するラビたちへの依拠は、オリゲネスの聖書解釈の最も特別な点であった。

こうして、オリゲネスは教会における学術的な聖書解釈の創始者となった。彼の影響は、ルフィヌスやヒエロニュムスを通じて、西方教会へも及んだ。言い換えれば、3世紀のカイサリアのラビたちは、オリゲネスを通してキリスト教世界全体の聖書解釈の伝統に影響を与えることがになったのである。

オリゲネスは、しばしば自身がユダヤ人に依拠していることを明言しないこともあったが、かといってユダヤ人を完全に敵に回すようなことはなかった。むしろ、異教徒によってユダヤ人が批判されると、ユダヤ人を擁護して反論する立場に回った。

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2016年10月30日日曜日

オリゲネスの聖書解釈 De Lange, Origen and the Jews #9

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 103-21.
オリゲネスの聖書解釈に関する該博さは、ヒエロニュムスも認めるところだった。本章は、そのオリゲネスの聖書解釈のユダヤ教に由来する側面を検証したものである。オリゲネスはどの程度、同時代のユダヤ教聖書解釈に依拠していたのだろうか。論文著者はこの問いに、オリゲネス自身がユダヤ教聖書解釈について語っている箇所と、この点に関する研究から得られる印象とから応えようとした。

オリゲネス自身が言っているように、ユダヤ教の聖書解釈はあまりに「字義的」であると見なされていた。しばしば「ユダヤ的な」という形容詞は、「字義的な」という意味で用いられた。ただし、オリゲネスは、そう考えるキリスト者の中でも、最も鋭くユダヤ教聖書解釈の多様性に気づいていた人物であった。そもそも、ここで言う「字義的」とは、現代的な意味としての、テクストが最初に書かれたときの意図を指してはいない。彼は決して聖書の統一性や、それが永遠の神託的な価値を持っていることを疑わなかった。

これはラビたちの「字義的」という言葉の理解とも一致している。ラビ・アキバはトーラーの一字一句にも深い意味があると考えていた。一方で、ラビ・イシュマエルはトーラーは神ではなく人間の言葉で書かれており、また語ではなく文の意味について解釈するべきと考えていた。両者は自分たちのアイデアを文章の中に読み込むことを目的としており、違いはその方法の違いにすぎなかった。

ただし、ラビ・アキバとラビ・イシュマエルの解釈法は、ラビたちが「字義的」な解釈と「法的・説教的」な解釈とを区別できなかったことを意味しない。ラビ・ユダヤ教にはそれぞれ、プシャットとミドラッシュという区別が存在する。この区別は、現代的な意味での「字義的」と「非字義的」とはやや異なっている。

フィロンは、聖書解釈の方法として、「ヘー・レーテー・アポドシス」と「アレゴリア」を区別した。また、字義的解釈では説明しきれないものを、パラドクサなどと呼んだ。彼の聖書解釈は、聖書の物語を、自身の宗教的・哲学的なアイデアのテクストとして使うものだった。彼は律法を寓意的に解釈することで、聖書の法の不適切なところを取り除いたが、決して律法遵守を廃止することを目指していたわけではなかった。

これに対し、パウロはモーセの律法に異議を唱え、文字の法ではなく霊の法を守るように求めた。パウロによれば、キリスト者は法を無効にするのではなく、それを制定するのである。ラビやフィロンの律法理解とは異なるパウロのそれは、キリスト者の律法理解となっていった。フィロンは、律法にはより深い意味があり、それを捨て去ることはできないと述べた。ラビたちは、律法は永遠に有効であるが、解釈のために変更してもよいと見なした。これらに対し、パウロやキリスト者は、ユダヤ法に「文学的(literalistic)」に相対した。すなわち、彼らの「字義性(literalism)」は、盲目的に律法を受け取ることではなく、日常生活の中で意味あるものとして律法を受け入れるということであった。ただし、聖書の歴史部分については、永遠の真理の予型として、正確なものと見なした。

オリゲネスの聖書解釈は、しばしば3種(肉的、魂的、霊的)あると考えられてきたが、この区分をきちんと応用している解釈は珍しい。実際には、伝統的な字義的(肉的)解釈と霊的解釈の二区分が多い。これは、神が二つのアイデアを一度に語ることができるという詩篇62:12の句を拡大的に取ったラビたちの理解とも軌を一にするものである。ラビたちはさらにこのアイデアを敷衍して、トーラーには70の顔がある、とまで主張するに至った。

オリゲネスの解釈スタイルは、ラビ・アキバの特異な解釈と、アクィラの聖書翻訳とに似ていると言える。オリゲネスは、アキバと同じく、聖書の一字一句に深い意味が隠れていると考えていたので、特に不定法を用いた繰り返し表現などに意味を見出した。こうした寓意的解釈がラビからの直接の影響なのか、それともアレクサンドリアの伝統からの影響なのかは、判別し難い。

従来では、ラビたちの聖書解釈における寓意性を等閑に付されてきたので、オリゲネスとラビたちの影響関係は詳しくは検証されなかったが、ラビたちの例え話である「マシャール」は寓意的解釈に近い。似た用語としては、「リシュム」と「ホメル」とが挙げられる。こうした方法は、雅歌やエゼキエル書の解釈に適用された。オリゲネスもラビたちも、トーラーを水、木、マナ、力、真理、善、地、火などと同一視した。

オリゲネスや、彼より前の教父であるユスティノスらは、こうしたトーラーと何かとの同一視を、そのままキリストへと繋げた。すなわち、トーラーを表わしていた木は、そのままキリストとも解釈されるのである。オリゲネスの時代には、キリスト教のシンボリズムはすでに高度なものとなっていたが、まだあるシンボル(十字架など)が完全にユダヤ教から切り離されてはいない、中間的な時期でもあった。こうしたシンボリズムにおける一致を、単純にフィロンや新約聖書のみとの関係で捉えることはできない。

こうしたシンボリックな聖書解釈としては、特に聖書の登場人物の名前の解釈が挙げられる。名前の語源学的な解釈は、フィロンより古く、ホメロスを解釈したアレクサンドリアの伝統に属するものである。こうした解釈に関するオリゲネスのソースとしては、フィロン、名前語彙集(のちにヒエロニュムスがラテン語訳するハンドブック)、そして同時代のユダヤ伝承があった。三つ目のユダヤ伝承とは、現在では『メヒルタ』やタルムードなどに残されているような解釈である。オリゲネスによるこれらの名前解釈のうち、ヘレニズム期ユダヤ作家に共通のものが見つからず、あまりに明白に語源が想像できるもの以外は、ユダヤ伝承から採用されたものである可能性がある。

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2016年10月26日水曜日

ヨセフスの神学忌避と律法解釈 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #3

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 503-18.
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ヨセフスによる聖書記述の改変には二つの理由があり、第一は護教的な理由だった。そして第二は、歴史を一貫して宗教的・ユダヤ的に解釈することである。ただし、ヨセフスは聖書をあくまで神学ではなく歴史として捉えている。言い換えれば、ヨセフスは神学者としてではなく歴史家として聖書を解釈しているのである。そのために、彼は聖書の記述にはあった神へのアピールを取り除いた。たとえばアケダー解釈でも、他のユダヤ資料とは異なり、ヨセフスは、アブラハムやイサクを試す神という、神義論を理解するために決定的なコンセプトを省いている。当然、神による奇跡譚などもない。

ただし、モーセの物語においてのみ、ヨセフスは神の役割を保存している。というのも、ギリシア人の理解では、リュクルゴスのような偉大な指導者は神によって導かれる者だったので、そうしたギリシアの指導者に比すべき律法制定者モーセにもまた、同様の道具立てが必要だったからである。これはいわば護教的な理由である。

ヨセフス自身によれば、皆が彼に律法解釈について質問に来るほど、ヨセフスは律法解釈に通じていたという。実際に、パリサイ派としての彼の律法知識には目を見張るものがあったし、『古代誌』を書き上げたあとには、律法解釈に特化した著作を書くつもりも持っていたようである。ただし、多くの箇所でヨセフスの律法解釈はラビの律法解釈と異なっており、論文著者はそうした箇所を 18箇所挙げている。一方で、両者が一致している18箇所もある。

ヨセフスは、のちに律法解釈に特化した著作を書くつもりがあったにせよ、『古代誌』でもいくらかそうしたサーベイを加えている。これは、その律法を制定したモーセがいかに偉大な指導者だったかを示すため、そして彼の著作を読んだ非ユダヤ人が律法の本質を知ることができるようにするためであった。彼の律法解釈には、聖書そのもの以外に、ラビ的文書とタルグムが用いられていたと思われる。パレスティナのユダヤ人だったヨセフスが、アレクサンドリアのヘレニズム期ユダヤ人作家や死海文書のようなセクト的な文書に頼るとは思われない。

上のようなソースを持っていたにもかかわらず、ヨセフスの解釈がラビの法解釈と異なるのは、彼の目的が、ギリシア人やローマ人からのユダヤ人批判に応えるためだったからである。すなわち、護教論のために、非ユダヤ人から見て恥ずべき掟からはあえて逸脱したのだった。また異教徒がユダヤ教に改宗しやすいような解釈にも変えている。実際に、ヨセフスの時代にはユダヤ教への改宗者もたくさんいたようである。言い換えれば、ヨセフスは自分時代の事情を律法解釈に反映させている。

こうした事情を鑑みるに、ヨセフスの時代のユダヤ教というのは、たとえばG.F. Mooreが考えているほどに一枚岩ではなかったし、ラビたちによる統制もさほど取れていなかったと言える。

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2016年10月25日火曜日

ヨセフスの聴衆、ソース、改変、目的 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #2

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 470-503.
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ヨセフスが念頭に置いていた聴衆は二種類あった。第一に、異教徒に対してである。『古代誌』で述べているように、ヨセフスは非ユダヤ人世界のギリシア人に向けて書いていた。「ギリシア人」とは、この場合、「非ユダヤ人」という意味と捉えてよい。第二に、ユダヤ人に対してである。実際には、ユダヤ人はヨセフスの主要な聴衆ではなかったが、可能であれば読んでほしいと考えていたようである。

ヨセフスが著作を書くに当たって持っていたソースは三種類、ミドラッシュ、ヘレニズム期ユダヤ人作家、そして彼個人の見解であった。第一のソースであるミドラッシュとは、成文化されたものだったのか、それとも口伝のままだったのかについては議論がある。Schalitは口伝からだと考えたが、Rappaportは成文化されたものだけからだと考えた。ヨセフスの同時代人だと考えられる、偽フィロン(『聖書古代誌』)やそれ以前の『外典創世記』には、ヨセフスと共通のソースからと見られる伝承がある。

第二に、ヘレニズム期ユダヤ人作家たちは、ヨセフスの模範となり、またスタイルのモデルともなった。特にフィロンの卓越したギリシア語は大きな影響を与えたと思われる。Wacholderは、ヨセフスは聖書外の伝承については、同時代のユダヤ人歴史家ティベリアのユストス『ユダヤ王年代記』に依拠していると考えた。他にも、悲劇作家エゼキエル、フィロンなどからの影響が認められる。

第三に、ヨセフス自身も、特に護教的理由から聖書に多くの改変を加えている。枢要徳、劇的要素、エロティックな要素の強調や、神学的・魔術的要素の非強調などが挙げられる。これは、ヨセフスの個人的な経験に基づくものと考えられる。

ヨセフスは、聖書の記述スタイルを変えている。その際には、軍事的な用語である「整列(τάξις)」という語を用いて、あたかも文学における将軍のように、彼は聖書の記述をリアレンジしたのだった。その際には、時系列やソースに従うのではなく、テーマに従ってそうした情報を並列させた。

ヨセフスによる聖書の記述の改変には、次のような諸特徴があった。テクスト上の神学的や問題や矛盾を解決すること、時系列の難点を取り除くこと、神の神人同型説を回避すること、ある出来事によりよい動機や合理性を与えること、テクスト上の曖昧なところを明確化すること、ヘレニズム期の修辞学に通じた者に自分の作品をアピールすること、ドラマの意味を増やすこと、アイロニーを増やすこと、寓意的解釈を用いること、そして一貫性のために特定のキーパーソンに注目することなどである。

以上のような改変の目的は、論文著者によると二つある。第一に、反セム主義者に対しユダヤ民族を護り、歴史の宗教的な解釈を与えるという、護教的な理由である。そのために、ヨセフスは聖書の物語をギリシア化(Hellenization)させた。彼は55人を下らないギリシア人作家に言及し、読者に対して自身のギリシア文学への造詣の深さを印象付けた。彼は『戦記』執筆においてはギリシア人のアシスタントをつけていたと述べているが(『アピオーン』1.50)、『古代誌』執筆時はすでローマに20年以上住んでいたので、すでにアシスタントを必要としてはいなかったと考えられる。

ヨセフスのギリシア人作家への知識は深かった。彼は、エウリピデスの語彙を用いてイサクを、ホメロスを用いてアブラハムを、ヘロドトスを用いてモーセを、そしてソフォクレスを用いてソロモンを描きなおした。

ヨセフスは自身の物語をつむぐために、アブラハム、モーセ、サウル、ダビデ、そしてソロモンといった偉大な英雄たちを中心に据えた。ユダヤ人は偉大な人物を生み出さなかったという批判(『アピオーン』2.135)に対し、ペリパトス派的な伝統に則り、歴史における英雄に注目したのである。これは、神を中心に据えている聖書とは異なったアプローチである。英雄たちは、生まれの良さ、見た目の良さ、徳の高さ(枢要徳)が求められていた。これらを備えることで、ユダヤ人の英雄たちは預言者であると共に、プラトン的な哲学者として描き出されるのである。

ある人物の生まれの良さに関しては、先祖を称賛することで示される。英雄は、人物の良さのみならず、生まれの良さが求められる。しばしばその者は早熟で見た目がいい人物として描かれる。身長も高い場合が多い。徳の高さは、枢要徳(知恵、勇気、節制、正義)に加えて、プラトンが五つ目の徳と数えた「敬虔」も加えられる。知恵には、天文学や幾何学といった科学への通暁、他人の意見に耳を傾けることのできるオープンマインド、聞き手(ἀκροωμένοις)を納得させる説得力が関係している。勇気としては、戦闘における勇気と技術がある。ギリシア人はユダヤ人は臆病だと思っていたが、それに対し、ヨセフスはモーセの将軍として能力の高さを強調した。節制には、謙遜であることが求められる。正義の中には、真実を語ること、人間を愛することなどがある。

ユダヤ人は、英雄を生み出さなかったと批判されていただけでなく、人間嫌いであることをも批判されていた(クインティリアヌス、マルティアリス、タキトゥス、ユウェナリス)。ヘカタイオスの時代から、ユダヤ人は「非社会的」で異民族に対し「敵対的」であると見なされていた。これに反論するために、ヨセフスは聖書の人物たちがいかに人間愛に満ちていたかを強調した。そのためには、聖書の記述における不適切な記述を省略することさえ辞さなかった。

ヨセフスはまた、読者の政治的・軍事的・地理的な関心に応えようとした。ユダヤ人の政治的な構造や政争について解説した。大衆を蔑視していたヨセフスとしては、政治構造として最高なのは貴族制であり、最低なのは独裁制であった。軍事的内容を描くときには、自身の経験を埋め込み、地理的内容を描くときには、エラトステネスやストラボン由来の科学的な地理学を用いた。

読者の哲学的な関心に応えるために、ヨセフスは、ユダヤ人の宗教的グループをギリシアの哲学諸派に比較した。また彼は聖書の登場人物を、特にストア派の用語を用いて描きなおした。

ヨセフスは、悲劇的なモチーフをもよく用いた。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスからの影響は顕著である。傲慢(ὕβρις)や運命(χρεών)といった用語を用いて聖書の登場人物を特徴づけた。

さらにヨセフスは、ロマンティックなモティーフを聖書の物語に追加した。ホメロス、ヘロドトス、クセノフォン、そしてヘレニズム期の小説を用いて、聖書では曖昧にされている性的な事柄を明示した。すなわち、性交や女性の美の強調などがはっきりと描かれたのである。

2016年10月20日木曜日

ヨセフスの聖書 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #1

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 455-70.
ヨセフスは、『古代誌』を始めとする著作の中で聖書を扱う際に、ヘブライ語、ギリシア語、そしてアラム語という三つのソースに依拠していたと大部分の研究者は考えている。しかしながら、研究史においては、Tachauerのようにヨセフスはヘブライ語テクストのみを用いたとする者や、一方でSchalitのようにギリシア語テクストのみを用いたとする者もいる。Schalitは、ヨセフスの著作における聖書の登場人物がギリシア語聖書と同じつづりになっていることを指摘するが、論文著者は、ヨセフス写本が後代の写字生によって七十人訳によせて改変された可能性があると反論する。

その出自や受けてきた教育から、ヨセフスはヘブライ語聖書をよく知っていたと考えられる。しかし、彼が持っていたヘブライ語聖書は、現在のマソラー・テクストとは異なっていた。ただし、ヨセフスはそれを忠実に翻訳して引用するというより、パラフレーズしていたので、いったいどんな聖書テクストを底本としてたかを特定することは難しい。

ギリシア語聖書は文学的にレベルが高くなく、内容に通じている者でなければ意味を取るのが難しいような書物ので、ヨセフスはそれをパラフレーズしてギリシアの知識層にまで届くようにしようとした。ヨセフスは実際に七十人訳と近いテクストを引用しているが、それは彼が実際に七十人訳を直接引用したことを必ずしも意味しない。なぜなら、彼はたまたま同じ伝承を知っていたかもしれないし、現在の写本とは別の写本を持っていたかもしれないし、また(クムラン写本の検証から)ギリシア語聖書とヘブライ語聖書とはさほど違わないのでギリシア語聖書を引用しているように見えるところもヘブライ語聖書からの引用かもしれないからである。

アラム語はヨセフスの主要言語であった。シナゴーグでヘブライ語聖書をアラム語に翻訳して朗唱するという習慣は、ヨセフスの時代から行われていた。ヨセフスはこのタルグムを活用していたと考えられるが、特に『古代誌』の1-5巻がそれ以降に比してより自由なのは、タルグムに依拠しているからだと主張する研究者もいる。タルグムの使用は特に、登場人物の名前の語源学や、聖書の中の地理などに基づくアガダー的箇所に認められる。

ヨセフスはこのようにヘブライ語、ギリシア語、アラム語の聖書を用いていたわけだが、五書に関しては主としてヘブライ語とアラム語聖書に依拠したと考えられる。しかしながら、そうした中でもヨセフスがギリシア語に従っているとき、それはフィロン、パピルスに書かれた用語集、翻訳者が組み込んだパレスティナの伝承などからの影響が考えられる。Mez、Thackeray、Ulrichらは、特に聖書の固有名詞のスペリングがギリシア語聖書に一致すると主張している(ただし論文著者はそれは写字生の修正である可能性を挙げている)。エズラ記やエステル記に関しても、ヨセフスはギリシア語聖書に依拠していると主張する者たちがいる。さらにHoelscherは、ヨセフスはヘブライ語聖書でもギリシア語聖書でもなく、ヘレニズム期ユダヤ作家に依拠していたと主張しているが、これは証拠がない。論文著者はとしては、エステル記などに関しても、やはりヨセフスは三言語のテクストを参照していたと考えている。

ヨセフスは、聖書を扱うに際し、再三にわたり自分は聖書を正確に写しており、いかなる付加も省略もしていないと述べているが(『古代誌』1.17)、実際には明らかに付加や省略をしている。これがなぜなのかについて、研究者たちはさまざまな理由を挙げている。第一に、ヨセフスは読者の聖書関する無知を当てにしていたから、というもの。しかし、パレスティナには、ヨセフスのライバルであるティベリアのユストスをはじめ、他にも多くのもギリシア語を知るユダヤ人がいたのであり、ましてやディアスポラのユダヤ人もいたのであるから、これは理由にはならない。

第二に、「付加も省略もしない」とは単に、正確さを表わすための決まり切った定型句であり、必ずしもそうではない、というもの。確かに、ハリカルナッソスのディオニュシオス、ルキアノス、偽コルネリウス・ネポスにも同様の表現が見られる。事実、聖書にも「付加も省略もしてはならない」という定式があるにもかかわらず、そもそも七十人訳には多くの修正が含まれている。ヒエロニュムスは、七十人訳に少なくとも三つの多様性があったことを証言している。

ヨセフスが使っている「翻訳する」という語は、μεθερμηνεύω, ἑρμηνεύω, μεταβάλλωなどがあるが、彼は実際にはこれらの単語を、どれも「翻訳する」よりは「解釈する」という意で使っている。そもそも、よき翻訳者たるには、機械的に言葉を置き換えるのではなく、専門家としての解釈が入らなければならない。この意味で、祭司の家系に生まれ、哲学の素養のあるヨセフスは、異教徒のために聖書に解釈を加えたわけだが、彼自身はこれを「付加」や「省略」とは考えなかったのである。

第三に、「付加も省略もしない」というのは、特別に十戒にのみ適用されることで、聖書全体ではない、というもの。実際に、ヨセフスが「付加」や「省略」を加えているのは、アガダー的な箇所のみである。

第四に、ヨセフスは成文律法のみではなく、口伝のユダヤ伝承をも聖書と考えていた、というもの。ヨセフスの時代には口伝律法は成文化されていなかったわけだが、ヘレニズム期のユダヤ人作家たち――エウポレモス、悲劇作家エゼキエル、フィロン――や、『外典創世記』、偽フィロン『聖書古代誌』などには、多くのユダヤ伝承が含まれている。これらの伝承について語ることは、ヨセフスにとって、聖書に「付加」したり、聖書から「省略」したりすることではなかったのである。

2016年10月16日日曜日

オリゲネスとユダヤ人の議論 De Lange, Origen and the Jews #8

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 89-102.
本章では、オリゲネスとユダヤ人との議論の実際がどのようなものであったかが検証されている。ユスティノスやキュプリアヌスらの理解では、モーセの律法は決して永続するものではなく、より全体的で霊的な律法が表れるまでイスラエルの民に与えられた一時的なものだった。つまり、旧約聖書は新約聖書によって乗り越えられるということである。一方で、オリゲネスはむしろ寓意的解釈を用いることで、モーセの律法とは、のちになって初めて明らかになる真の意味を蔵する予型や影であると考えた。すなわち、オリゲネスは必ずしも律法の字義的な遵守を否定しているわけではない。このような考えを持っていたオリゲネスは、しかしながら、ユダヤ人の特徴である割礼、安息日、そして食餌規定について、以下のような見解を持っていた。

割礼。オリゲネスは、エゼ44:9における「心の割礼」という言葉を基に、あくまで割礼を比喩的に捉えていた。彼が引用しているユダヤ人の見解では、心の割礼だけではなく、肉の割礼もまた必要であるとされていたが、オリゲネスは、エレ6:10の「耳は無割礼」や出4:10「唇は無割礼」という表現から、やはり割礼とは、性的な放縦や悪口などといった悪行から身を清めることを指した比喩的な表現であると考えた。

安息日。ユダヤ人は、安息日こそが人間と動物を区別する要であり、また文明に対する自分たちの最大の貢献であると考えていたが、オリゲネスは安息日の具体的な戒律――「七日目は自分のところに留まれ」(出16:29)、「安息日に荷を運ぶな」(エレ17:21)――を守ることはほぼ不可能だと考えた。第一の戒律については、ユダヤ教では2000キュビトまでは移動可能とされており、また第二の戒律についてはある種のサンダルを特定の運び方をする限り許されていた。これらの解釈をオリゲネスも知っていたが、こうした字義的解釈ではなく霊的な解釈をすべきだと述べている。彼にとって本当の安息日は来るべき世そのものだったからである。安息日が土曜日なのか日曜日(主日)なのかについては、出16:22のマナの降る日に関する記述をもとに、神がマナを降らせる日曜日の方が本当の安息日だと考えた。過越祭に関する決まりもまた、神殿が崩壊した今となっては字義的に遵守することは不可能である。オリゲネスは、過越祭の語源についてヘブライ語から説明を加えている。

食餌規定。神話上の動物に関する記述までを含む食餌規定は、字義的に解釈することは不可能である(レビ11:13や申14:5)。それゆえに、寓意的解釈をする必要があるわけだが、オリゲネスはそうするためにヘレニズム期のユダヤ人作家たち(アリストブロス、偽アリステアス、フィロン)やパウロに依拠した。

このように、キリスト者とラビたちの律法への姿勢は根本的に異なっている。ラビたちは律法を実用的なものとし、自分たちが生きている時代に適用しようとしたが、オリゲネスはラビたちのそうしたハラハー的な洗練を否定しようとしたのだった。

オリゲネスが究極的に証明しようとしていたのは、神によるユダヤ人の否定と、それに代わる異邦人の選びとであった。とりわけ異邦人の選びが、実はヘブライ語聖書の中で預言されており、しかもそれがユダヤ教とキリスト教の歴史的経緯(イエス・キリストの到来がユダヤ人の国の滅亡とほぼ同時期に起こったこと)によって裏付けられていることを示そうとしたのだった。オリゲネスによれば、神はユダヤ人の罪を利用して、異邦人を神の国へと誘おうとしたのである。

そのときに重要となってくるのが、イエスのメシア性である。聖書の預言がイエスをメシアであると証明しているなら、それはイエスの最も力強い権威となる。そのために、以下のような聖書引照箇所が議論の的となった。すなわち、イザ7章の処女懐胎(論文著者によると、オリゲネスの解釈はヒエロニュムスによって引用されているという)、ミカ1章のメシアがベツレヘム生まれであること、ゼカ9章のロバに乗ってのエルサレム入城、イザヤ書の耐えるしもべのイメージなどである。

モーセとの比較。オリゲネスをイエスをモーセと比較している。イエスがキリスト者にとって権威があることを、モーセがユダヤ人にとって権威があることから説明するのである。特に、キリスト者はモーセが預言者であることを否定することなしに、そのモーセ自身の預言によってイエスに関する真理を証明することができる。もしユダヤ人が、キリスト者がイエスを信じる理由を聞きたいならば、なぜ自分がモーセを信じるかを先に示さなければならない。

2016年10月15日土曜日

アウグスティヌスの聖書学 Harrison, "Augustine"

  • Carol Harrison, "Augustine," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 676-96.
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本章は、アウグスティヌスにとって聖書がどのようなものであるかを検証したものである。聖書解釈者としてのアウグスティヌスは、独自性を持ちつつも、西洋キリスト教聖書解釈者の伝統――キュプリアヌス、ヒラリウス、アンブロシアステル、アンブロシウス、ヒエロニュムス――に属している。彼が受けてきた教育はいわゆるリベラル・アーツであり、いかにしてテクストを読み、正し、解釈し、そして判断するかを学んできた。当時の教育は文法に始まり、修辞学で終わる。修辞学は、高度に熟練した雄弁の力で聴衆を説得するための方法である。

こうした異教の教育を受けたアウグスティヌスは、聖書の文学的なスタイルの欠落を感じていた。聖書は文学として低級であるだけにとどまらず、一貫していないこと(たとえば共観福音書間で)も問題だった。アウグスティヌスは、この点を唯物主義的哲学の観点から批判していたマニ教にもともと属していたが、386年にキリスト教に改宗したあとは、アンブロシウス流の寓意的(allegorical)・比喩的(figurative)解釈を受け入れ、聖書には字義的な表層の意味の下に、より深い霊的な意味があると考えるようになった。彼によれば、聖書にある非一貫性は、罪でくもっている人間の理性が、本来そこにある真理を見出すことができないからあるように思えるにすぎない。聖霊は、読者をその非一貫性で刺激することにより謙遜を引き出すのであった。いわば、聖書は神的に霊感を受けたものであるにも関わらず、人間のレベルに下がってくることによって、読者が段階的にその真理を理解していけるようになっているのである。

395年にヒッポの司教になると、アウグスティヌスはほぼ毎日の説教をすることが求められた。すなわち、彼の聖書の学びは、純粋に学術的・批判的・理性的・分析的なものであるというより、信仰の立場に立った牧会的・神学的・護教論的なのである。彼の説教は、おそらく先に文章を用意したものではなく、その場で語ったものであり、書記によって記録されていたものだと思われる。その中で、彼はかつて学んだ絢爛豪華な修辞の力をふんだんに発揮したが、同時にそうした技巧に頼ることに注意を払っていた。技巧はパフォーマンスに堕してしまうおそれがあるからである。修辞は聖書テクストの真理の教育に従属すべきであり、また聴衆を効果的に説得して聖書の理解を深められる限りにおいて用いられるべきである。

こうしたことを組織的に議論している『キリスト教の教え』の中で、アウグスティヌスは指示するものである「しるし(signa)」と、指示されるものである「もの(res)」を区別している。解釈者の仕事とは、聖書の表層にある「しるし」が示している、より深いところにある真理である「もの」を、読者に示し、教えることなのである。そして、アウグスティヌスにとって、聖書が究極的に示していることとは、「隣人への愛」と「神への愛」であった。これを探し、示すためにのみ、異教の古典文化は有効である。つまり、異教文化が副次的な人間の制度のみを請け負っているのに対し、キリスト教文化はさらに神的な権威と究極の真理をも請け負っているのである。

アウグスティヌスは、『キリスト教の教え』において、解釈者の心得として、何よりも神への愛を持つことを挙げている。何か他のものを愛するにしても、それは神の代わりに、また神に関連してそれを愛するということである。すべての被造物に対する解釈者の姿勢は、それらを通じて、それらを作りたもうた主へと向けられるべきなのである。こうした神への愛と、隣人への愛とがある限りにおいて、解釈者は、聖書の表面に拙く書かれている特定の言葉や表現(verba/signa)に拘泥するべきではなく、自由に本来の真理(veritas)、意図(voluntas)、意味(sententia)を解釈するべきである。すなわち、「言葉(verba)」ではなく「もの(res)」を探さなければならない。こうした「比喩的解釈(figurative exegesis)」によって、テクストは幾層にも読まれることができるようになった。

このように、アウグスティヌスは基本的に、歴史書も含めて聖書の全体は預言的であると考えていたが、決して字義的解釈をないがしろにしたわけではない。まず最初に字義的に捉えることは前提であり、すべてはそれから始まるのである。また特に主自身が字義的に意味を説明しているところは、そのまま読まれるべきである。

共観福音書には、明らかに相互の矛盾が見られるが、アウグスティヌスはそれらすべてが同じ霊によって霊感を得ていると考えていた。表面的には矛盾していても、より重要なレベルにおいては統一されているのである。これをアウグスティヌスは「調和的な多様性」と呼んだ(『福音書記者たちの調和について』)。

アウグスティヌスは、解釈者が聖書から読み取らなければならない四つの異なった意味を挙げている:第一に、何かが書かれたという事実である「歴史(hisotria)」、第二に、旧新約聖書の調和という「相似(anagogia)」、第三に、なぜ何かが書かれたのかの「原因(aetiologia)」、そして第四に、聖書のすべてが字義的に受け取られるべきではなく霊的かつ比喩的にも受け取られるべきであるという「寓意(analogia)」である。このうち彼が特によく用いたのが寓意的解釈である。これによって、歴史的な人物、出来事、物語も、未来のものとして解釈することができるようになる。

キリスト教の説教者が聖書を解釈するときのアプローチは、「キリスト教的美学(Chrisitian aestetic)」と呼ぶことができる。キリスト者として聖書の単純さや明晰さや真理を評価すべきであることは当然であるが、読者がその真理を理解したいという欲求を刺激し、神への愛を呼び起こすために、解釈者は異教の古典文学由来の雄弁な修辞の力を用いて、聖書にある真理の美を示すべきなのである。なぜなら、真理とは美しいものだからである。ここにおいて、アウグスティヌスはかつて学んだ古典文学の力を否定することなしに、聖書の美を示すことに成功したのだった。

2016年10月14日金曜日

オリゲネス研究の最前線 Dorival, "Origen"

  • Gilles Dorival, "Origen," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 605-28.
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本論文は、新ケンブリッジ版『聖書の歴史』第1巻に収録された、2013年時点でのオリゲネス研究の成果をまとめたものである。1970年代くらいまで、オリゲネスはどちらかというと組織神学者として見なされていたが、Marguerite Harl, Manlio Simonetti, Herman Josef Vogt, R.P. Hansonらの研究により、オリゲネスは何よりもまず聖書神学者であることが強調されるようになった。

オリゲネスの聖書学的な業績といえば、今では四つの断片が残るだけである『ヘクサプラ』が挙げられる。論文著者は、このカイサリアで完成した『ヘクサプラ』に関する議論を9つにまとめている:
  1. ヘブライ語テクストである第一欄は存在したのか。現存する断片には含まれていないが、『アフリカノスの手紙』やヒエロニュムスの証言によると存在したと考えられる。
  2. なぜ第二欄でヘブライ語テクストがギリシア語音訳されているのか。キリスト者のヘブライ語学習のため、母音のないヘブライ語の読みを助けるためなど、さまざまな理由が考えられるが、オリゲネスはそれをアレクサンドリアのユダヤ人用の共観聖書で見つけた。
  3. 第五欄の七十人訳は共通版なのかオリゲネス校訂版なのか。語順などヘブライ化が見られるので、第五欄はオリゲネス校訂版である。
  4. 第六欄はテオドティオンだけだったのか。テオドティオンを含む「カイゲ」グループの翻訳も収録されたはずである。
  5. 『ヘクサプラ』以前に共観聖書はあったのか。Pierre Nautinは、キリスト者たるオリゲネスが七十人訳を第五欄に入れていること、そして音訳はヘブライ語が分かるユダヤ人だけに有用であることから、オリゲネス以前にユダヤ共観聖書があったとする。
  6. 翻訳の掲載順をどのように説明するのか。アクィラ訳やシュンマコス訳はヘブライ語からの翻訳なので先に来て、テオドティオンは七十人訳の改訂なので最後に来る、という説明と、ヘブライ語テクストにより忠実な順になっているという説明がある。
  7. 『テトラプラ』や『テトラッサ』とは何か。『テトラプラ』はオリゲネスの試作品であるという説明、『ヘクサプラ』完成後に作った簡略版という説明があり、『テトラッサ』は四巻本のオリゲネス改訂版だという説明がある。
  8. なぜオリゲネスは『ヘクサプラ』を作成したのか。第一に、ユダヤ人との論争に役立てるためという論争的理由(『アフリカノスへの手紙』9)、第二に、混乱した七十人訳写本の状況を解決するためという文献学的理由(『マタイ書注解』15.14)、そして第三に、自身の聖書解釈の可能性を広げるため、という理由が考えられる。
  9. 『ヘクサプラ』には複数の版があったのか。アレクサンドリアで最初の版を作って、カイサリアで第二版を作った可能性はある。
オリゲネスの聖書観は、基本的には七十人訳を重視するものである。彼にとって、七十人訳こそが教会の旧約聖書であって、ヘブライ語テクストが取って代わることはできない。ただし、次の三つの場合は、必ずしも七十人訳ばかりを優先するわけではない。第一に、ユダヤ人との論争においては、ヘブライ語テクストをベースにするべきである。第二に、明らかにヘブライ語テクストに基づく読みが正しい場合、それを優先するべきである。ただし、そのときでも七十人訳に注釈を加える必要がある。第三に、明らかにアクィラやシュンマコスなどの読みが正しい場合、それを優先するべきである。

オリゲネスは新約聖書に関して、ヨハネ黙示録を正典に入れるべきと考えていた。当時、ナジアンゾスのグレゴリオスなど、黙示録の正典性を疑問視している者もいたが、オリゲネスはそうではなかった。

霊感と一貫性。オリゲネスの聖書解釈は、霊感を受けたテクストを解釈することだった。彼はアリスタルコスなどアレクサンドリア文献学の伝統に則って、聖書から聖書を解釈しようとした。そのためには、聖書には一貫性があることを前提としなければならない。こうした「一貫した連続性」は「アコルーシア(akolouthia)」と呼ばれる。このアコルーシアを明らかにするために、オリゲネスはまず広いコンテクストからある聖書箇所を解釈し、それから一語ずつ、一句ずつの説明に移った。その際に彼が注意したのは、第一に、テクストの目的、第二に、複数の文書があるときにはその順序、第三に、文書の題名、そして第四に、誰が誰に語っているかという点であった。これは、聖書をあたかも劇のようにして読むということである。

聖書の意味。オリゲネスは、聖書の真の(true)・霊的な(spiritual)意味は救済の神秘を表わすことであるが、聖霊はそれを多くの者が理解できるように、より単純な歴史的(historical)・法的(legal)なテクストにして隠している、と考えていた。そして、聖書の見える部分である歴史や律法は、見えない部分である霊的な真理の予型(typoi)として、互いに血縁関係(syngeneia)を持っている。また仮に聖書の表面に非一貫性(adynata)が見えたとしても、それは読者をより深い理解へと誘うためのフックなのである。

オリゲネスは、この表面上の字義的な意味を「肉的(corporeal)」、そして隠れた深い意味を「魂的(pneumatic)」あるいは「霊的(spiritual)」と区別した。後者の高次の意味(anagoge)あるいは知的な意味(noesis)には、予型(typos)、象徴(symbolon)、像(eikon)、そして謎(ainigma)が隠されている。そして、こうした深い意味を探し出すためのテクニックが、寓意的解釈(allegoria)と予型論的解釈(tropologia)であった。

『諸原理について』4において、オリゲネスはさらに高次の意味を区別し、全部で三種類――肉的、魂的、霊的――な意味があると述べている。これらはそれぞれ、キリスト教の初心者、進歩者、そして完全者のためのものであった。同様のことは、『民数記注解』9.7における、クルミの皮たる肉的意味、その殻たる倫理的意味、そしてその内部たる神的な神秘という比喩でも語られている(『フィロカリア』1.21の『レビ記説教』にも似たような記述あり)。そして、この三層構造は、フィロンの解釈に従って、哲学の三分野――自然学、倫理学、論理学――にも比されている(『マタイ書注解』17.7)。オリゲネスにとって、聖書は哲学に等しいものだった。

論争の役割。オリゲネスの聖書解釈の論争相手は、ユダヤ人、異教徒、異端、そして単純すぎるキリスト者たちであった。オリゲネスにとってユダヤ人は、聖書の字義的解釈に拘泥するあまり、キリスト者のような予型論的・寓意的な解釈を見失っている者たちであった。

異教徒であるケルソスは、寓意的解釈は通常神話にのみ適用されるものなのに、歴史や法を含む聖書にそれを適用するのはおかしいと批判した。これに対しオリゲネスは、異教の神話はあまりに馬鹿げているので字義的に読むことができず、寓意的解釈をせざるを得ないが、聖書は寓意的解釈のみならず、字義的にも読めるのだ、と反論した。

異端であるグノーシス主義者は旧約聖書を否定したが、オリゲネスは、旧約聖書と新約聖書とは神の霊感を受けて一体となっているのだと反論した。

単純なキリスト者たちは、質料的・神人同型的な神理解をしがちであるが、オリゲネスは、神の摂理を人間の生の基準に沿って解釈してはいけないと反論した。

聖書に関する著作。オリゲネスの聖書著作といえば、説教と注解である。説教とはユダヤ教由来の文学ジャンルである。2世紀には、シナゴーグではトーラーの割り当て箇所が読まれたあとに預言書からそれに関する箇所が読まれ、それから説教が行われていた。キリスト者の説教で最古のものは、メリトーのサルディス、アレクサンドリアのクレメンス、そしてローマのヒッポリュトスらのものである。オリゲネスは、カイサリアとエルサレムで、毎日旧約聖書の、そして水曜日、金曜日、土曜日に新約聖書の説教をしていたという。旧約は300篇、新約は100篇以上ものした。彼の説教の多くは、ルフィヌスとヒエロニュムスのラテン語訳で読むことができる。

注解とは異教由来の文学ジャンルである。ホメロス、プラトン、アリストテレスの注解が書かれてきた。キリスト者による最古の聖書注解は、ヒッポリュトスの『ダニエル書注解』である。オリゲネスは、注解に関して、旧約は160巻、新約は100巻以上ものした。現在では、エウセビオスの引用、『フィロカリア』、カテーナ、ラテン語訳などを通して注解を読むことができる。オリゲネスは、フル注解を書く代わりにスコリアやストロマテイスの形式で注解を書くこともあった。

オリゲネスの遺産。4世紀になると、オリゲネスの寓意的解釈に対して、真の予型論を同定しようとする理論(theory)を持ったアンティオキア学派が出てきた。タルソスのディオドロスやモプスエスティアのテオドロスらは、旧約聖書は実際にはキリストについて数えるほどしか触れていないと主張した。異教の遺産である寓意的解釈は疑われ、アレクサンドリアのキュリロスはそれを避けるようになった。

予型論的解釈と寓意的解釈について、Jean Danielouは前者が教会の、後者がヘレニズムの伝統と見なした。Henri de Lubacは、これに対し、アンティオキア学派の勃興以前には両者の区別はなかったと考えた。Manlio Simonettiは、予型論的解釈とは内容の問題で、寓意的解釈とは方法論の問題なので、それぞれが寓意的なのであると述べた。

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2016年10月13日木曜日

教会とユダヤ人 De Lange, Origen and the Jews #7

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 75-87.
前章ではオリゲネスがユダヤ人批判において、比較的偏見から自由だったことが論じられていたが、本章では、彼がそれでも行なった批判が扱われている。オリゲネスによる聖書の寓意的解釈の核心は、教会の誕生と、神の庇護がユダヤ人から異教徒へと移ったことを証明することだった。神がユダヤ人を拒絶したことは、彼らがエルサレムから追放され、迫害に遭っていることから明らかである。しかし、オリゲネスはそのユダヤ人を必要以上に糾弾せず、むしろ守ろうとさえした。

ユダヤ人に対するキリスト者からの攻撃の理由と言えば、ユダヤ人によるイエス殺しが大きい。新約聖書では、イエスの死の本当の理由は神が定めのためであり、必ずしもユダヤ人のせいであるとは描かれていないにもかかわらず、教会はユダヤ人を犯人として攻撃した。論文著者は、このイエス殺しがユダヤ人批判の理由の第一となるのは、2世紀になってからだったと主張する(それ以前のキリスト者の反発は、むしろユダヤ人の律法遵守に向けられていた)。オリゲネスは、ユダヤ人が預言者たちの警告を無視して神の不興を買い続け、ついにはイエス殺しにまで手を染めたために、異教徒の教会が神によって選ばれることになったと解釈した。オリゲネスにとって歴史とは、神の人間に対する関係性の舞台であり、すべての歴史的出来事は、神の好悪の証拠として解釈されるのである。

キリスト者が聖書の中でほのめかされている神秘を感じ取ることができるのに対し、ユダヤ人はテクストを厳格に字義的に解釈するだけであった。それゆえに、ユダヤ人は、イエスとは預言者たちに律法を与えた神の子であることや、モーセの宗教は預言書は実際にはキリスト教信仰の呼び水にすぎないことを、解釈しそこなったのである。こうして、ユダヤ人によるイエスの拒否は、ユダヤ人の字義的な聖書解釈と結びつけられたのだった。

オリゲネスは、三種類の聖書解釈を提案している。それぞれ体の部分、すなわち肉、魂、そして精神と結びつけられている。素朴な人間は、聖書の肉部分しか味わうことができない。解釈の階梯を登ろうと努力する者は聖書の魂に触れることができる。そして、完全な者のみが聖書の精神へと至ることができる。この精神のレベルでの解釈こそが、オリゲネスによって最も重要な「寓意的解釈」と「予型論的解釈」を含んでいる。こうした異教徒のホメロス解釈やフィロンの旧約聖書解釈のテクニックを用いることで、オリゲネスは、旧約聖書が実際にはユダヤ人ではなく教会に属するものであり、また新約聖書において必要不可欠なものであることを示そうとした。

ユダヤ人が教会の迫害に責任があるという言説に関して、オリゲネスにその出所が帰されることがある。他の証言者としてはユスティノスやテルトゥリアヌスがいるわけだが、詳しく見ると、オリゲネスは実際にはそこまで言っていない。何といっても、彼とユダヤ人との関係性はそれほど悪くなかったのである。

オリゲネスは、『トルドット・イェシュ』に結実することになるイエスの生涯のスキャンダラスな解釈を知っていた。またシュモネ・エスレと呼ばれるユダヤ教の祈りの文言にある、キリスト者への呪いをも知っていたと見られる。しかしながら、彼はユダヤ人の字義的な聖書解釈を批判するに留まったのだった。

2016年10月11日火曜日

ケルソス、ポルフュリオス、ユリアヌス Kinzig, "Pagans and the Bible"

  • Wolfram Kinzig, "Pagans and the Bible," in The New Cambridge History of the Bible 1, ed. James Carleton Paget and Joachim Schaper (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), pp. 752-74.
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本論文では、古代の異教徒たちがどのように聖書に興味を持ったかについてまとめられている。非キリスト教者は、文学の修辞的・哲学的な洗練について高い基準を持っていた。そして聖書は、旧約聖書(ギリシア語訳)も新約聖書も共に、明らかにこの基準には満たない代物であると見なされていた。興味深いことに、キリスト教の勃興以前には、ユダヤ人の聖書が異教徒によって読まれていた証拠は見当たらない。言い換えれば、異教世界における聖書の受容は、2世紀以降のキリスト教成立と共に始まったのである(1世紀にも、偽ロンギノス、カッシオス・ロンギノスらがいる)。これは、ユダヤ教が宣教に熱心な宗教ではない一方で、キリスト教はそうであったからだと考えられる。

聖書に言及した異教徒の最初期の例としては、ピタゴラス主義・プラトン主義哲学者のヌメニオス、哲学者かつ医者のガレノスらがいる。彼らは必ずしもユダヤ教やキリスト教を主題にしてはいない著作の中で、聖書の非科学性を批判しつつも、キリスト者の倫理観の高さを称賛した。2世紀後半になると、聖書を中心的な主題とした書物も書かれてるようになった。3世紀から4世紀初頭にかけて活躍したヒエロクレスは『真理を愛する者』という著作で聖書の誤謬を指摘し、使徒たちを批判した。ヒエロクレスはイエスを、1世紀の新ピタゴラス主義者であるテュアナのアポロニオス(伝記はフィロストラトスによる)と比較した。

聖書を扱ったさまざまな異教徒たちのうち、論文著者はオリゲネスによって知られる哲学者ケルソス、マカリオスによって知られる新プラトン主義哲学者ポルフュリオス、そしてアレクサンドリアのキュリロスによって知られるローマ皇帝ユリアヌスを取り上げている。

ケルソスの聖書知識は限られている。彼はモーセの教えは異教の教えや神話を誤解・曲解したものだと批判している。世界の創造はナンセンスであり、人が神の似姿であるという考え方は人と神との存在論的な違いを矮小化することに他ならない。イエスの処女から生まれたのではなく、兵士パンテラとマリアとの情事によって生まれたのであり、イエスの教えはモーセのそれと矛盾している。イエスの受難は、騒擾を起こした者の当然の結果である。このように、ケルソスはさまざまな点に関して聖書を批判したわけだが、特にイエスの批判が微に入り細を穿っていることから、福音書を読んだことがあると思われる(パウロ書簡については不明)。

ポルフュリオスは、聖書の文献学的な知識において秀でていた。彼は、特に預言書の逐語的な解釈を好んだ。そして、預言書に書かれているのはキリストの受肉に関することではなく、単純にユダヤ史における過去の出来事にすぎないと示そうとしたのである。そこで彼が注目したのがダニエル書である。これはヒエロニュムスの『ダニエル書注解』の中で長く引用されている。ポルフュリオスは、第一に、ダニエル書がダニエルによって書かれたことを否定し、第二に、ダニエルが未来のことを語っているという解釈を否定し、そして第三に、ダニエルがアンティオコスの時代までについて語っていることは正しいが、それ以降は誤りであると主張した。キリスト者にとって、ダニエルははっきりとキリストの出現について語っている預言者だったので、ポルフュリオスによるそうした解釈の否定に対し、彼らは大きく反発した。新約聖書に関しては、ストア派によるロゴス・プロフォリコスとロゴス・エンディアテトスの区別に基づいて、ヨハネ伝冒頭のキリストのロゴス論を否定した。概して、福音書の非科学性はポルフュリオスをいら立たせた。

幼少時にキリスト教教育を受けたユリアヌスは、当然ながら、最も深い聖書の知識を持っていた。すべての国はローマの国家的な神々に従属しているべきであるという考えだったユリアヌスは、ユダヤ・キリスト教の一神教的世界観を大いに批判した。ただし、彼の批判はユダヤ人にではなく、主にキリスト者に対するものだった。世界の創造については、聖書の無からの創造という考え方はプラトンの『ティマイオス』に劣ると考えていた。曰く、人に知識を与えた蛇はむしろ恩人であり、アダムの助け手として創造されたはずのイブは、実際には彼を騙している。十戒は他の民族にも見られるようなありきたりのことしか書かれていない。新約聖書で示されている新しい法は、モーセのそれとは矛盾している。それどころか、福音書はそれぞれ矛盾した記述を含んでいる。イエスは、ヘロデの前で奇跡を起こすように求められてもできなかった。イエスの教えはただ馬鹿げているだけではなく、国家や社会を不安定にさせるものである。こうしたことゆえに、ギリシア文学は、人を賢明にさせることについて、はるかに有益である。

これら三人に加えて、論文著者はもう一人、マカリオスの不詳の敵対者(ポルフュリオスか?)を挙げている。この敵対者は新約聖書を特に攻撃対象として、キリスト教を批判した。曰く、福音書はでたらめで一貫しておらず、イエスはただの人である。最後の晩餐でのイエスの言葉はカニバリズムを示唆するものである。これらの事柄は、寓意的解釈を用いたとしても、受け入れがたい。またこの人物は唯一、パウロを本格的な批判の俎上に上げている。パウロがさんざん喧伝した終末は、彼が死んで300年も経つのにまだやってこない。罪の赦し、偶像の否定、死者の復活といった考え方も、みな不条理なものである。偶像は神々と同じものなのではなく、記念や祈りの場のために作られたものなのである。

以上のような著作群は、論争哲学(Kontroversphilosophie)と呼ばれる文学ジャンルとされており、哲学の学派同士でも交わされた。また公の場で朗読されることもあったようである。事実、ヒエロクレスが自身のキリスト教批判を朗読したときには、ラクタンティウスがその場にいたことが知られている。注意すべきは、彼らの作品は、多くの場合キリスト者による論駁書の中に保存されて残っていることである。ただし、彼らは聖書の統一性と多様性について、異教とキリスト教の神論の比較、救済論や終末論については、あまり扱っていない。

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2016年10月10日月曜日

ヨセフスとフィロン以外のヘレニズム期ユダヤ人作家 Van der Horst, "The Interpretation of the Bible by the Minor Hellenistic Jewish Authors"

  • Pieter W. van der Horst, "The Interpretation of the Bible by the Minor Hellenistic Jewish Authors," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 519-46.
本章では、ヘレニズム期におけるマイナーなユダヤ人作家の著作が紹介されている。アリストブロスは入っていないが、エウセビオス『福音の準備』第9巻において、アレクサンデル・ポリュヒストルを通じて引用や抜粋のかたちで保存されている9人の作家たちが扱われている。アレクサンデルはローマで活躍した解放奴隷であり、さまざまな作家の作品を大量に引用しつつ、各国の歴史を書いたことで知られている。彼の『ユダヤ人について』は失われたが、エウセビオスが引用している。アレクサンデルが保存した作家たちのもともとの時代については諸説あるが(前250年から前50年)、おそらく多くが前2世紀の作家たちだと考えられている。

詩人としては、劇作家エゼキエル、詩人フィロン、そしてテオドトスが挙げられる。エゼキエルは我々に知られている唯一のユダヤ人劇作家である。彼の『エクサゴーゲー』は出エジプト記1-15章をもとにした作品で、聖書に忠実なところとかけ離れたところがある。エゼキエルは、ユダヤ人やモーセに対して悪い印象を持ち得るような箇所は省略している。途中、モーセが夢の中で神と言葉を交わしたという記述が出てくるが、その解釈は二通り考えられる。第一に、モーセは実際に神に会ったわけではないことを意味するという、モーセの軽視。第二に、モーセを主の天使と同一視するという、モーセの称賛。論文著者は後者を妥当だと考えている。非聖書的場面に、不死鳥が出てくるが、これはユダヤ人たちの出エジプトが歴史において新しい時代を開いたことを含意している。

叙事詩の詩人であるフィロンは、あまり知的でないギリシア語による『エルサレムについて』という作品を残している。そこでは、イサクの奉献、ヨセフのエジプトでの政治、そしてエルサレムの水道システムが歌われている。全体としては、エルサレムを称賛し、アブラハムを賛美する内容になっている。

テオドトスは、都市シケムに関する歴史を叙事詩の形式で歌っている。エルサレムではなくシケムをテーマとしていることから、テオドトスはサマリヤ人であるかもしれない。この作品では、創世記のヤコブの伝説についてもホメロスの形式で歌われている。

歴史家としては、デメトリオス、アルタパノス、エウポレモス、偽エウポレモス、クレオデモス・マルコス、そしてアリステアスが挙げられる。デメトリオスはユダヤ人の歴史を二つのジャンルに従って描いた。その第一は、ギリシア文学における非ギリシア人の歴史である。これはエジプト人マネトンをはじめ、ユダヤ人ヨセフスに至るまでさまざまに用いられてきた手法である。彼らは、ギリシアの歴史観を用いつつも、巧妙な時系列操作によって自民族の卓越性を示そうとした。デメトリオスはその際に、聖書を歴史書として利用しつつ、必要があれば大胆に改変した。その第二は、問答形式であるエロタポクリセイスというジャンルである。これは、ホメロスの解釈を始めとする科学的な文学において適用されるものだったが、デメトリオスはあまり厳密にこれを用いなかった。デメトリオスは、他の歴史家たちと異なり、モーセもアブラハムも必要以上に賛美しなかった。

学術的なデメトリオスに比して、アルタパノスは歴史小説家のような自由さを備えていた。モーセ、アブラハム、ヨセフらの伝記の断片が残っているが、それらは最も聖書からかけ離れた物語であり、のちのミドラッシュ文学にも見つからないようなものになっている。彼は聖書の登場人物たちを、エジプト人に文化や宗教を教えたような偉大な教師として描いた。その際には、扉が自発的に開くモティーフのようなギリシア文学のお決まりの表現を使う一方で、テトラグラムをみだりに唱えたことが引き起こす災厄といったユダヤ的な要素をも用いた。彼は、ユダヤ民族の特権と矜持を証明するためには、聖書物語を大幅に改変することも辞さなかった。

エウポレモスはエルサレムの祭司の家系出身であり、一マカ8:17以下で言及されている。彼は、『ユダヤにおける王たちについて』の中で、モーセを律法制定者、文化的な貢献者、そして文明の創建者として描いている。またモーセからサウルまでのユダヤ人の歴史を要約しつつ、聖書にはない大げさなエピソードを加えている。特にエルサレム神殿の建設については、大きく聖書から外れ、未来に建てられるべき理想の神殿の描写を繰り広げた。すなわち、彼にとって聖書は、再説聖書の文学の考え方と同様に、出発点に過ぎなかったのである。時系列についても独自の勘定を持っており、ギリシア人よりもユダヤ人の方が古いことを示そうとした。

アブラハムを扱っている偽エウポレモスの著作断片は、アレクサンデル・ポリュヒストルによって誤ってエウポレモスに帰されたものである。彼は聖書の伝承のみならず、アガダー的伝承や、ギリシアやバビロニアの神話をも、物語の中に織り込んでいる。さらには、ゲリジム山に言及するなど、サマリヤ人的な伝承をも持っていた。これは、エルサレム神殿を重視した真正なエウポレモスとは相容れない特徴である。偽エウポレモスは、アブラハムは、天文学を創始したエノクからその知識を得て、占星術を創始したと述べている。そしてその占星術を、アブラハムはフェニキア人やエジプト人に教えたのだった。さらに、ノアとニムロデを同一視するという奇妙な解釈も披露している。

クレオデモス・マルコスは、アブラハムの子孫の物語を語っており、ついにはアブラハムとヘラクレスとの家系的な繋がりを示した。普遍的な父であるアブラハムから多くの民族が生まれたことを示すことによって、ユダヤ人が他の民族と血縁関係を持っていると主張したのである。これはディアスポラのユダヤ人が外国に住み続ける居心地の悪さを解消するためのものだった。

アリステアスはヨブ記を要約してアガダー的伝承を付け加えた。同様の伝承は、偽フィロン『聖書古代誌』、『ヨブの遺訓』、クムラン第11洞窟で発見されたヨブ記のタルグム断片などに見られる。

上記のユダヤ人作家たちは、ユダヤ民族がさまざまな文化的創造を成し遂げたことを示すことによって、自意識を強めようとした。そのために、アブラハムやモーセは、ギリシア文明の要となる事柄の創造者として描かれた。今の偉大なギリシアが持っている知恵は、実はモーセの書から取られたものなのだ、と言うのである。これは、明らかに当時の反セム的な感情に反論するため、という護教論が背景になっていると考えられる。それと同時に、強くヘレニズム化してしまった同胞がユダヤ教を捨てることのないようにするためでもあった。これらの作家たちは、同胞たちがユダヤ人でいつづけようと思わせなければならなかった。

特徴的なのは、どの作家も、トーラーの戒律的・律法的な側面をまるで重視していないということである。モーセは文明の発明者、文化の貢献者としてのみ描かれ、律法制定者としては描かれていない。これはラビ文学とは大きく異なる点である。ただし、これは引用しているアレクサンデル・ポリュヒストルの関心から外れていたために、本当は扱っていたのに引用されていないだけという可能性もある。しかし、論文著者は、やはりこのトーラーの律法的な側面への無関心を、ヘレニズム期ユダヤ人作家の特徴と考えている。こうした特徴があったために、彼らの著作は後代のユダヤ人ではなく、むしろキリスト教の教父たちによって読まれるようになった。

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2016年10月8日土曜日

ケルソスとの論争 De Lange, Origen and the Jews #6

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 63-73.
本章では、オリゲネス『ケルソス駁論』に基づいて、オリゲネスのユダヤ人理解を明らかにしている。キリスト教の礎たるイエスや弟子たちがユダヤ人であるにも関わらず、同時代のユダヤ人がイエスをメシアであると認めることはない、というジレンマを教会はいつも抱えていた。とはいえ、オリゲネスの時代である3世紀前半には、両者の関係はまだ悪くはなく、それゆえに、オリゲネスは必要以上にユダヤ人を糾弾するべきではないと考えていた。というのも、彼は古代イスラエルの歴史はそのまま、真のイスラエルである教会の歴史へと繋がっていると見なしていたからである。

オリゲネスの『ケルソス駁論』は、ユダヤ人に対するキリスト者の穏当な護教論として独特な位置を占めている。この中で、異教の哲学者ケルソスは、ユダヤ教とキリスト教とを攻撃している。そのためにケルソスは、第一に、ユダヤ教を批判する古くからの異教徒の議論を、第二に、キリスト教を批判するユダヤ人の議論を、そして第三に、キリスト教を批判する異教徒の議論を用いている(論文著者はこのうち最初の二つのみについて議論している)。

異教徒のユダヤ教批判。マネトン、リュシマコス、カイレモン、アポロニオス・モロン、アピオーンなどエジプトの反ユダヤ的な作家たちの時代から、ユダヤ人は歴史が浅く、何ら独創的な思想を持たない民族であると書かれてきた。これはヨセフス『アピオーンへの反論』からも読み取ることができる。タキトゥスは、ユダヤ人の先祖はエジプトからパレスティナに移住したハンセン病患者や身体障害者であると述べている。キケローは、選ばれた民であるはずのユダヤ人が多くの災難に遭っているということは、神が彼らを守護してなどいないことを意味していると主張した。ケルソスは、こうしたいわば伝統的な議論を基に、ユダヤ教と、それに由来するキリスト教とを批判したのである。

ユダヤ人のキリスト教批判。ケルソスは、のちに『トルドット・イェシュ』に結実するような、ユダヤ人の間で共有されていたイエスに関するスキャンダラスな説話を知っていた。イエスは処女懐胎によって生まれた神の子ではなく、パンテラと呼ばれる兵士とマリアとの間に生まれた私生児であるというのである。

オリゲネスの反論。ケルソスによるこうした議論に対し、オリゲネスは落ち着いて反論している。第一の議論については、特にヨセフス、フィロン、タティアノス、そしてヌメニオスらに依拠しつつ、ユダヤ人の民族としての古代性と卓越性、モーセの教えの妥当性、そしてユダヤ人に対する神の特別な配慮を示そうとした。彼らに言わせれば、ギリシア哲学は聖書からの盗用であり、モーセはトロイア戦争よりも以前に生きていたのである。しかし、このような素晴らしいユダヤ人も凋落し、キリスト教が広まっているのは、モーセよりもイエスの方が優れているからであり、また神の庇護がユダヤ教からキリスト教に移ったからだ、と言うのである。

第二の議論については、オリゲネスはイエスの父親に関して、パンテラ説を否定している。そしてイザヤ書のインマヌエル預言の箇所について、「アルマー」という語が単なる「乙女」ではなく「処女」を意味することをヘブライ語テクストに基づいて説明しようとした(その説明自体は、彼のヘブライ語知識の不足から誤りである)。3世紀のユダヤ教とキリスト教との論争については、タナイーム文学でも教父文学でもあまり知られていないが、この『ケルソス駁論』における議論は、そうした欠落を埋めてくれる。

キリスト教の卓越性。こうして、ケルソスによるユダヤ・キリスト教批判に反論したあとで、オリゲネスはさらにユダヤ教に対するキリスト教の優越をも示そうとした。そのために彼が論拠としたのが、イエスが起こした奇跡であった。ケルソスは、キリスト教を批判するために、福音書に記されたイエスの奇跡は馬鹿げていると批判した。この批判は、実はユダヤ教からのキリスト教批判でも用いられる論法だった。律法に集中するラビたちは、奇跡など信じなかったのである。つまり、この批判は、異教とユダヤ教からのキリスト教批判になっている。これに対し、オリゲネスは、同様の奇跡は旧約にも見られるのだから、ユダヤ人が福音書の奇跡を非難するのはお門違いだと反論した。なおかつ、イエスの奇跡は、ユダヤ人しか相手にしないモーセの奇跡よりも普遍的だと考えていたのである。

オリゲネスは確かにユダヤ人と論争していたが、同時に異教からの攻撃に対し、ユダヤ教とキリスト教をひとつながりのものとしても見なしていた。ただし、キリスト教はユダヤ教の最良の部分の継承者であり、ユダヤ人がキリストの福音を信じないのを残念に思ってもいたのである。

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2016年10月7日金曜日

オリゲネスの聖書学 De Lange, Origen and the Jews #5

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 49-61.
本章では、オリゲネスの聖書学がいかにユダヤ人教師たちに負っているかが扱われている。『ミシュナー』「アボット」で述べられているように、ラビ・ユダヤ教では、聖書の霊感はただ成文律法のみならず、口伝律法にも及んでいると考えられている。ラビたちは七十人訳を疑い、ラビ的伝統の信頼性を主張した。またヘブライ語聖書の正典は一貫したものであるように見せていた。

オリゲネスは、ユダヤ人教師について、聖書の霊感の伝達と正典とを議論した初期の教父である。彼がヘブライ語聖書に関心を持ったのは、ユダヤ人との討論をするときに役立つからであるという護教的理由がしばしば語られることがあるが、これだけでは十分ではない。オリゲネスのヘブライ語聖書への関心は、自身の聖書解釈をより正確にし、研究をより豊かにするためでもあったのである。

ただし、だからといって、ヒエロニュムスが「ヘブライ的真理」と述べたような絶対的な信頼を、オリゲネスもまたヘブライ語聖書に付したというわけではない。オリゲネスはアレクサンドリアの伝統に則って、七十人訳を霊感を受けたテクストだと考えるほどに、親七十人訳的態度を維持していた。

聖書のラビ的伝統を知るために、オリゲネスはアクィラ訳に大きく依拠していた。アクィラ訳は、カイロ・ゲニザでも写本が見つかっていることからも分かるとおり、ラビ的な翻訳であり、6世紀までシナゴーグで読まれていた形跡がある。他の伝承のソースは、ユダヤ人教師から学んだユダヤ説話や、『聖書古代誌』のようなギリシア語のミドラッシュ(現存するのはラテン語訳)だったと考えられる。

聖書の正典は、ラビ的伝統においては24書であるとされているが、ヨセフスは22書という数え方をしている(『アピオーン』1.8)。オリゲネスはさらに、ヘブライ文字が22文字であることを根拠に、正典も22書であると主張している(『フィロカリア』3)。この22書のリストは、エウセビオスとポワティエのヒラリウスによって伝えられている。それを精査すると、ギリシア語テクストである『第二エズラ記』と『エレミヤの手紙』を組み込んでいること以外は、マソラー・テクストの伝統に忠実なリストになっている。ただし、書物の順序は、途中まではラビ的伝統に従っているものの、最終的にはギリシア語聖書と同様になっている。

ルツ記を士師記に、哀歌をエレミヤ書に組み込むのは、当時のユダヤ的な伝統であったろう。またオリゲネスは、詩篇が五部に分かれているというユダヤ的な見解を正しく伝えている。ラビたちが『トビト記』、『ユディト記』、『ソロモンの知恵』、そして『第一エノク書』を正典に組み込んでいないことも知っていた。

聖書、特に五書の著者性に関して、オリゲネスはしばしばそれをモーセに、ときに神に帰している。これはユダヤ的伝統に忠実だが、エズラが執筆を継承したという修正を加えている。申命記におけるモーセの死を、いったいどのようにモーセが記したのかという矛盾を解消するためである。この説明は、クレメンスやエイレナイオスも知っていた。ヨシュア記はヨシュアによって書かれ、箴言、コヘレト書、雅歌はソロモンによって書かれ、そして詩篇の大部分はダビデによって書かれたと、オリゲネスは報告している。

オリゲネスは、シナゴーグでの聖書朗読を実際に体験したことがあるようだが、当時のシナゴーグにおいてギリシア語訳が一緒に朗読されていたかどうかについては述べてはいないが、アクィラ訳がユダヤ人たちの間で高い評価を得ていたことを伝えている。実際、アクィラ訳は6世紀まで活用されており、カイロ・ゲニザにも写本が残っている。『ミシュナー』では聖書の翻訳の使用は禁じられているが、後代のラビたちはそれを許していたようである。カイサリアを訪れたラビ・レヴィ・バル・ヘイタは、シェマアがギリシア語で朗誦されているのを聞いたことがあると言う。

『ヘクサプラ』の第二欄にあるヘブライ語テクストのギリシア文字による音訳は、当時のシナゴーグでの音訳テクストの使用を推測させるものである。オリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったことを鑑みるに、ヘブライ語テクストやその音訳を含む『ヘクサプラ』は、彼のユダヤ人助手の手によるものかもしれない。音訳は、母音記号のなかった当時のヘブライ語の発音を保存している。そうした補助がありながら、オリゲネス自身がヘブライ語テクストに基づいて聖書解釈をすることはまれで、ヘブライ語テクストを知りたいときにはアクィラ訳を参照するにとどまっていた。

オリゲネスは神の名前のテトラグラムの仕組みを知っていた。彼は、あるテクストにおいてはテトラグラムが古ヘブライ文字で書かれていることをも知っていた。こうしたことに関する知識は、もしかしたらフィロンを通じて得たものかもしれないが、実際にユダヤ人たちがテトラグラムを「主」と読み替えているのを見たとも考えられる。

当時のラビ的な教育がどのようなものだったのかについて、オリゲネスはほとんど記してないが、彼自身がそうした教育を多少受けたことがあるものと思われる。事実、若年者たちに創世記の冒頭、雅歌、エゼキエル書の冒頭と終わりとを教えてはいけないという、当時の伝統を彼は知っていた。

外典・偽典における聖書解釈 Dimant, "Use and Interpretation of Mikra in the Apocrypha and Pseudepigrapha"

  • Devorah Dimant, "Use and Interpretation of Mikra in the Apocrypha and Pseudepigrapha," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 379-419.
本論文は、外典と偽典における聖書解釈がどのようなものであるかをまとめたものであるが、それ以上に、聖書解釈一般の方法論の概観にもなっている優れた一作である。著者によれば、これまでの研究の弱点は、特定の個々の場合の分析によって一般化していくという、帰納法的なアプローチを取っていたため、限定的かつ断片的な方法論に終始していたことにあったという。すなわち、ある箇所で聖書的要素が何を含意しているのか、ということのみに注目してきたわけだが、論文著者はそれがどのように、またなぜそうしたことを示しているのか、という機能的な部分にまで論点を広げようとする。著者はこれを「機能的・構造的な分析形態(the functional-structural form of analysis)」と呼んでいる。

この分析において大きな支柱となるのが、外典・偽典における二つの形式的なカテゴリーである:すなわち、「構成的(compositional)」と「解説的(expositional)」な文書である。前者において、聖書的要素は、外的なマーカーなしにテクストに織り込まれつつ含意されるが、後者において、それらははっきりとした外的なマーカーと共に詳細に説明されている。

こうした形式の違いは、むろん目的の違いによるものである。解説的文章の目的は聖書テクストを説明することであるため、しばしば聖書テクストを見出し(レンマ)に掲げることで、解説部分と区別している。こうした形式の代表的なものは、ミドラッシュ、クムランのペシェル、フィロンの律法注解、そして新約聖書における旧約引用などである。

一方で、構成的文章は聖書からは独立した新しいテクストを創造することを目的としているため、聖書的要素を自身の一部にしている。構成的文章の例としては、物語(narrative)、詩篇、遺訓、知恵、そして論説(discourse)などのジャンルが挙げられる。構成的文章は、解説的文章と異なり、聖書的要素を特定の様式のもとで導いたりはせず、それらを自らの記事の中に織り込んでいく。これは外典や偽典によく見られるジャンルである。

論文著者は、解説的文章における解釈のことを「釈義(exegesis/hermeneutics)」、そして構成的文章における解釈のことを「解釈(interpretation)」と呼んでいる。

解説的文章における聖書の明示的な使用方法(explicit use of Mikra in exposition)を論文著者は二つ挙げている。第一に、引用である。しかしながら、外典や偽典においては聖書の明示的な引用は比較的少ない。少ない中で際立っているのが、論説ジャンルにおける五書から引用である。また祈りが神の行為と神の言葉とに言及する際に、行為は暗黙的な方法で、そして言葉は明示的で正確な引用によって示されている。聖書を引用することで、解釈者たちは、自分たちの時代を引用元の時代と「同一視(equation)」し、また引用で言われていることが自分たちの時代に「実現(actualization)」したことを示している。これはクムランのペシェルの特徴でもある。

第二に、人物や状況への明示的な言及である。こうした言及には二通りある:第一に、聖書の登場人物のカタログ、そして第二に、人物や状況への個別の言及である。登場人物のカタログは、多くの場合、論説の中でも奨励の箇所に出てくる。登場人物たちは時系列に並べられ、その役割を冠されている。注目すべきは、そうしたカタログには、善人のみならず悪人も登場していることである。第二の個別の言及は、論説や祈りの箇所に出てくる。たとえば、ディナの強姦のエピソード(創34)は、『ユディト記』、『レビの遺訓』、そして『ヨベル書』に出てくる。

では、構成的文章における聖書の暗黙的な使用方法(implicit use of Mikra in composition)とはどのようなものか。それらは、解説的文章のように、解釈のために秩序だっているわけではなく、神の言葉や行為を表現しているわけでもない。はっきりとしたマーカーによって、それが聖書に基づいていることが示されることもない。読者の読解力がそこに聖書的要素を読み取るのである。この方法には、以下の三種類がある:第一に、暗黙的な引用、第二に、暗示、そして第三に、モティーフとモデルである。

暗黙的な引用は、外典や偽典の最も特徴的な点のひとつである。これらのジャンルにおいて、引用は明示されないままテクストに織り込まれている。特に、「自由な物語(free narrative)」、「聖書の拡張(biblical expansion)」(たとえば再説聖書[Rewritten Bible])、そして「偽典的伝記(pseudepigraphic biography)」に、そうした特徴が見られる。「自由な物語」における暗黙的な引用は、聖書のスタイルや形式を模倣することが多い。著者は、自分の語る物語と聖書の物語とのアナロジーを期待しているのである。「再説聖書」において暗黙的な引用がなされる場合、もとのテクストにあった要素の解釈的な入れ替え(exegetical substitutions)や、編集的な改変(slight editorial alterations)がなされることが多い。

第二の暗示は、定義することが困難なため、研究が進んでいない。ただし、暗示には、独立した外部のテクストに言及する特別なシグナルが用いられている。そのシグナルとなる、聖書の特定の箇所に基づいたモティーフ、鍵語、そしてフレーズなどに注目するべきである。こうした暗示は、特に偽典的な枠組みにおいて鍛えられてきた。

そして第三のモティーフとモデルは、特定の用語やフレーズによって示される。『トビト記』は、明らかにヨブ記をモティーフとして、またモデルとして書かれているが、『トビト記』にはそのことを明示的に示す言及のようなものはない。そもそも物語のプロットがヨブ記から取られているわけではなく、独立した別の物語である。しかしそこに見られる類似性は、新旧の作品を比較することを可能にする。そのとき、旧作品は真作品に統合されるわけではない。

2016年10月4日火曜日

オリゲネスのユダヤ教知識 De Lange, Origen and the Jews #4

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 39-47.
割礼、食餌規定、祭りなどのユダヤ法遵守について、オリゲネスは新約聖書やヨセフスといった二次資料からのみならず、実際のユダヤ人という一次資料からも知るすべを持っていた。オリゲネスの活躍した時代が『ミシュナー』編纂のすぐあとであることから鑑みて、彼のハラハ―に関する知識は、ユダ・ハナスィーの弟子たちから直接学んだものである可能性がある。そうした痕跡は、特に『諸原理について』と『フィロカリア』などの中に見出すことができる。

たとえば、安息日の遵守に関しては、出16:29における基礎的ルールのみならず、安息日であっても移動することができる境界である2000キュビトに関するエルブというルールについても言及している。

食餌規定については、オリゲネスは聖書の規定以上のことは特に述べてはいない。しかし彼は、マコ7:11における「コルバン」という言葉に関して、ユダヤ法における不良債権の回収や社会的な義務の放棄の知識を持っていた。

『ケルソス駁論』を読むと、オリゲネスがラビ・ユダヤ教的な議論をしているのに対し、ケルソスはより自由で折衷的な非ラビ的なユダヤ教に基づく議論をしている。言い換えれば、ケルソスの議論はヘレニズム的で混淆的なのである。従って、ケルソスが依拠しているユダヤ人は、ギリシア哲学や他の宗教に由来する思想を濃厚に持っていたと言える。対して、オリゲネスは意図的に自身の議論を、律法を重んじる特定のユダヤ人に限定していたのだった。

オリゲネスは、エジプトのグノーシス主義をユダヤ教的な霊理解に繋げており、ケルソスはサタンやロゴスについて語っている。これらはラビ文学にも見られるものではあるが、どちらかというフィロンをその導き手としていると考えられる。

オリゲネスは、ラビ的な神の複数の神格について語っている。これは、ミニームらの考え方を基にしていると考えられる。ミニームとは、ユダヤ教の異端やグノーシス主義者、ヘレニズム的ユダヤ人、ユダヤ・キリスト者、そしてキリスト者のことをさえ指す漠然とした用語である。

他にも、オリゲネスは神人同型説、創造論、報いと罰、復活論、死後の生、メシア論について言及している。