2017年4月4日火曜日

トセフタについて Strack and Stemberger, "The Tosefta"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 149-63.
Introduction to the Talmud and MidrashIntroduction to the Talmud and Midrash
Herman L. Strack Gunter Stemberger Markus Bockmuehl

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「トセフタ」とは「付加・補足」を意味し、具体的には『ミシュナー』を補足する付加的な法的教えのことを指している。『トセフタ』は『ミシュナー』と構造を共にしている。ただし「アボット」、「タミッド」、「ミドット」、そして「キニーム」のみ『トセフタ』には含まれていない。『トセフタ』は『ミシュナー』より訳4倍ほど長くなっており、ミシュナー・ヘブライ語で書かれているが、アラム語やギリシア・ラテン語からの借用語も多く含む。

『トセフタ』の起源は、『バビロニア・タルムード』「サンヘドリン」86aによると、ラビ・ネヘミヤの作だとされている。ガオン・シェリラは、ラビ・ヒヤ・バル・アバ(とのその友人)が実際の著者だと説明している。ラシやマイモニデスも同様の見解を取る。多くの中世の学者たちは、「サンヘドリン」の指摘を無視し、ラビ・ヒヤおよびラビ・ホシャヤが『トセフタ』の著者だと主張する。Z. Frankelもこの伝統的な見解を受け入れているが、Ch. Albeckはこの二人のラビに帰されるのはわずかな部分に過ぎないと反論した。A. Goldbergは両者を架橋するために、『トセフタ』とは、ラビ・ネヘミヤがラビ・アキバおよびラビ・メイールの見解を補足したものを、ラビ・ヒヤが『ミシュナー』に依拠しつつ改訂・編集したものだと主張した。すなわち、『トセフタ』を『ミシュナー』への付加、あるいはそれへの注解と見なすわけである。

『トセフタ』と『ミシュナー』との関係は、幅広い議論を呼んでいる。研究史の中で、『トセフタ』は常に『ミシュナー』の補足と見なされていたので、それ自体を独立した者として取り上げた研究は少ない。両者には共観関係があるので、新約聖書の共観福音書の研究からも影響を受けている。両者の関係で言えることは、以下の7点である:
  1. 『トセフタ』は『ミシュナー』と一致しており、異なるとしてもわずかである。
  2. 『トセフタ』は『ミシュナー』では誰のものか分からない意見に名前を与えている。
  3. 『トセフタ』は『ミシュナー』の注解として機能する。
  4. 『トセフタ』は『ミシュナー』と共通の素材には直接言及しないが、そこから素材を付け加えている。
  5. 『トセフタ』は『ミシュナー』と法的議論や伝承者の名前で食い違っている。
  6. 『トセフタ』は『ミシュナー』の編成と大体同じだが、異なることもある。S. Friedmanによると、『トセフタ』は『ミシュナー』より原型に近い、原始的な編成を持っている。
  7. 『トセフタ』のスタイルは『ミシュナー』ほど洗練されていない。J. Neusnerによると、『トセフタ』は『ミシュナー』のように記憶しやすくは書かれていない。
M.S. Zuckermandelは、『トセフタ』とは『パレスチナ・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』のことを指している一方で、現存する『ミシュナー』とは『バビロニア・タルムード』の基礎となった『ミシュナー』であると主張した。実際に、『パレスチナ・タルムード』はしばしば『トセフタ』と一致するが『ミシュナー』とは一致しない。彼は、逆に『パレスチナ・タルムード』が『トセフタ』と一致せず『ミシュナー』と一致するところは、テクスト上の汚染や改変があったと考えた。彼はこうした見解を基に『トセフタ』の校訂版を作成したわけだが、現在では受け入れられていない。

J.H. Duennerは、『トセフタ』とは、タルムード完成後に作成された、タルムード的バライタやタナイーム期の資料のことだと主張した。彼の見解は、Ch. AlbeckやI.H. Weissらによって受け入れられた。

A. Spanierは、A. Schwarzらの研究を受けて、『トセフタ』とは『ミシュナー』に関する特別なスコリアだと主張した。『トセフタ』の編集者は、『ミシュナー』から『トセフタ』を切り離すために、多くの箇所を付け加えたり取り去ったりした。そうすることで、新しい作品である『トセフタ』に統一感を与えようとしたのである。このようなスコリアはラビ・アキバの時代にはすでに存在し、ラビたちはそれらを『ミシュナー』に組み込んだのだった。

A. Guttmanは、『トセフタ』とは、それが『ミシュナー』を補足したり説明したり矛盾したりすることにかかわらず、『ミシュナー』に含まれていないタナイーム期の関連素材を集めた集成だと主張した。すなわち、比較的『ミシュナー』から独立した作品であると評価したのである。しかし、これはその場しのぎの議論にすぎない。

著者は、上の研究者たちのように、『トセフタ』と『ミシュナー』との関係性を全体として総合的に評価することは不可能であり、あくまでもマセヘットごとに特徴をつかんでいくしかないと述べている。著者によれば、「テルモット」では『トセフタ』は頻繁に『ミシュナー』を利用している一方で、『ミシュナー』は『トセフタ』に負うところはない。「スッコート」では、『トセフタ』は『ミシュナー』抜きでは解釈しがたいが、「イェバモット」では『ミシュナー』は明らかに『トセフタ』を想定していない。こうした観察は、『トセフタ』が『ミシュナー』に直接依拠しているというより、共通の素材があったことを示唆する。J. Neusnerは、「トホロット」において『トセフタ』は確かに『ミシュナー』の補足として理解されるが、「コダシーム」において『トセフタ』の議論は『ミシュナー』から独立している。こうした議論を重ねていくと、マセヘットごとの議論ですら大雑把に過ぎるかもしれない。

『トセフタ』とタルムードとの関係は、以下の4点が確実に言えることである:
  1. タルムードにおける『トセフタ』からの引用と言えるのは、「ヨマ」70aであるが、似た文書からの引用かもしれない。
  2. タルムード中の多くのバライタは『トセフタ』に一致する。
  3. バライタの中には、意味上は近いが言い回しは異なるものがある。
  4. タルムード中のラビたちは、『トセフタ』に親しんでいなければ出てこない解決を議論している。
こうした観察を受けて、J.N. Epsteinによれば、タルムードは『トセフタ』を別の仕方で知っていたという。『バビロニア・タルムード』のバライタはやや今日の『トセフタ』とは異なっているが、『パレスチナ・タルムード』のそれは『トセフタ』とかなり近いため、直接の関係性があるかもしれない。

一方で、Ch. Albeckによれば、タルムードのバライタが頻繁に『トセフタ』の並行箇所から外れ、また引用しそこなっているのは、タルムードの編纂者たちが『トセフタ』を知らなかったからだという。その代わりに、編纂者たちは、『トセフタ』のもととなるソースから引用したのだった。

B. De Vriesはこれらの中間の意見として、タルムードの議論における『トセフタ』の無視は、『トセフタ』への無知を意味しないと主張した。Y. Elmanは、「ペサヒーム」の研究を基に、『バビロニア・タルムード』にある『トセフタ』に似たバライタの多くは、『トセフタ』とは別に独立して受け取られたものであり、緩やかな繋がりはあるが、別の作品だと考えた。これはAlbeckの議論に近い。

『トセフタ』に関する議論は、一般的に受け入れられているものが多くない。バライタと『トセフタ』との文言が異なるのは、前者が自由に引用したからかもしれないし、直接の引用ではなく共通のソースからの引用だからかもしれない。研究史における権威であるJ. Neusnerは、『トセフタ』とは『ミシュナー』における法規の成立の歴史とは何の関係もない、『ミシュナー』以後の文書だと主張している。彼の意見も、年代によって異なるが、『トセフタ』の編纂はおそらく3世紀のアモライーム期、すなわち『ミシュナー』が完成したあとであり、かつ『パレスチナ・タルムード』よりは前のことだったと結論付けている。『ミシュナー』完成前に形成されたのは、ごくわずかな部分に過ぎない。言語的な検証から、編纂された場所はほぼ間違いなくパレスチナである。

2017年4月3日月曜日

ミシュナーについて Strack and Stemberger, "The Mishnah"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 108-48.
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「ミシュナー」とは、「学び」あるは口伝による「指導」を意味する語である。こうした一般的な文脈では、第一に、聖書テクストの解釈としてのミドラッシュ、第二に、聖書から独立して形成された法令としてのハラホット、そして第三に、非ハラハー的資料であるアガドットを指す。より具体的には、タナイームたちによって作られた宗教法を集めた文集で、ラビ・ユダ・ハナスィの手になるものを指す。教父たちがこれをデウテローシスと訳すのは、「第二のもの」という意味もあるからである。

『ミシュナー』の構成としては、6つのセデル(orders)でできており、それぞれのセデルにはマセヘット(tractates)に、それぞれのマセヘットはペレク(chapters)に、そしてそれぞれのペレクはハラホット(laws)あるいはミシュナヨットに分かれている。6つのセデルに分かれるという構造とそれぞれの名前は、『バビロニア・タルムード』「ケトゥボット」103bにも出てくるとおり、タルムード時代にはできあがっていたが、その順番はさまざまだった。マセヘットは全部で63あるが、3つの「バボット」が一つであり、また「マッコート」が「サンヘドリン」とくっついていたとすると、元来は60だったと考えられる。

あるマセヘットがどのセデルに割り当てられているかについては、通常であればそこで扱われているテーマの繋がりから理解することができるが、「ベラホット」、「ナズィール」、「エドゥヨット」、そして「アボット」に関しては説明がつきづらい。テーマ的なつながりでない場合には、法的ミドラッシュからの影響や、聖書の節の文脈から理解することもできる。『ミシュナー』の構成に、完全な一貫性や統一性を求めることは、その本質から見て期待できない。とはいえ、『ミシュナー』における資料編成の違いからは、そのもともとの資料や伝承の歴史などを分析することができる。

『ミシュナー』の起源については、987年に書かれたガオン・シェリラの手紙が参照される。これはカイロの会衆に対するガオンからのレスポンサである。ガオンによる『ミシュナー』の起源理解は、以下のようにまとめられる:
  • ラビ・ユダが『ミシュナー』を編纂した。
  • 「ウクツィン」や「エドゥヨット」のような彼以前に存在したマセヘットには、わずかな補足を施した。
  • ラビ・ユダの主たる資料はラビ・メイールのミシュナーである。
  • ラビ・メイールは師のラビ・アキバのミシュナーに基づいている。
  • ラビ・アキバは聖書時代である大シナゴーグに遡る伝承に基づいている。
  • これらの教えはすべて一致していたが、ヒレルとシャマイの時代になると異なる意見が出てきたので、文書としての『ミシュナー』が必要になった。
ユダヤ教の外部にも、これらの理解を支持する記述がある。エピファニオスによると、ユダヤ人たちの間には4つの伝承(デウテローシス)があった。第一に、モーセによるもの、第二に、ラビ・アキバによるもの、第三に、アッダあるいはユダによるもの、そして第四に、ハスモン人の息子たちによるもの、である。

『ミシュナー』と聖書解釈。口伝律法の起源に関しては、最初から口伝と成文とが共にあった(のであるから、法規はそもそも聖書由来ではない)という理解と、口伝は成文に由来する(のであるから、法規は聖書に由来するのだ)という理解とがある。N. Krochman, Z. Frankel, J. Bruell, D. Hoffmannらは、ガオン・シェリラと同様に、後者の見解を取った。J.Z. Lauterbachは、聖書に依拠するミドラッシュ的方法論に続いて、マカベア時代になると、聖書に依拠しないミシュナー的方法論が出てきたと考えた。一方で、Halevy, G. Aicher, S. Zeitlinらは、法規はそもそも聖書由来でないので、ミシュナー的方法論の方がミドラッシュ的方法論より先に出てきたと主張した。J.N. EpsteinやCh. Albeckらは中道を取り、ミシュナー的方法論とミドラッシュ的方法論とは共に存在したと主張した。

口伝律法と成文律法との歴史的な関係性を論ずることは、実際には不可能である。『ミシュナー』から分かることは、律法には三つのグループ――第一に、聖書に由来するもの、第二に、聖書から独立しているもの、そして第三に、もともと聖書から独立してできたが、のちにそれと結び合ったもの――があるということである。『ミシュナー』にはそもそも、ほとんど聖書からの引用は見られない。見られる場合も、後代の不可である可能性が高い。すなわち、概して『ミシュナー』は聖書から独立して法規を作り出してきた。

『ミシュナー』の予備的段階はどのようなものだったか。ガオン・シェリラは、ラビ・ユダ以前に「エドゥヨット」と「ウクツィン」があったことを報告している。J.N. Epsteinは、「シェカリーム」、「タミッド」、「ミドット」、「ヨマ」などは第二神殿時代から少しあとにかけて、すでに原型が存在したと主張している。これは、D. HoffmanやL. Ginzbergらによる、内容的・言語的な研究に従ったものである。これに対し、J. Neusnerは、後70年以前に『ミシュナー』が形成されていたという見解を否定的に捉えている。Ch. Albeckは、「エドゥヨット」に見られる、他のマセヘットにはない特殊性(素材の並べ方や伝承の仕方)から、「エドゥヨット」が最初期にできたものだと主張した。

ラビ・ユダ以前の段階におけるラビ・アキバの重要性は、皆が一致して認めている。Epsteinによると、ラビ・アキバが『ミシュナー』を作ったとまでは言えないが、多くの素材を提供したと認めている。同様に、その弟子であるラビ・メイールのミシュナーもまた、ラビ・ユダの『ミシュナー』の基礎になっている。こうしたことから、我々は『ミシュナー』の予備的段階に、比較的できあがった原型があったことを想像することができるが、それがそのまま伝わって今の『ミシュナー』になったとは言えない。

『ミシュナー』の編集は、伝統的にはラビ・ユダの手になるものとされているが、現在の『ミシュナー』には、その原型に多くの付加がつけられている。それは、ラビ・ユダの見解がほかの見解と比較されていたり、ラビ・ユダ以降の教師たちの見解が収められていることから分かる。これらは一般的に、『トセフタ』、法的ミドラッシュ、バライタ、そして『ミシュナー』に関するアモライームの義論などからの付加だと考えられる。いうなれば、ラビ・ユダは『ミシュナー』の編集過程における一人の主要な人物にすぎない。

『ミシュナー』のジャンル。『ミシュナー』中の誰のものか分からない見解は、しばしばラビ・ユダの見解とは異なることが多い。ラビ・ユダはなぜ自分と異なる見解を収録したのだろうか。E.Z. Melammedは、『ミシュナー』がラビ・ユダの学派の個人的な論集だからだと説明した。しかし、『ミシュナー』はそうした寄せ集めの文書なのだろうか。この問いに対して、三つの回答がある:

第一に、Ch. Albeckは、『ミシュナー』とは純粋に学問的な論集(academically oriented collection)であると主張した。すなわち、編集者は素材を集め、最も重要なものを明らかにし、そうすることで折衷的なテクストを作り上げたのである。その際に、彼はテクストを改変したり自分の見解を差し挟んだりはしなかった。編集者の目的は、実用的な法解釈を作ることではなく、目の前にある素材に手を加えずに提供することだった。『ミシュナー』にしばしば見られる反復表現、内部での矛盾などは、論集であるがゆえに自然なことである。しかし、単なる寄せ集めの論集など、当時必要とされたのかという疑問は残る。

第二に、A. Goldbergは、『ミシュナー』とは教育的な基準に基づいてデザインされた教則本(teaching manual)だと主張した。編集者の目的は、そこで扱われている法規が受け入れられたものであろうとなかろうと、学院のために公式な教則本を作ることだった。教則本として、編集者は自分の見解を入れたりはしなかった。教則本は法典のような厳格さが求められないので、『ミシュナー』にしばしば見られる論理的な瑕瑾も問題にならない。しかも教材として反復表現を用いることもごく自然である。

そして第三に、J.N. Epsteinは、『ミシュナー』とは現行の法規の代表的な判例を含む法典(legal canon)だと主張した。編集者としてのラビ・ユダは、既存の法規を改変し、付加を加え、削除し、検証し、修正したが、自分自身の見解よりは、大多数の見解を採用した。法典として、ラビ・ユダは自らの見解と異なっているものも含まなければならなかったのである。しかしながら、現代的な視点からは、『ミシュナー』は法典と言うにはあまりにも多くの矛盾を含んでいる。

これらのどれか一つを選ぶことはできないが、ラビ・ユダは『ミシュナー』を編纂することで、ユダヤ教を一つに結ぶことを目指していたと言えるだろう。

『ミシュナー』のテクスト。『ミシュナー』の出版は、公式な文書としてというよりも、いくつかのセクションを含む非公式のコピーが出回ったと考えるべきである。3世紀に『ミシュナー』のテクストがある程度固定されたあとでも、さまざまな付加が施された。文献学的には、パレスチナ型とバビロニア型があり、独立した『ミシュナー』写本はどれもパレスチナ型である。『パレスチナ・タルムード』の写本は『ミシュナー』抜きで伝えられ、『バビロニア・タルムード』は『ミシュナー』付きで伝えられてきた。

ラビ文学テクストの取り扱い Strack and Stemberger, "V. Handling Rabbinic Texts"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 45-55.
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ラビ文学が口伝として伝達されたことは、テクスト批判や批判的校訂本に方法論的な問題を引き起こした。ラビの伝承が何世紀も完璧に口伝によって伝えられたという幻想は、ラビ資料の無批判な使用を可能にしてしまったのである。歴史研究者は、事実確認をしないままにラビ文学を受け入れる一方で、明らかに事実でないと判断したところを勝手に取り除いた。思想研究者は、さまざまな記述が異なった時代に成立した事実に注意を払わず、のっぺりとした「ラビ神学」に行きついた。

ラビ文学テクストの研究にはさまざまな方法論がある。まず、文学史(Literary History)の観点からラビ文学の年代を特定することがある。このとき、我々はある作品の最終版しか語ることができないために、個々の伝承は文書全体よりも古い可能性を考慮しなければならない。この方法論では、一般に文書の著者性が問題とされるが、ラビ文学のような合成的なテクストでは不適切な議論である。テクストの年代特定においては、それが最初に引用されたのはいつなのかという、外的な証言に頼ることによって、terminus ante quemが同定される。またテクストの中で引用されているラビの中で最も新しい人物は誰か、あるいは言及されている出来事の中で最も後代のものは何か、という内的な証言に頼ることによって、terminus post quemが同定される。

文学史の中では、言語学的な検証も有効であるが、ラビ文学の場合、ラビ・ヘブライ語の儀式性や形式性ゆえに、またラビ文学が引用文学であるゆえに、さらにはラビ文学が擬古文であるゆえに、うまく機能しない。ラビ文学の文学史的研究においては、ラビ文学史の予備的な時系列を作ることがせいぜいである。その際には、タナイーム文学に優先順位がある。特にラビたちの名前に基づいて成立年代が特定され得る。また偽典、クムラン文書、新約聖書、教父文学、アラビア文学などとの比較が期待されるが、時空を隔てた諸文学の比較には注意が必要である。

文化史・宗教史(Cultural and Religious History)に基づいた研究では、テクスト解釈において、そのテクストが書かれた土地の定住の歴史、人口、経済などに注目すべきである。同時代のシナゴーグや教会、また異教の遺跡などの考古学的発見と比較すると、ラビ文学における描写はバイアスがかかっていることが分かる。ラビ・ユダヤ教とヘレニズム文化との比較は、S. Kraussらによって始められ、S. Lieberman, D. Sperber, A.A. Hallewy, H.A. Fischelらによって続けられた。特に教父文学やイスラーム文学との比較が盛んになされた。しかし、ラビ時代のパレスチナ地方のユダヤ教の多層性は十分に研究し尽されているとは言えない。

様式史(Form History)は、主に聖書学において発展してきた方法論である。M. Diberiusは福音書の様式史を明らかにしたが、H. Gunkelは旧約聖書にそれを適用しつつ、「ジャンル史(Guttungsgeschichte)」と呼んだ。「様式」が具体的なテクストの言語学的な姿のみを扱うのに対し、「ジャンル」は個別の文学的様式を、それを支配する原理や起源の状態によって同定しようとする。ラビ文学では、P. Fiebigを嚆矢に、F. Maass, J. Neusner, A. Goldberg, J. Heinemannらの研究がこの方法論を用いている。中でもNeusnerはラビ文学の「様式」を、ハラハ―的(halakhic)素材、アガダー的(haggadic)素材、注解的(exegetical)素材に分類した。

伝承史(Tradition History)は、トピックの歴史を扱うモチーフ史(Motivgeschichte)である一方で、さまざまな並行箇所を扱う共観箇所の研究(synoptic reading)でもある。この方法論による研究はあまり進んでおらず、何となれば、『ミシュナー』と『トセフタ』の共観箇所の研究すらまだ出てきていない。ただし、J. Neusnerはこの方法論がテクストの文脈を無視する点に批判的である。そして彼は、むしろ個々のラビ文学の記事の独立性を主張している。

編集史(Redaction History)は、あるテクストの最終的な編纂者の人間性や、彼の神学的な特殊性を扱う。すなわち、この方法論においては、テクストの編纂者を単なる編集者と見なさず、ほぼ著者と見なすことになる。しかしながら、ラビ文学のような合成的なテクストにおいて著者性(authorship)を語ることは不適切であることは、上で述べたとおりである。とはいえ、ラビ文学を引用文学として見たとき、編集史的アプローチは有効である。編纂者は単に無目的に引用を寄せ集めるのではなく、自身の目的を持っている。

口伝律法と成文律法 Strack and Stemberger, "IV. Oral and Written Tradition"

  • H.L. Strack and Günter Stemberger, Introduction to the Talmud and Midrash (2nd ed.; Minneapolis: Fortress Press, 1996), pp. 31-44.
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口伝律法のコンセプトは、ラビ・ユダヤ教の基本である。口伝律法によってこそ、成文律法たる聖書は十全に適用される。この口伝律法は書かれることを禁じられていたのだろうか。この問いに対し、フランスの聖書解釈者ラッシーは是と答え、サアディアとマイモニデスは否と答えた。

口伝律法の文書化を禁じる証言としては、テムロット14b、アウグスティヌス、ヨセフスなどが通常挙げられるが、著者たちはこれらの証言は実際には文書化を禁じてはいないと解釈する。むしろ口伝律法の文書化の禁止は実用性のないドグマにすぎず、実際には禁じられていなかったという。事実、3世紀のラビたちはハガダーを書物として持っていた。またベト・シャン谷のレホブのシナゴーグの床には、法的テクストを書いたモザイクが残っている(7世紀)。ただし、こうした文書化された口伝律法は個人の使用に限られていた。

口伝律法の文書化に関する研究において、しばしば北欧のサーガ、ホメロスの叙事詩、アフリカの口承文学などとの比較研究がなされてきたが、こうした物語を扱う方法論は、アガダー研究には適用できても、法的議論には適用できない。そこで、言語学的・様式的な特徴、すなわち、統語論のパターン、基準となるフレーズ、言語的律動、共有されたキーワード、テーマ的つながりに注目する研究もなされた。

口伝律法は完全に文字通りの伝達を目的としたものではない。オリエントの人々の驚嘆すべき記憶力は、この文字通りの伝達という幻想を後押ししたが、教えを忘れることのないようにという再三の注意(ヨマ38b、メナホット99b、アボット3.8)は、実際には多くが忘れられていたことを示唆している。それゆえに、文字通りの伝達の程度を大げさに捉えてはならない。口伝律法における、長い秩序だったテクストのユニットは、文書化の仮定で出てきたものであろう。

同じ素材の口伝と成文の伝承が同時にあったことは、状況を複雑にする。『ミシュナー』の編纂者は、伝承を文書化しつつ、一方で弟子のタナイームを訓練し、その弟子たちが今度は暗記するまでそうした伝承を朗唱する。ところが、そうした弟子たちが覚えた伝承を、師である編纂者が文書化の過程で改変したり修正したりするのである。すなわち、テクストには流動性があった。

著者によれば、口伝による伝達は、その場しのぎの手段ではなかった。むしろ、第一に、口伝律法の原理は、口伝という方法においてのみ正しく伝わると考えられていたのであり、第二に、口頭での繰り返しは、そもそも『ミシュナー』というタイトルに現れているほどに重要なものだったのである。また、口伝を強調することは、聖書の正典化と表裏一体である。後代の伝承に対し、聖書を限定するために、前者を口伝として区別したのである。

2017年4月2日日曜日

法的ミドラッシュについて Kahana, "Midrashei Halakhah"

  • Menahem I. Kahana, "Midrashei Halakhah," in Encyclopaedia Judaica, 2nd edition, Vol. 14 (2006), pp. 193-204.
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法的ミドラッシュとは、タナイーム期の法的(ハラハー)資料と非法的(アガダー)資料を、トーラーの節の順に並べたものである。これに対し、同時代の『ミシュナー』や『トセフタ』は、主題に沿って解釈が並べられている。主たる現存する文書としては、出エジプト記に関する『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、レビ記の『スィフラ』、民数記の『民数記スィフレ』、申命記の『申命記スィフレ』などがあり、後代の資料から復元された文書としては、出エジプト記の『メヒルタ・デ・ラビ・シメオン・バル・ヨハイ』、民数記の『スィフレ・ズータ』、そして申命記の『申命記メヒルタ』がある。

D.Z. Hoffmanは、これらの資料を、ラビ・アキバ学派のものとラビ・イシュマエル学派のものに分類した:
  • ラビ・アキバ学派:『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『スィフレ・ズータ』、『申命記スィフレ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
  • ラビ・イシュマエル学派:『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、『民数記スィフレ』
このうち、ラビ・アキバ学派のミドラッシュはさらに以下の二つに分けられる:
  1. 『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『申命記スィフレ』
  2. 『スィフレ・ズータ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
前者はラビ・アキバ学派の古典的なミドラッシュであるのに対し、後者は独特の特徴を持ち、『ミシュナー』との繋がりが希薄である。

法的ミドラッシュにおいては、五書で言及されている法的素材のほぼすべてが扱われている。これらの文書は律法を扱うことを目的としているために、それを含まない創世記に関する注解が存在しないのである。ただし、法的ミドラッシュとは言いながらも、少しのアガダー的要素も含んでいる。

聖書の扱い。法的ミドラッシュは聖書テクストと、ラビたちによるその解釈とを明確に区別している。そこで聖書テクストをレンマとしてまず引用し、それからその節に対する解釈を述べるという構成になっている。聖書テクストを引用するので、注解もまた聖書テクストの順に行なわれる。言語的には、ミシュナー・ヘブライ語で書かれている。一つの聖書箇所に複数の注解が付されているが、多くの注解は誰の手によるものか不明である。聖書の節は、証明句として引かれたり、他の節にある矛盾を解消して新しい教えを明らかにするために引かれたりする。そうした節の機能から、法的ミドラッシュでは、神的な源泉としての聖なるテクストである聖書の完全な権威が認められている。

法的ミドラッシュ以前にも、聖書に見られる矛盾を解決しようという試みは、歴代誌、『神殿巻物』などに見られたが、これらは聖書内聖書解釈や再説聖書と呼ばれ、聖句と注解とが切り離されていない。一般に切り離されているものと見られるペシェルは、法的トピックを扱っていない。法的ミドラッシュの先駆としては、過越しの『ハガダー』や新約聖書などが挙げられる。

法的ミドラッシュと死海文書との違いは、第一に、前者は人間の解釈であるのに対し、後者は完全な権威としての神の言葉であること、第二に、前者が互いに異なるラビたちの意見を収録するのに対し、後者は統一的で一貫した解釈を提供すること、第三に、前者が単純なラビ・ヘブライ語で書かれているのに対し、後者は聖書ヘブライ語に近いこと、第四に、前者は後者よりも発展的な法的解釈を示していること、そして第五に、前者の方が後者より、聖書中のシンプルな法規からかけ離れたものを示していること、である。

こうした法的ミドラッシュの成立要因は、第一に、聖書が正典化され、それとは区別された文書がラビたちによって生み出される必要があったこと、第二に、聖書が聖なるものとされたことで、その解釈が必要とされたこと、第三に、聖書中のシンプルな法規から後代のラビたちの複雑な法規になるにつれて、法規の最新版が必要とされたこと、第四に、ラビの法規に対する外部からの反論を、文書を作っておさえる必要があったこと、第五に、ラビたち内部の議論のために、両学派が自分の見解をまとめる必要があったこと、などである。さらにはトーラー学習をローマが禁じたことで、トーラーが失われるのをラビたちが恐れたことも原因の一つと言える。

注解法の発展は、『スィフラ』に見られるヒレルの七つの注解法(ミドット)から始まる:カル・ヴァホメル(小から大へ)、グゼラー・シャヴァー(類似表現の比較)、ビンヤン・アヴ(ある箇所の法規の原型を別の箇所に発見)、シュネイ・ケトゥヴィーム(互いに矛盾する二つの節を発見)、ケラル・ウフェラット(一般と特殊を発見)、カヨツェ・ボー・ベマコム・アヘル(稀な語を別の箇所に発見)、ダヴァル・ラマッド・メインヤノ(文脈からの理解)。この注解法が、同じく『スィフラ』で、ラビ・イシュマエルによって13に増やされている。

数だけでなく、一つの注解法の意味もいくつか増やされている場合もある。グゼラー・シャヴァーはもともと二つの同じ事柄を比較することを意味したが、タナイーム期には二つの別の事柄についての法規を恣意的に比較することを意味した。またケラル・ウフェラットも、第一に、特殊のあとに来る一般、第二に、一般のあとに来る特殊、そして第三に、一般のあとに来る特殊のあとに来る一般の三種類が一緒くたにされていたが、ラビ・イシュマエルはそれぞれを区別した。

イシュマエル学派とアキバ学派との違い。イシュマエル学派の注解はアキバ学派のそれよりも穏健である。すなわち、前者がより聖書テクストに従い、そこにシンプルな意味を見出すのに対し、後者はそこから思い切って離れ、極端な解釈を引き出す。

さらに、イシュマエル学派は上の注解法に依拠して複数の節を比較するのに対し、アキバ学派は一つの節や言葉に拘って結論を出す。たとえば、本動詞と不定法とが並べられる聖書ヘブライ語独特の表現において、イシュマエル学派はそれを単なる文学的な反復と捉えるのに対し、アキバ学派はそれぞれの用法に意味があると捉える。

イシュマエル学派は、トーラーではっきりと書かれていないが引き出され得る解釈を、他の箇所の解釈に適用することを認めないが、アキバ学派はそれを認める。すなわち、アキバ学派は聖書を解釈して法規を引き出すのではなく、法規に合うように聖書を解釈するのである。

イシュマエル学派の解釈は穏健なので、性的な事柄や創造に関する議論などといった繊細な話題も扱うのに対し、アキバ学派はそもそも繊細な話題を扱うことを禁じている。というのも、アキバ学派は自分たちが極端な解釈を引き出しがちであることを知っており、それゆえに自分たちの解釈が異端者の正当化に使われることを恐れたのである。

両学派を分ける基準は、第一に、片方にしかない注解法があること、第二に、用いる用語の違い、第三に、登場する主たるラビたちの名前の違い、第四に、並行する解釈におけるわずかな差、などである。

文書の編纂。法的ミドラッシュの文書は、それぞれの学派を明確に区別せず、アキバ学派の文書の中にもイシュマエル学派の教えが引かれている。それを明示する場合もあれば、単にダヴァル・アヘルとして紹介する場合もある。ただしその紹介の仕方は恣意的であり、あえて部分的・断片的にしか紹介しないことがある。すなわち、文書の編纂者は客観的な文献学者ではなく、おそらくはその学派に属する者だったと考えられる。

アガダー的資料には、法的資料に見られるような両学派の区別はあまり見られない。両者共に、極めて似た内容およびスタイルのアガダーを含んでいる。むろん、表現や単語、アプローチの仕方、そして見解の違いなどがないわけでもない。

失われた法規。法的ミドラッシュには、『ミシュナー』、『トセフタ』、『タルムード』のバライタには見られない法規が保存されている。保存されていた理由は、第一に、反対意見すら収録するという、法的ミドラッシュの高度に発展した弁論ゆえ、第二に、編纂者がさまざまな資料を用いたため、第三に、初期の解釈を入れ込んだことゆえ、第四に、『ミシュナー』ほど優良な保存状態でなかったため、である。特に『スィフラ』には、レビ記に関する第二神殿時代の解釈が残されている。

各種タルグムは法的ミドラッシュと共通する資料を持っており、特にタルグム・ヨナタンは、法的ミドラッシュを文書として知っていたと考えらえる。アキバ学派は『ミシュナー』を頻繁に利用した。一方でイシュマエル学派はそのままでは引用せず、パラフレーズしたり短くしたりして引用した。「ミシュナー」という語自体も、アキバ学派の文書にだけ登場する。イシュマエル学派は『ミシュナー』の権威を認めていなかったのである。『トセフタ』はイシュマエル学派の代表的なラビたちにも言及している。タルムードとの関係としては、法的ミドラッシュの方がタルムードのバライタよりも、タナイームたちの教えをよく保存していると言える。そもそもアモライームは自身の説明や見解を付け加えている。注解法についても、法的ミドラッシュでは、複数の法規をひとつの聖句で説明したり、逆にひとつの法規を複数の聖句で説明したりするのに対し、タルムードでは、ひとつの聖句が秘めている法規はひとつだけなので、複数の聖句からひとつの法規を引き出すことは不可能だと考えられている。

法的ミドラッシュが編纂された場所と時間は、用いられている言語の特徴などから、イスラエルの地で、後三世紀中盤だと考えられている。すなわち、『ミシュナー』から『タルムード』への転換期である。Ben Zion Wacholderは8世紀だと主張するが、これは否定されるだろう。またイシュマエル学派の文書はバビロニアで編纂されたという説もあるが、これも疑わしい。

法的ミドラッシュの研究史は三期に分けられる:第一に、18から19世紀のユダヤ教科学の時代に、A. Geiger, L. Zunz, Z. Frankel, J.H. Weiss, M. Friedmanらが、タルムードやミドラッシュの歴史的発展、法規やミドラッシュの学ばれ方、そして法的ミドラッシュの再解釈などを研究した。第二に、19から20世紀には、I. Lewy, D. Hoffman, S. Schechter, H.S. Horovitzらが、イシュマエル学派とアキバ学派の比較、批判的校訂版の出版、失われた法的ミドラッシュの再構成などに従事した。そして第三に、現代ではJ.N. Epstein, Ch. Albeck, S. Lieberman, L. Finkelsteinらが、さらなる校訂版の出版を続けたが、『ミシュナー』や『トセフタ』への関心が強いために、法的ミドラッシュはやや無視されつつある。

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2017年3月27日月曜日

クムランの知恵文学と第二正典の知恵文学 Kampen, "Wisdom in Deuterocanonical and Cognate Literatures"

  • John Kampen, "Wisdom in Deuterocanonical and Cognate Literatures," in Canonicity, Setting, Wisdom in the Deuterocanonicals: Papers of the Jubilee Meeting of the International Conference on the Deuterocanonical Books, ed. Geza G. Xaravits, Jozsef Zsengeller, and Xaver Szabo (Deuterocanonical and Cognate Literature Studies 22; Berlin: De Gruyter, 2014), pp. 89-119.
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本論文は、第二神殿時代の知恵文学の伝統の発展を示すことを目的とする。そのために、第二正典における知恵文学とクムランからの知恵文学とを比較する。第二正典の知恵文学の例としては、パレスチナのユダヤ伝統に属する『ベン・シラ』を用いる。『ソロモンの知恵』やフィロンの著作を用いないのは、アレクサンドリアで表わされたこれらの文書は、パレスチナの伝統と大きく様相を異にするからである。

知恵、トーラー、啓示。『ベン・シラ』は「知恵」を「トーラー」と同一視している。ここでの「トーラー」には、ラビ文学や新約聖書に見られるような「法規」の意味はなく、「生きるための正しい方法」というほどの意味になっている。同書の16:24-17:23によると、三つのトーラーがあり、第一に、被造物のためのトーラー、第二に、人間に与えられたトーラー、そして第三に、イスラエルに与えられたトーラーである。これは聖書的な啓示を意味しているので、『ベン・シラ』の「トーラー」は法的というよりは啓示的・金言的であると言える。

一方で、『4Q教育』(と『4Q謎の書』)には、「トーラー」という言葉すら出てこない。これはエノク的文学の特徴と一致するものである。エノク的文学は、悪の起源、正義と義のメッセージ、創造全体の本質、そして人間性などを、「トーラー」に言及することなく扱う。またエノク的文学では、「知恵」は啓示の主題を指している。すなわち「知恵」の内容とは、創造の秩序の起源、本質、そして運命である。言い換えれば、エノク的文学において「啓示」は「トーラー」に基づかないのである。

しかしながら、エノク的文学における「知恵」はただ義人にのみ理解される一方で、『4Q教育』の「知恵」は、「存在の謎(ラズ・ニヒイェ)」を学ぶ者(=メビン)によって理解される。「存在の謎」とは、人間性への基本的な真理を神が打ち立てるときに用いる道具として、過去・現在・未来で構成されている。このメビンは、「霊の人(people of spirit)」として永遠の天使的な状態へと入ることができるが、「肉の霊(spirit of flesh)」と共にある者たちは、それを可能にする知識を得ることができない。それゆえに、メビンたちの間にあることが存在の謎の理解を発展させるために必要なのである。

著者の社会的な位置に関しては、『ベン・シラ』と『第一エノク書』は共通して、「書記(scribe)」である。というのも、両者は祭司制に関心を持つ共同体を反映したテクストだからである。文書の作者たちは、当時の神殿や祭司制について批判的であった。

金持ちと貧困者。さらに、金持ちと貧困者に対する態度においても、これらの文書は異なっている。『ベン・シラ』は貧困が問題とされている時代の文書であるため、貧困者たちの扱いに正義を求める責任感に言及している。しかし、現実的な貧困者は出てこない。『第一エノク書』は金持ちに対して批判的であり、悪と不正義と同一視している。すなわち、『第一エノク書』において、金持ちの反対は貧困者ではなく、義人なのである。さらに、ダニエル書はイザヤ者のしもべの歌の文脈で悪人と賢者とを対比させている。賢者を扱う点で、ダニエル書もまた『ベン・シラ』と同様に、書記の共同体のような教育のあるエリートの価値観を反映していると言える。

一方で、『4Q教育』は貧困者に向けて書かれている。貧乏でも、存在の謎を学び、義へと歩むことで、神は栄光を与え、貧困から頭を上げてくれる、というのである。聖書や初期の非聖書文学において、これほど直接的に貧困にある人間に向かって書かれた文書はない。そうした貧しさを、『4Q教育』はמחסורという言葉で表わしている。この「貧困者としての受け手に向けられている」という点が、『4Q教育』を、『ベン・シラ』、『第一エノク書』、そしてダニエル書から切り離している。

宗派性。『4Q教育』の宗派性を調べるためには、特徴的な用語を調べるのが有効である。ホフマーという語は、クムラン文書には比較的少なく、宗派的テクストに限ってはより少ない。ダアットとセヘルという語は、クムランの宗派的テクストに特に多い語である。さらに、エメットという語は、クムラン文書に極めて多く見られ、特に宗派的テクストに多い。『4Q教育』にもエメットという語が多いため、Devorah Dimantは同書を宗派的テクストだと考えている(ヘブライ語聖書の知恵文学には少ない)。論文著者は、そこまでは明言しないが、『4Q教育』がクムランの宗派的な作者たちに大きな影響を与えていたと述べている。

こうしたことから、ヘブライ語聖書と同根の知恵文学の伝統において、極めて異なった発展が、すでに前2世紀の段階で見られると言うことができる。

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2017年3月26日日曜日

4Q教育について Goff, 4QInstruction

  • Matthew J. Goff, 4QInstruction (Atlanta: Society of Biblical Literature, 2013), pp. 1-29.
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『4Q教育』は、クムランで発見された最も長い知恵文学である。425以上の断片があるが、重要なのは15ほどである。こうした断片は、おそらく7から8つの写本に由来すると考えられている。『4Q教育』には物語などはなく、教訓的な教えがゆるやかに集められている。宗派的な用語への無関心から見て、作者も、想定される読者も、おそらくクムラン共同体の者たちではない。一方で、読者たちは何らかの別の宗派だったとも考えられる。成立は、黙示的な要素が含まれていることから見て、前2世紀と考えられる。

重要なキーワードとして、רז נהיה(the mystery that is to be)は「教えの受け手に明らかにされた超自然的な啓示」を、מבין(understanding one)は「教えの受け手である学び手」を、אוטは「受け手に入手可能な素材(?)」を、המשיל(to give dominion)は「神がメビンに栄光の遺産を遺すこと」を、חפץ(desire)は「受け手が物質を求めること」を、מחסור(lack)は「受け手が物質を得ることができないこと」を、מולד(birth time)は「ある者が生まれたときのしるし」を、פקודה(visitation)は「終末の裁き」を表わしている。

スタイルとしては、二人称単数で受け手であるメビニームに語り掛けている。この二人称単数は修辞的な工夫として、相手に対してより人間的に語り掛けている印象を与える役割を持っている。他にも、パラレリズムや独特の接続詞の用法などが『4Q教育』のスタイル的特徴として挙げられる。

ジャンルは教訓的文学であり、特定のトピックに関する教育を与えつつ、読者が知識を学び得たいと思うようにしている。扱う内容は日常的なことから思索的なことまであり、箴言、ヨブ記、コヘレト書、『ベン・シラ』、『ソロモンの知恵』などとの類似が見られる。教えの受け手がメビンと呼ばれていることから、誰か学び考えている者に対して語り掛けていることが分かる。箴言と『4Q教育』とが、似たようなイメージを用いて金銭に関わる教えを説いていることから、後者の著者は箴言を読んでいたと思われる。

啓示、終末、決定論。『4Q教育』で重要な用語はラズ・ニヒイェである。これはヘブライ語聖書には出てこず、それ以外のユダヤ文学では『4Q謎の書』に二回と『共同体の規則』に一回出てくるのみである。この用語は終末論的な裁きと関連しており、それまでに学ばれなければならないことや、受け手が知恵を獲得するための方法を意味する。ラズという語はダニエル書や『第一エノク書』などといった黙示文学でしばしば用いられており、天に由来する知識を表わし、それに二ヒイェがつくことで、明らかにされた謎が過去・現在・未来までのすべての時間に関わっていることを表わしている。

メビン。『ベン・シラ』が知識層を相手にしているのに対し、『4Q教育』が語り掛けるメビンは、借金の方法などが扱われている点から見て、農夫や職人のような貧しい者たちである。それゆえに、『4Q教育』は宴会でのエチケットや権力者の前でのスピーチなどについては語らない。ただしこのときの「貧しさ」とは、経済的な貧しさのみならず、倫理的な貧しさをも意味することがある。教えを受けたメビンたちは、天使たちの住む天的な世界へと入り得る資格を得る。その時点でメビンは肉体のある霊ではなくなる。メビンが天使的な力を持つことで、第一に、なぜ天的な啓示が彼に示されたかが分かり、第二に、祝福された死後の世界を持つ可能性を得る。創1-3のエデンの園の逸話に従い、『4Q教育』は、メビンがラズ・ニヒイェの学びを通して善悪の知識、すなわちアダムが園においてもともと持っていた知識を得ることができると説明する。

黙示的な世界観を持った知恵文学。『4Q教育』に見られる終末論や死後の世界といった黙示的な世界観は、箴言のような知恵文学とは遠いものである(『ベン・シラ』や『ソロモンの知恵』にはある程度の黙示的要素が見られる)。『4Q教育』においては、知恵文学的伝統と黙示文学的伝統がはっきりと繋げられているのである。しかも、他の古い知恵文学は、神とその創造を理解するために、理性的な考察を超える方法を用いようとするが、『4Q教育』はラズ・ニヒイェを学ぶことで世界を理解すべきだと主張する。とはいえ、『4Q教育』を初期ユダヤ知恵文学から外れたものと捉えるのではなく、そのジャンルがいかに広い幅を持っていたかということを考えるべきである。この伝統はマタイ福音書やルカ福音書にも通ずる。