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2012年1月22日日曜日

京都ユダヤ思想学会の新HP

京都ユダヤ思想学会のホームページが新しくなりました。

http://sites.google.com/site/kyotojewish/


上のトップページのデザインは、プラハのヨゼフォフ地区にあるユダヤ人タウンホールに掲げられている、ローマ数字とヘブライ数字の時計を組み合わせたものです(ちなみにこの時計のデザインは学会誌の表紙でも使われています)。それにしても、デザイナーのセンスが光るかなりかっこいいヘッダーですね。プラハのタウンホールについてはこちらをご参照ください。

コンテンツにも工夫がこらされています。たとえば「学会発足のご挨拶」のところには、古今東西のさまざまなユダヤ学者の顔が配置されていますが、これが全部わかったら、あなたも立派なユダヤ学者になれる(?)かもしれません。また「過去の学術大会」のところでは、これまでの学術大会のポスターが一堂に会していて、なかなか壮観ですね。

現在、2012年度の学術大会の発表者も募集しておりますので、希望される方は以下のメールアドレスにご連絡ください。締め切りは2月末です。

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2012年度 学術大会のご案内

日程:2012年6月9日(土)(単日開催)
会場:神戸松蔭女子学院大学(http://www.shoin.ac.jp

シンポジウムのテーマは現在調整中です。
詳細については後日改めてお知らせいたします。
研究発表の申し込みを受け付けます。
発表を希望する方は発表タイトルのみで結構ですので、
本学会事務局(hebraicaveritas [アットマーク] gmail.com)までご連絡下さい。
締め切りは2012年2月末です。

なお、現在学会員でなく、入会と研究発表を同時に希望する方は
入会審査の関係上、2012年1月末までにお申し込み下さい。

2012年1月16日月曜日

佐々木嗣也「ユダヤ・ジョークの何がユダヤ的か」

2月12日(日)に、神戸ユダヤ文化研究会の主催で、バル・イラン大学の佐々木嗣也(ツヴィ・サダン)氏の公開講演会が開かれるそうです。

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日時:2012年2月12日(日) 14:30~17:00
場所:こうべまちづくり会館 2Fホール(元町商店街内・高速神戸「花隈」下車徒歩2分)
〒650-0022 神戸市中央区元町通4丁目2番14号
TEL: (078) 361 - 4523 FAX: (078) 361 - 4546
参加費:正会員=無料、維持会員・一般参加者=1000円

講演題目:ユダヤ・ジョークの何がユダヤ的か
講演者:佐々木 嗣也さん
(Tsvi Sadan)
(イスラエル・バルイラン大学上級講師)
 
【要旨】 ユダヤ・ジョークと一般に称されるものは実際にはアシュケナジ・ジョークであり、他のユダヤ・コミュニティーでは似たような独自のジョーク文化は発展しなかった。本発表では今でも新しいものが生まれ続けているアシュケナジ・ジョークに的を絞り、特徴的と思われる新旧のジョークを素材にして、以下の4つの観点から分析を試み、アシュケナジ・ジョークの特徴を探る。
 
- 誰・何について笑うのか:アシュケナジ・ジョークの対象
-
どう笑うのか:アシュケナジ・ジョークの構造
-
いつ・どこで笑うのか:アシュケナジ・ジョークの落ち
-
なぜ笑うのか:アシュケナジ・ジョークの源泉
 

【略歴】 1963年秋田県生まれ。後にイスラエルに移住・帰化。エルサレム・ヘブライ大学ヘブライ語学科博士課程修了(PhD)。現在はバルイラン大学ヘブライ・セム語学科上級講師。専門は言語学。研究分野は現代ヘブライ語、現代イディッシュ語、エスペラント語、形態論、語彙論、辞書学、接触言語学、社会言語学、固有名詞学。
ウェブサイトはhttp://sites.google.com/site/tsvisadan/ 

     事務局連絡先
6168142 京都市右京区太秦樋ノ内町1-4-508 
神戸ユダヤ文化研究会事務局関根真保
電話・FAX: 072-254-9666、  E- mail: jjskoffice[アットマーク]yahoo.co.jp

2012年1月15日日曜日

『ガラテヤ書注解』の教父引用について



ヒエロニュムスの『ガラテヤ書注解』は、パウラのすすめによって386年に口述された注解書で、多くの先行教父からの引用があります。たとえば、盲目のディデュモス、ラオディキアのアポッリナリス、「異教徒」アレクサンドロス、エメサのエウセビオス、ヘラクレアのテオドロス、そしてオリゲネスなどが挙げられます。ところがガラテヤ書6:11の注解に関する注解の中で引用されている教父は誰なのか長いこと分かりませんでした。


Gal. 6:11 Ἴδετε πηλίκοις ὑμῖν γράμμασιν ἔγραψα τῇ ἐμῇ χειρί.

Comm. in Gal. 3 (6:11)
In hoc loco vir apprime nostris temporibus eruditus miror quomodo rem ridiculam locutus sit: Paulus, inquit, hebraeus erat et graecas litteras nesciebat...

ヒエロニュムスは、ある「我々の時代における極めて教養ある人物」が、πηλίκοιςの解釈について、実に馬鹿げたことを述べていると言います。それによると、πηλίκοιςはよく解釈されているように単に「大きな文字で」という意味ではなく、パウロはヘブライ人であるためギリシア語を知らなかったにもかかわらず、無理に「へたくそな文字で」書名をした、ということになるそうです。そしてそのような行為を通じてパウロはガラテヤ教会の人々に愛を示したのだという解釈になるわけです。ヒエロニュムスの引用の仕方に注目すると、inquitという言葉から、それが直接引用であることが分かります。ヒエロニュムスはパラフレーズしておらず、想定されるギリシア語本文をそのままラテン語訳しているのです。またloquorという言葉から、引用元は書物であると考えられます。loquorは「言う」という口頭の表現を意味する言葉ではありますが、このような場面では「書物に書かれている」という意味で用いられるのが普通です。このloquor+inquamの組み合わせは、他の場所でも上のような用法で確認されています。

さて、ここでの「我々の時代における極めて教養ある人物」の可能性としては、ヨアンネス・クリュソストモス、マリウス・ウィクトリヌス、アンブロシアスター、ディデュモスらが考えられてきましたが、どれもヒエロニュムスの引用と同じ表現を含んでいませんでした(しかしクリュソストモスは表現は違えど同じ解釈をしていました)。そこで著者はnostris temporibusとvir apprime eruditusという表現に注目し、ヒエロニュムスの同時代人で、かつ彼の賞賛を得ていた人物として、エメサのエウセビオスこそが引用元だと推測しました。とはいえ、実際エウセビオスの注解に、ヒエロニュムスが直接引用している表現があるわけではなく、他の2箇所でヒエロニュムスが直接引用している箇所があることから、そうではないかとあくまで推測しているだけです。またシリア語が母語であったエウセビオスは、著作をギリシア語で書いていたのですが、そうしたバイリンガリズムゆえに、ガラテヤ書の解釈でも他の教父たちとは異なった読みをしているのではないかと著者は述べています。さらにクリュソストモスに見られた同じ解釈は、よく言われているように彼がエウセビオスをよく参照していたことを裏付ける証拠となります。

以上、引用元をエメサのエウセビオスと推定することから、著者は3つの成果を得られると述べます。1)20の断片が残っているのみのエウセビオスの『ガラテヤ書注解』をラテン語訳から回復すること、2)ヒエロニュムスが注解に関してエウセビオスに依拠していたことを明らかにする新たな証拠となること、3)エウセビオスとクリュソストモスの関係を新たに裏付け、アンティオキア学派の聖書解釈の解明に新たな光を投げかけること、の3つです。しかし推測でここまで言ってしまっていいのでしょうか。うーむ。


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2012年1月13日金曜日

イザヤ書7:14の「処女」について


確か『スナッチ』という映画の冒頭で、ベニチオ・デル・トロが銀行強盗に入るときに、ユダヤ教のラビに変装して、イザヤ書7:14の「処女」はヘブライ語では単に「乙女」の意味なんだとしゃべってるシーンがあったかと記憶していますが、この論文は、この問題について2世紀から5世紀の教父たちの聖書解釈を検証したものです。毎度のことですが、Adam Kamesarの論文はロジックが鋭くてほれぼれします(が、その分ついていくだけで疲れます)。

הנה העלמה הרה וילדת בן וקראת שמו עמנו אל
ἰδοὺ ἡ παρθένος ἐν γαστρὶ ἕξει καὶ τέξεται υἱόν, καὶ καλέσεις τὸ ὄνομα αὐτοῦ Εμμανουηλ·

イザヤ書7:14のヘブライ語「アルマー」は七十人訳では「パルテノス」(処女)と訳されているわけですが、ユダヤ人たちは「ネアーニス」(νεᾶνις、乙女)と訳すべきだと考えていました(アクィラ訳など)。しかしこの箇所がパルテノスであることは、マタイ1:23におけるイマヌエル預言の大事なポイントなので、教父たちは、是が非でもここを「処女」と読まなければなりませんでした。そこでこれを裏付けるために持ち出されたのが、LXX申命記22:23-29の記述でした。この箇所において、23節のパーイス・パルテノスは24節ではネアーニスと言い換えられており、28-29節でも同様の言い換えがされていることをもとに、ギリシア教父たちは、ネアーニスという語にはパルテノスと同じ意味があるんだと主張したわけです。こうした主張は、『ティモテとアクィラの対話』、エウセビオス、クリュソストモス、テオドレトス、大バシレイオス、エルサレムのキュリロスなどに見られるものです。しかしギリシア教父たちの主張は、申命記の文献学的な読み方をもとに組み立てられたものでありつつも、それはあくまでギリシア語の範疇での話に留まるものでした。

ここから一歩出たのがオリゲネスであり、彼はヘブライ語のアルマーという語には「処女」の意味が含まれていると主張しました。オリゲネスが初めてヘブライ語にまでさかのぼってみるという視点を持ったわけです。ところが彼が依拠したと主張しているLXX申命記のパルテノス、ネアーニスという語に当たるヘブライ語はアルマーではなく、ベトゥラーとナアラーという語でした。

23節 παῖς παρθένος נערה בתולה
24節 τὴν νεᾶνιν את הנערה

28節 τὴν παῖδα τὴν παρθένον איש נערה בתולה
29節 τῆς νεάνιδος הנערה

このような食い違いが起こる原因としては、マソラーとオリゲネスのテクストとが違う読みを持っていたことが考えられますが、どうやらオリゲネスのテクストは限りなく現在のマソラーと近いものだったようです。となると、オリゲネスはギリシア語でできあがっていた議論をヘブライ語化しようとして、ベトゥラーとナアラーと書かれている箇所を確認することを怠り、推測でアルマーとしてしまったのだということになります。つまり、一見ヘブライ語について議論をしているように見えて、オリゲネスは上のギリシア語の議論を下敷きにして、その上にヘブライ語の議論を被せようとしたけれども、ろくにヘブライ語の知識がないためにあえなく間違えたというわけです。このような、原典をきちんと確認しないでヘブライ語の議論をしてしまうというのは、教父の著作を読んでいるとしばしば遭遇することですね。

以上のような、教父たちによるギリシア語だけをもとにした議論、およびオリゲネスによる誤ったヘブライ語の議論(実際はギリシア語の議論と同じもの)に対して、ヒエロニュムスの説明はまったく次元の違うものでした。彼はギリシア語ではなく、ヘブライ語ベースの説明をしており、それによると通常パルテノスの意味になるのはベトゥラーという語であり、ネアーニスの意味になるのはナアラーという語であって、アルマーはそのいずれでもないと述べています。しかし一方でアルマーの語根であるアイン・ラメッド・メムは、「隠す、秘密にする」という意味があるので、これを使ってこの語を解釈すると、「隠された女」→「閉じ込められた女」→「男性との交渉がない女」→「処女」ということができます。こうした読みはラビ的解釈とキリスト教的解釈の複合だと考えられます。つまりヒエロニュムスは、ヘブライ語の正確な知識をもとに、「処女」の意味をもつヘブライ語はベトゥラーであることを一旦指摘しておいて、さらにヘブライ語の語根の知識とラビ的な聖書解釈を用いて、イザヤ書7:14のアルマーを「処女」の意味で読むことが可能であることを示し、キリスト教的な読み方につなげることに成功したわけです。

こうしたヒエロニュムスの解釈を知ることには、私見では2つの大きな意味があります。ひとつは、オリゲネスの解釈がヘブライ語ベースに見せかけて、その実はギリシア語ベースの解釈であったことに対し、ヒエロニュムスがオリジナルの解釈を持っていることが明らかにされている点です。しばしばヒエロニュムスはオリゲネスの聖書解釈を盗用していると考えられてきましたが、少なくともこの箇所ではまるで異なった解釈をしていることが分かります。もうひとつは、ヒエロニュムスの解釈がヘブライ語ベースであることから、彼の高度なヘブライ語能力を見て取れる点です。先のオリゲネスらの聖書解釈の盗用とのからみで、ヒエロニュムスのヘブライ語能力は極めて低かったと考えられる場合がありますが、この点も、ベトゥラー、ナアラー、アルマーの意味論的な区別、および語根をもとにした読み替えなど、かなり高度なヘブライ語能力を認めることができます。

2012年1月12日木曜日

ギリシア語からのラテン語翻訳2000年小史



ギリシア語からラテン語の翻訳史をまとめた論文を読みました。2000年に渡る歴史を20頁弱で語ろうというわけですから、もちろんかなり駆け足ですが、通史としてさらっと読むのに適した論文です。リンクから全文を読むことができるので、ご興味ある方は御参照ください。


著者は翻訳史の時代区分を7つに分けています。①前3世紀ローマ(リーウィウス・アンドロニークスの『オデュッセイア』翻訳)、②前2世紀-後3世紀ローマ(キケロー、マティウス、ニンニウス・クラッススなど)、③4世紀-6世紀の教父時代(ルフィヌス、ヒエロニュムス、ボエティウスなど)、④暗黒時代-12世紀(ディオニュシオス、スコットのジョンなど)、⑤12世紀-13世紀のアラビア語経由のアリストテレス翻訳、⑥14世紀-15世紀のイタリア・ルネサンス(ペトラルカ、ピラトゥスなど)、⑦16世紀-18世紀の近代翻訳(ヴィクトリウス、ステファヌス、エラスムスなど)。

個人的に興味を持っている時代を説明した①-③は、簡潔で分かりやすかったです(少々物足りないですが)。ローマの知識人は、そもそもギリシア文学の翻訳をほとんど必要としていませんでした(ここでの「翻訳」とは、改作や翻案を含まない、本来的な意味での翻訳です)。なぜならローマの知識人は十分にギリシア語に精通していたため、別にわざわざラテン語訳する必要がなかったのです。確かに、マティウスやニンニウス・クラッススは『イーリアス』の翻訳を作っていますし、とりわけキケローによる、アイスキネースとデーモステネースの弁論の翻訳はよく知られていますが、ローマの翻訳は概してパラフレーズに偏っていました。著者はこうしたローマ時代の翻訳を、Imitation was constant, paraphrase frequent, genuine translation rare (p. 119)と評しています。また、Rome derived her intellectual life from Greece, and from Greece alone (p. 117)という指摘は、当然のことのようにも思いますが、大事な指摘です。教父時代になると、基本的にローマ時代とさほど変わらぬパラフレーズが続けられましたが、神学的な論争のために、文言の正確さが要求されるようにもなっていました。しかし、ギリシア語の知識の低下は否めず、ヒエロニュムスの翻訳論に代表されるように、理論は整っても、実践が伴うことはなかったようです。

以降の翻訳史の中では、個人的に、アリストテレスの著作がシリア経由でアラビア語から翻訳されていたことを説明している部分を興味深く読みました。このことについては、日本語で思いつく参考図書として次の一冊があります。

ギリシア思想とアラビア文化―初期アッバース朝の翻訳運動ギリシア思想とアラビア文化―初期アッバース朝の翻訳運動
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2012年1月11日水曜日

キケロー、ベン・シラ、七十人訳




突然ですが、キケロー、ベン・シラ、七十人訳の共通点は何でしょうか。答えは・・・・・・「翻訳」です。最後が七十人「訳」ですから、すぐにわかってしまったでしょうか。この論文は、これら三者の翻訳に対するアプローチを、翻訳学(Translation Studies)の成果を用いながら明らかにした一篇です。正直なところ、かなり感銘を受けました。


翻訳学というと、どうしても言語学的な理論化のイメージが先行しますが、そもそもが学際的な性格を持っていますので、古典文学を扱った歴史的なアプローチもなされています。しかしその場合、「キケロー以降」の「ギリシア語からラテン語翻訳」に重点が置かれ、それ以前のとりわけヘレニズム期の翻訳論が注目されることは多くありませんでした。理由としては、1)古典学者と宗教学者との没交渉、2)ラテン文学における翻訳論への関心の集中、3)古典語といえばギリシア語とラテン語のみという言語的な制約、などが挙げられます。この論文は、言うなればこうした傾向に対し、「キケロー以前」、「ヘブライ語からの翻訳」という要素を加えた形になるでしょう。この論文におけるWrightの意気込みは、次の言葉からひしひしと伝わってきます。
As I have spent more time reading works in Translation Studies, I have become convinced that this field of study has the potential to contribute greatly to our ability to understand translations like the Septuagint. I also think that the converse is true, that scholars who have spent much of their careers working on texts like the Septuagint have something to contribute to the field of Translation Studies. (p. 3)
大枠で言うと、Wrightは翻訳に関して、キケロー対ベン・シラおよび七十人訳という構図を描いています。彼はSusan Bassnett-McGuireの言を引きつつ、両者の違いは、読者が原典を確認できる状況にあったかなかったかという点にあると述べます。つまり、キケローは大胆な意訳をしましたが、それは原典の言語がギリシア語であり、読者が原典を確認することができるという前提の上でなされたものだったからでした。当時のローマ知識人はラテン語だけでなく、学問の言葉としてのギリシア語も解しました。キケローは、読者がラテン語の訳文を読みつつギリシア語原典を確認することで、かえって自らの翻訳のラテン語としての美しさが読者に認められると考えていたのです。一方、ベン・シラと七十人訳は、ヘブライ語を読めないディアスポラのユダヤ人たちのためになされた翻訳ですから、読者が原典を確認できないことは最初から分かっています。すると、なるべく原典から逸脱しないように直訳になるわけです。Wrightは両者の違いを、Louis Kellyの分類を用いつつ、"personal"と"positional"という言葉を使って表しています。

0312820577The True Interpreter: A History of Translation Theory and Practice in the West
Louis G. Kelly
Palgrave Macmillan 1979-11
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キケローのpersonalな翻訳に対してベン・シラと七十人訳のpositionalな翻訳があるわけですが、ベン・シラと七十人訳の間にも違いがあります。両者は共に直訳をしたわけですが、それが意図的なものだったかどうかという違いです。そうした意味では、ベン・シラはねらって直訳をしたわけではなく、翻訳者としての未熟さゆえに直訳になってしまったのでした。というのも彼は序文においてはかなりエレガントなコイネー・ギリシア語を操っており、その序文をよく読むと、序文と訳文のギリシア語の質が違うことを弁明していることが分かります(これはWrightの新しい読みによる解釈です)。一方、七十人訳については、Albert Pietersmaによる、「インターリニアとしての七十人訳」という解釈が活用されています。Pietersmaによると、七十人訳は独立した文書ではなく、教育用に、原典のあんちょこのようなものとして使われていたと考えられるそうです。であるならば、そもそも七十人訳はあんちょことして直訳されなければならなかったはずですし、現に翻訳者はそれを目指したことでしょう。ここからは、しばしば主張される、七十人訳が直訳されたのは聖典の翻訳だからだという言説が、誤りであることが分かります。Wrightによれば、こうした考え方が出てきたのは、アリステアスの手紙をはじめとする後代の伝説をもとに、七十人訳が、原典から独立した書物としての地位を得ていく中で、テクストの聖性という要素が付加され、聖典を意訳するわけにはいかないと考えられるようになったためだといいます。しかし実際はそうではなく、七十人訳の直訳は、原典の補助という実践的な性格によるものだったのです。

以上が要旨で、非常によくまとまっていますが、やはり気になる点がいくつかあります。第一に問題なのは、ヒエロニュムスの翻訳論が完全に落ちてしまっていることです。キケローを扱ったところで、Wrightはヒエロニュムスもラテン文学ということで一緒くたにしてしまっているのですが、これはあまりに乱暴な扱い方です。そもそも、キケローの翻訳の特色が読者による原典の確認可能性にあるというのであるならば、ヒエロニュムスのウルガータ聖書の場合、読者である西方世界のキリスト者が原典のヘブライ語を確認できなかったのは明らかなわけですから、この時点で一緒にできないことは明らかです。とまれ、Wrightがヒエロニュムスについて手つかずにしておいてくれたおかげで、研究の余地があるとも言えます。第二に、Wrightが採用したPietersmaの「インターリニアとしての七十人訳」という見解は、結構偏ったものではないかという恐れがあります。Pietersmaは七十人訳について、原典のあんちょこ以上の価値を認めていませんが、七十人訳学者の中には「独立したギリシア文学としての七十人訳」という見解を取る人もいます。私の理解によれば、その筆頭がライデン大学の村岡崇光氏になります。村岡氏は七十人訳のギリシア語辞書を編纂していますが、七十人訳を単なる翻訳と見なすならば、専用の辞書は必要ありません。事実、そう考えているPietersmaは、七十人訳を読むのにはリデル=スコットがあれば十分と考えています。しかし、少なくとも後代のキリスト者たちが、七十人訳を原典から独立するもの、さらには原典を超えるものとして考えていたわけですから、かなり古い時代からこうした考え方があったとしてもおかしくはありません。このあたりは私の守備範囲を越えてしまうのであまり下手なことは言えませんが、さしあたり上の二点は気になるところです。

  • Albert Pietersma, "A New Paradigm for Addressing Old Question: The Relevance of the Interlinear Model for the Study of the Septuagint," in Bible and Computer, ed. Johann Cook (Leiden: Brill, 2002), 337-64.

Bible and Computer: The Stellenbosch Ai Bi-6 Conference : Proceedings of the Association Internationale Bible Et Informatique Bible and Computer: The Stellenbosch Ai Bi-6 Conference : Proceedings of the Association Internationale Bible Et Informatique "from Alpha to Byte". University of Stellen
Johann Cook

Brill Academic Pub 2002-12
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